50歳になって椎名林檎を歌って、息子から「ジジ臭い」と思われたい人生になってきた

2018年2月22日

下手な若作りより、正しく老いてる大人の方が尊敬される

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子どもの頃、父や母とカラオケに行くと…イマドキの歌ほぼ歌わない。
インターネットのことや今のテレビのことを見ていないわけじゃないから「時代にから取り残されてる」とまでは思わなかった。
だだ、急に親が10代の頃に歌ったリズムも歌詞も古臭い歌を歌いだす両親や両親に誘われて出かけていった集まりに対して
「なんでそんなに老けた歌ばっかり歌うんだろう…」
と思ってた。

似たようなことは社会に出てから、あるいは少年野球の指導者達とカラオケスナックっぽいところに行ったときもあった。

ゴリゴリに演歌を歌う人や、ミスチルやサザンオールスターズを00年代とか2010年代でも「若者の歌」だと思ってる人に出くわす。
「なんでこっちが知らないような曲ばっかり歌うんだろう?いや、知ってる歌に寄せてきてもらってもミスチル・サザンでさえ僕の親かそのぐらいの年代ですよ?十分クラシックな歌やで」
って気持ちになりながら、歌っているところを見ていた。

若作り要素が残った母と、徹底的におっさんだった父

だいたいね、若い子と趣味の話をするのって難しいのよ…。

というのも、母が00年代初頭に何が好きになったかというと…大塚愛。
これには当時、(ロキノン寄りだったから)avex系のアーティストなんて全然好きじゃない僕は「軽薄でありふれた趣味で深みがない」と思ってたし、aikoファンで大塚愛の盗作疑惑をいくつも知ってた妹は「はぁ!?」と言った感じ。
母はどこかで「生涯現役でいたい」「若くいたい」というのがあったからか、そういう部分が常に若い子どもたちから見て軽薄でかつ雑に見えていたし、そういうことを僕や妹が指摘するとマジギレされてしばしばケンカになった。

 

一方、父はというと…その辺の煩悩が抜けてたのか、本当に年齢的にすれていたからなのかはわかりませんが、子どもの前でも「○○ちゃんかわいい」と女子アナをべた褒め。
それも、フジテレビの朝に出てくる若くて小綺麗な女子アナじゃなくて、NHKとかテレビ東京の30ぐらいのキラキラ女子アナから見たら「お固くて、とうが立って見える女子アナ」を、缶ビール片手にニヤニヤしながら褒めてた。
これも妹は「ダサい」という言葉が喉元まで出かかった呆れたリアクションをしていたし、ぼくもぼくで「なんなんだこのおっさんは」って顔をしてた。

…と言うのも、キラキラした女子アナに対しては「まぁ、アレでお金もらってるんだから、野球選手が野球できるのと同じで、顔がキレイなことで食ってるんだし」ぐらいにしか思ってなかった。ましてや、とうが立った女子アナについても「キャラでご飯食べてる人が凛としたキャラなの、別に当たり前過ぎてこれといって褒めることでもない」ぐらいに思ってたから…女子アナにお熱なことよりも、どこがどうすごいのかがよくわかんなかった。

 

12~18歳ぐらいの当時のぼくは、「プロの中でも誰もできないことをやってることが数字やパフォーマンスで明確にわかる人」は本気で尊敬してたし、タイトルホルダーのアスリートや大会で優勝する芸人さんは本当にすごいと思ってた。
一方で、女子アナみたいな人気商売、フィギュアスケートみたいな芸術点で評価される世界は…「プロ同士で比較してどこがすごいかわかんないものは尊敬のしようがない」と言う気持ちがあって評価しにくかった。

だから、父は当時のぼくから見るとすごく難解で、母は軽薄に見えた。
同時に、10代の頃にそういう両親を見て「年を取っても、若い子から見てわかりやすさと深みのある人になれたらいいなぁ」と思ってた。

でも、28になった今…それは難しいことに気づいた。
…いや、難しいだけではなく「無理して若くいる必要がないし、若くいつづけることにメリットがない」って事に気づいた。

自分の世界があれば、世間の流行がなくても友達も楽しい時間も作っていける

最近、平均年齢40歳のオフ会を開いた。

ぼくのブログを愛読してくれている方が、海外に長期滞在するということでその壮行会と言う名目で(壮行会っぽさはちっともなかったけど)、彼女を囲んで楽しく飲むことになった。

それを池袋の一風変わったお店で開いた。
池袋で犬や蚕が食べたくなったら「楽楽屋本店」へ行け!!
1次会はゲテモノ食いと、インターネットの話で盛り上がった後、彼女は「女子会がしたい」と言って女子3人で緑茶のお店へ消え、男2人で大都会という安居酒屋で飲んだ。

その時、一緒に飲んだ男性が御年58歳の人気ブロガーさんだったのだが…野球の話や、最近のインターネットの見え方についてのお話で盛り上がった。
向こうがお酒をおごってくださったことから、ぼくもお酒分の面白い話をしたり、お酒の後にはゲームセンターに行って、年配者こそ強さを発揮できるクイズゲームを教えた。(昭和歌謡の問題を答えられなくて、催促しなくても自分からガッツリクイズをしてくれた)

そこにテレビの流行とか、最近の流行りの話は「羽生くんかっこよかったね」と、「清宮くん活躍するかな」ぐらい雑な会話しかなかった。
でも、世界観のある大人同士の流行に左右されない楽しいトークだけで1日中楽しめた。

世間体も時間も損得も気にせず楽しいことを少人数で気ままに…これでいいんだなぁ…と思った時、ぼくのオタク友達との時間、オヤジが自分の友だちとの何気ない遊びに呼んでもらって楽しんでる姿をふと思い出した。

…そうか、自分達で楽しく遊ぶ方法を知ってる大人は、変に人から用意されるよりも、自分達で遊びや空気を作って、そこで遊ぶほうが面白いのか…。
オヤジのテレビとの接し方が年々雑に、年々軽薄を通り越した自分勝手な楽しみ方になっていったのは、「テレビごときで楽しむ年代をもう卒業してる自分」をよく理解した上での振る舞いだったのか…そう気づくきっかけになった。

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流行が自分の世界に入ってくると腹が立つ年頃になった。

数日後、ポプテピピックの最新話を見た。
90年代のオタク文化のオマージュや、名作アニメの人気声優が出てくることで有名な作品でその回ではクレヨンしんちゃんのしんのすけとひまわりの声優さんが出てきて、クレヨンしんちゃんを連想するような演技を、ポプテピピックと言うアニメにのせて演じていた。

ポプテピピックと言うアニメを見てる人は知ってると思うけど、このアニメは「クソアニメ」を売りにしているすごく面白くない作品。(面白くないことにドヤ顔をしながらも、オタクが好きなものを散りばめてオタクを絡め取ろうとする種類の作品。…とでも言えばいいでしょうか?)
そこにクレヨンしんちゃんで活躍した声優とか、任天堂のゲームをダシにしたネタが出てくるから内心「踏みにじられてる」気がした。

ぼくはクレヨンしんちゃんを5歳から見続けてきた人間で、好きな映画作品は、妹とアテレコできるまで見た。
ちょうど妹ともそのぐらい離れていたため、ぼくはしんのすけに気持ちを重ねていたし、しんのすけがお兄ちゃんとして振る舞う作品は本気でかっこいいと思いながら見てた。

その情熱は未だに色褪せず、ブログではクレヨンしんちゃんの映画を紹介するランキング記事まで書いてる。
映画「クレヨンしんちゃん」おすすめランキングベスト10

アニメに「自分の生活や心理状態を代弁してもらった」とはじめて感じたのは「暗黒たまたま大追跡」という映画で、長男のしんのすけが妹のひまわりばかりかわいがる両親にヤキモチを焼いたり、なにかにつけて「お兄ちゃんでしょ」と言われることに息苦しさを感じる…そういうシーンに感銘を受けたから、5歳の頃からぼくにとってクレヨンしんちゃんは人生であり、バイブルなんだ。

だから、つまらないアニメで「お前たちの好きなクレしんの声優さんに来てもらったぞ。喜べよオタクども」って感じにつまらないネタを声優さんにさせているのを見ると、本気で腹が立った。

 

アニメ自体が嫌いではないし、オタクに対して悪い印象を持っているわけじゃない。

ぼくは相も変わらずアニメオタクだ。
学校や仕事で寂しい思いをしてる人がアニメやアニメで盛り上がってるネットに救われていることにすごく感謝と尊敬を持っている。
しかし、最近のアニメに対して、中でも軽薄でわかりやすいネタアニメばかりを面白がるネット民の風潮は「こんなアニメしかやってなかったらぼくがうつになった時、きっと救われなかった。アニメの持ってる力はそんなもんじゃないんだ!!」とシャウトしたい気持ちに駆られ、もどかしくなった。

…一方で、そういう流行についていかない世界について少し前は想像がつかなくて不安だったし、そういう大人が、子どもの前で昭和歌謡を歌って「老けた歌歌ってやがる」って思われるんだろう…という危惧があった。

 

一昨日、平均年齢40歳のオフ会で盛り上がったり、クイズを楽しむ濃ゆいオタクと遊んだり、ブログを通じて濃ゆい友達と飲む機会が増えてきた今だから「若い子が見てるアニメにソリが合わないなら、自分と趣味が合う世界で盛り上がったほうがいいし、そこからでも新しいことは生まれるし、発見できる」と気づくようになった。
もうすぐ海外に行く…食事会に誘ってくれた女性に対しても、「話が合う仲間と距離ができたら、そのまま孤立して溶けていってしまう恐怖はないのかな?」と、すごく心配だったし、自分にはそこまでの勇気がまだ持てなかったからとんでもなくすごいことをしているようにしか見えなかった。

だから、年々しょぼくて孤独や人生を代弁してくれないアニメに対して「軟弱になったし、そんなことしたくてオタクしてるわけじゃない」と不満を言う事しかできなかった。

だからぼくは子どもの前で椎名林檎を歌うおっさんになろうと決めた

対比する2つの出来事があったおかげで、アニメ以外にも楽しいことがあるって達観できるようになったし、楽しい仲間といれば、アニメもアニメ以外も楽しいものを持ち寄って盛り上がれるってわかったから怖くなくなったよ?

大事なのは趣味を持ってることじゃなくて、楽しめる自分・楽しませる自分を持ってることだと気づけた。

そう考えたら、50になっても椎名林檎歌ってもいいし、時代遅れのアニソンを歌ってもいいし、20年も前のアニメが好きって話をしたっていいんだと思えた。

もちろん、昔のものがよくて今のものがダメってだけならただの老害おじさんだよ?
でも、今ある楽しいものをアニメで吸い上げる回数が減って、自然とそういう大人になるのは、若作りする人よりも遥かに芯が通っている。

無理して若作りするよりもストレスもないし、自分の言葉と考えで話せる大人でいられる。

ぼくは海外に行く女性に「自分からあんなところにでていって、今あるものから距離を置いて怖くないのかな?」と言ったが…それは自分に自信のない…どこか自分の趣味とか積み上げたことにすがってる人間の考え。

悪いことではないけど、「それだけが正しい」と言う答えもない話。

 

だから、ちゃんと自信をつけた大人はたまに人と会う時以外は孤立だってできるし、孤立しててもいい。
ちゃんと自分があれば、久しぶりに会った人とも盛り上がれるし、新しい友だちもできるし、新しい楽しいことも見つかるから…。

 

アラサーってちょうどこういう歳だから…多分、「50になっても椎名林檎歌う決意」を固めていく年代なんだと思う。

それは「子ども世代ではやってる曲を歌わない」って意味じゃなくて、「50になっても椎名林檎が好きでぶれないなら、それはそれでかっこいいし、老いた歌だと思われつつも歌詞の意味や世界観がわかる人は簡単にバカにしない」って意味ですごく大事なことだと思う。

 

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