なぜ企業は高学歴な人を積極採用するのか?

受験なんてくだらない。
そのくだらない受験の結果で、人生を左右する学歴社会は最低だ。

 

…そのもやもやを説明する上で、まずは受験というシステムについて…大学がなんであんな問題を出題するのかを考える必要がある。

特に国語は酷い。
天声人語なんて悪文として有名なものが、受験問題になっているせいで、学校でガッツリ読まされる。

 

「これでいいのか日本の教育」
なんて思ってたら、早稲田の文学部出てるやつが僕に教えてくれたよ。
「天声人語は程よい悪文だから、試験に出るんだ」
とね。

最初聞いた時にわかんなかったんだけど…僕よりも頭のいい人(複数名)に学術的な書籍を勧められるうちに、ちょっとわかってきた。

なぜ、大学の授業はつまんないのか?なぜ学術書は読みにくいのか?

結論から言おう。
学者の文章がことごとくヘタクソで、読みにくい文章を書いてくるやつがザラにいるから
だと。

察しのいい人はもう気づいてるかと思うけど…もうちょっと踏み込んだ言い方をさせてもらおう。「学者の文章がヘタクソだから、ヘタクソな学術書をかいつまんで読む技術がない人には大学の勉強は向いてない。古今東西の、文章の専門家でも何でもない人が書いた文章をたくさん読まないと研究ができないから

 

そうなんですよ~。
大学教授って授業を行う専門家でもないし、面白くてためになる話をするコメンテーターや噺家でもないんだよ。
俺はすごく頭がいい人で、難しい文書がたくさん出てくるテストを突破して大学教授になった人達ばっかりだから「面白くわかりやすく話せる人ばかり」だと権威に服従していた。

だけど、権威に服従させられても得られるものがないと気づいたから、反動として、反抗として…はっきりいうよ。

大学教授は文章も説明も下手!!
だから、咀嚼できるやつを見抜くために大学入試には天声人語のような「程よい悪文」が出されてる

 

なぜいい大学でたやつでもバカに見えるようなのが混じってるか?」と言うと、別にいい文章やセンスのある面白いものに触れてセンスを鍛えたからではないんです。

悪文だろうが、昔の文章だろうが、実用性のかけらもない受験勉強のための勉強だろうが、時に要領よく、時に忍耐力を持って勉強できる人を大学受験で選定しているに過ぎないからです。

就活でもなんでも学歴社会として世の中では差別されるし、僕も自分の出たとされる大学について散々揶揄されるコメントをオンライン上に書かれてるけど…大学受験でうまくいかった人がなかった能力って、実はそんなに多くない。
バカにするやつが言うほど、大学受験の結果で、人格否定や社会的な排除が行われてもいいってことはない。

…みんな騙されてるから言っとくけど。
特に、学歴がないやつと、学歴と職歴しか自慢できるものがない人ほど騙されてるから言っとくけど、大学受験で推し量れる能力なんてその程度のものでしかない。

なぜなら、
「悪文が読めないと研究や学術的な知恵が得られないか」
というと、そうではないから!!

だって、ありとあらゆる教科書や試験、フィクションやケーススタディーを通じて、学術書よりもわかりやすく、学術的な知恵を紹介してくれる人たちはいっぱいいるから。

ただし!
それは、「わかりやすい日本語」「要点だけの説明」への翻訳版であって、原本ではない。

研究の最先端・より正確なニュアンスを把握したい人は原本を読む必要があるんだけど…原本や原本のニュアンスに忠実な訳著を読もうとすると「下手くそな文章」「つまんない授業」に対する耐性、効率のいい読み飛ばしが必要になってくる。

大学受験で試されてる能力って、ほんとここの部分だけ。
とくに文系科目なら、本当にこの部分だけ。

別に、大学受験の国語ができるからと言って、文章がうまいわけでも、面白い人であるわけではないんだよ。

ここまで聞くと
「受験の結果が、その後の就職まで左右するなんて、企業も含めて日本中、いや世界中バカばかりじゃないか」
って思う人もいるだろう。

でも…学歴が高い人を採用すること…「悪文を読み解く力がある人を採用する」という以外のメリットもきちっとある。
それはもちろん、別の科目…例えば「数理的思考」であったり、「暗記力」でもない。

それを読み解く鍵は…「内発性」と「統制」である。

統制されてることに囚われてる人は、伸びしろが環境に止められてしまう

小見出しは学術的な本の再解釈だから小難しい言い方になってるけど…今から語るのは

「行動力とはなにか」
という話だ。

行動力がある人とない人は何が違うか…それを考える上で僕の体験を語らせて欲しい。

もう散々言ってるから知ってると思うけど、僕は「ブログレッスン」といって、依頼をして川崎まで来て、ご飯をおごってくれた人には…ブログを教えてる。

ブログレッスンして欲しい人を募集したところ、頻繁に来る・実りある時間を過ごせたクライアントは大きく分けて2つの属性があった。

1つは高学歴。
「理解力が高いから」というわけではなく、自分がやりたいと言って来て、キチッとがんばる人が多かった。結果は出た人もいるし、出なかった人もいるけど。

もう1つは経営者や、転職を重ねて自分の能力に自信がある人。
学歴については高卒もいるけど…経営や転職を経て、自分から自発的に行動する習慣がついている人は…レッスンによく来る。
忙しさやミスマッチから続かないことももちろんあるが…続いているうちはガツガツ質問してくる。

「料金が高いからそうなった」わけじゃない。
お金がない人はラーメン一杯とコーヒー代で手を打つこともあり、お金がある人にはふぐや焼き肉、あるいはスペイン料理のコースをおごってもらったこともある。

つまりですね…自分がやりたいと思って、川崎まで来られるなら、誰だって僕のレッスンを受けられる。日程だって僕は暇人だからいくらだって都合できるし。

話を戻そう。何について話してたか?
「高学歴な人を受験で試されている能力以外で、積極採用する理由はなにか?」
というテーマだったね。

正解から言うと…「人に決められたこと以上のことに、自分から飛び込んでいく行動力や、自発性が学歴が高い人の方が高い傾向にあるから」だ。

学歴が低いと、僕が出した課題についてすぐに「難しそう」だとか「やらされてる」だとか「全部やらないといけない」と思い込んでしまう。

でも、考えてご覧?
ぼくは小学校の先生や野球部の顧問のように、体格が2回り大きいわけでも、ぶん殴るわけでもない。
会社の上司や、親のように、金銭的・社会的な弱みを握って、受講者を脅すこともできない。

だから、ぼくは提案しかできない。
提案されてることにやりもしないのに、「難しそう」「やらされてる」というのは大きな誤解…被害者意識でしかない。

だって、提案は断れるから。命令や義務には従わないといけないけど。

他人に強要されないと動けない…あるいは、大きな権威に対する賛成または反対でしか動けない人は…成功しない。

また、過度に「統制されること」に慣れすぎて、自分で考えられなくなってしまってる人も…成功を目指す段階で「誰かに統制されている状況」だけでは、成功しないことに気づく必要が出てくる。

泳ぎがうまくなりたかったら、体育の授業だけではなく、スイミングスクールに通って1年中泳がないと!だって、体育で水泳ができるのは夏だけなんだから。

文章がうまくなりたかったら、ブログや小説を執筆して他人に公開しなきゃ!
だって、学校で作文をしっかり指導できる人、自分の読み物に感想をくれる人なんていないんだから。

…学校の勉強はやらないといけない。
でも、学校で教えられる平均よりも上…プロと呼ばれる人になりたかったら、義務教育では教わらないこともどんどんやっていかないと。

高学歴な人は、受験で成功する過程…または、学校の勉強に余裕があって「プラスα」を試す時間や、その重要性を若いうちに学んでいる。
一方で、学歴がない人は、学校に行動を支配されることに慣れ、自分から「プラスαを積み上げないと、自分のやりたいこと・なりたいものを目指すには不十分」だと気づいていないことが多い。

…社会に出て、転職や経営を通じて気づく人もいるけどね。

自分がやりたいこと・上手になりたいことは、与えられたことだけでなく、自分で選んで競争や苦労に飛び込んでいかないと、成功しない!
それも、自分から次々と「やりたいこと」「上手になりたいこと」のために新しい考えややり方を、先頭切ってやる人でないと…。

だって、みんなが真似をしたら、みんなが同じトレーニングをするようになったら、自分が抜きん出た存在になるのは難しくなるからね。

誰よりも先に、新しいこと・自分に向いてること・自分が続けられることを色んな選択肢の中から選ぶ人にならないと…成功は難しいよ。

それが、研究の世界ともなれば…最先端を行くために、ライバルが知らないことを知るためには、文章として稚拙または古めかしい悪文と格闘する必要が出てくる。

大学は研究者の集団だから…プラスαを自分から積み上げられる優秀な人材を「悪文が読めるかどうか」「論理的な思考ができるかどうか」「暗記ができるかどうか」ということを見る。

一方、企業の場合は…プラスαを自分で積み上げられるかどうかを、学歴でみる。
ただ、「学歴=能力」ではなく、「優秀な学生として、自由と設備を与えられ、その中で自己実現していく習慣」に投資する。

つまり、「地位が作った人間」がほしいのであって、能力自体はそんなに気にしてない。
だから、大手企業は高学歴を採用する。そいつがろくに勉強してないバカでも通るAO入試だろうが、ゴリゴリの勉強で通った一般入試だろうが、勉強してないを通り越して授業中は睡眠時間に当ててスポーツ推薦で合格したやつだろうが…高学歴を取る。

なぜなら、「地位に、成功するために必要な習慣がある人間として作られてる」から。

「地位は人を作る」といわれがちだが、「作れてしまう」のは低い地位の人間。
ある程度、高い地位の場合は作られるのではなく、「そうあり続けるために、自分から変わっていく」んだよ。
誰かが提案することはできるが、強要して作ることはできない。自分から新しいものを試し、選び、成功を目指す…それには人の言うことを聞いているだけでは、一番にはなれないからね。

だから、学歴が高い人を企業は選ぶ。
やらされる習慣よりも、一番になるために周りに勝とうとやらされてる以上の何かを探してやるぐらいの人を探していて、それは低学歴よりは高学歴の方がそういう人がいるからね。確率的に高学歴取ったほうがクリエイティブで自発的な仕事をしやすいってわけだよ。

 

ただし!
低学歴な人にチャンスがないわけでもない。

「勝つ習慣を覚えてるやつだけを取るなんて人間をサル扱いしてる。勝ち癖みたいなものが勉強や人格よりも優先されるなんて、学歴社会・官僚主義はサル山じゃないか!」
と、権威や社会の大きな流れに対して服従または反抗することを考えてしまいがちだけど…それは違う。

 

「過去のこと、周りがどう判断するかもどうでもいい。でも、今やってることで勝つために、プラスαで努力している人、その好奇心や行動力がある人が勝つ…とわかったらそれをやる!できれば、自分よりも実践できている人と仲間になりたいから飛び込む!!」
ぐらいの気持ちを自分の中から出せる人…そういう人はきっと成功するだろうね。

 

重要な問題だと思うよ。
気づきそうで気づかないけどさ。

 

この本のサラッとした感想です。

文章が死ぬほど下手だったので「なんでこんなに下手なんだ」と思ったことを前半でぶちまけた。
同時に、後半部分はこの本が持ってる面白い部分のエッセンスをわかりやすく抽出して紹介した。

興味のある方は是非読んでみて。…多少悪文であることは覚悟して欲しいところだけど。

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