正しい努力をしてない親から正しい努力ができる子どもは育たない

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子どもの頃野球をやってた。
当時ネットもなかったし、親もそんなに熱心じゃなかったし、すごくノウハウを持ってた親御さんやコーチがいたわけでもない…。
だから、結果的にぼくらの代はそんな強くもなかったし、続けていくうちに大成するような人もいなかった。

良くも悪くも地元の運動神経がいい子が、運動神経と昔ながらの走り込み系の練習で行けるところまで行ったチームだった。(そういう人に鍛えられて、ぼくは運動神経が普通だったけど、持久走だけはすごく早くなった)

でも、野球オタクになったぼくが野球を知るのは野球をやめてからの話

野球を経験するタイプには将来脳筋になる人と、データオタクになる人がいるわけだが、ぼくはオタクの方になった。当時パワプロ全盛期だったこともあって野球選手の名前をガッツリ覚えたし、変わったフォームの選手を色々覚えた。

そのことが少年野球チームで色んな猿真似をすることにつながり、ぼくよりも野球が上手い子が「それいいじゃん!」と正しく真似をして、結果を出していたりした。

大人になると、YouTubeで野球に関する動画を山のように見た。
すると、バッティングも筋トレもボールの投げ方も何もかもが自己流と正しいやり方を抑えているのとではぜんぜん違うことがわかってきて、
「2010年以降に小学生に戻れるなら、もう一回正しく野球をしたい。正しく野球してチームでレギュラーか代打の切り札になって活躍したい」
とか思うようになった。

…人生にはこういう経験が何度かある。
当時はわんぱく小僧だったから気づかなかったけど、大人になってオタクっぽく勉強し直すと実は「正しい努力を知らないからできてなかった」だと気づいたことが何度かあった。

野球は…親に結果を求められなかったし、よくもわるくも田舎の子どもが田舎の子どもなりに楽しくのびのびやってたから「いい勉強をさせてもらった」「野球で野球以外のことを色々学んだ」といえる楽しい経験だった。

結果だけ求めてくる毒親と、発達障害持ちだったぼく

でも、勉強に関しては…親から結果を求められた割に、親も努力してくれず、自分も適性や受験のための正しい勉強法をキチッと理解してなかったことが、未だに悔しくてならない

ぼくが全科目得意だったら、別に戦略とかいらなかっただろけど…ぼくは得意不得意が激しくてできることはどんな難関校に行く学生とも張り合える科目があった。
でも、結局は受験では苦手科目に足を引っ張られて言うのも恥ずかしい学歴にずっこけた。

 

後々、ビリギャルというサクセス・ストーリーを見て、
「社会科科目に特化して強いぼくは本当はどこを目指していれば、うまく行ってたんだろう?」
と調べたら、ぼくが大嫌いな慶應義塾の経済学部が世界史と英語だけで行けることが分かった。

当時発達障害であることも知らずにいろんな科目をやって失敗した経験からすると、「私学の2科目入試一本に絞って、それも1科目は勉強しなくても安心してできるから実質1科目しか勉強しなくていい」というなら、ワンチャンあったかも。

 

慶応に行ってたら、説明会の時点で足切りされるような就活を送ることもなかったし、家での立場もギスギスしなくて済んだだろうから、変な意地を張ってしまったことが悔やまれる。

 

「変な意地」には2つあって、

  1. 中学生以降テストが返ってくるたびに得意な科目を褒めてもらえず「苦手をどうにかしろ」としか言われたことがないから得意科目を活かすことを考えられなかった。
  2. 母のバイト先の慶応のお兄ちゃんという人と比較されて、事あるたびに悪く言われたから「慶応みたいなスカしたところ絶対行かねー」と当時の僕は意固地になってた。

父は子どもの学歴とか職業に対してそんなにこだわりがなかったから敢えて好きにやらせたと後に言ってるから、別に父にはどうも思ってない。(むしろ、ヒントは出してくれていたし)
でも、母はトレンディードラマみたいに生きてほしかったみたいなので「だったら、それを邪魔するように道に石をおいてそれるようにそれるようにしていくなよ!!」って気持ちにしかなれない。

 

昔から薄々は思ってたけど、年を追うごとに、色んな人と会うたびに
「母はいい人かもしれないし、一生懸命やったかもしれないけど、正しい努力ができない人間だったからあの程度で僕にイキッてたんだなぁ…」
と思うことが増えた。

感謝すべきところに対する感謝も年々増えているが、今までもこれからも母に分かる形では絶対しない。そのせいでしんどい思いをしているし、そのしんどさを僕が愛する誰かに巻き込ませたくないから…。

毒親とは悪意がある親ではなく、正しい努力のできない親

高校時代に転校して、頭の悪い人に囲まれるようになってから…母みたいに「欲しいものを得るための正しい努力」ができない人に会うことに増えた。

しかも、彼らはオタクじゃないからきっとこの先調べていく過程で気づいたり、趣味つながりでオーバースペックなぐらいに頭のいい人から教わることもなく、「正しい努力のできない親が正しい努力のできない子どもを育てていくのだろう」と思ってる。

子どもに多くを求めないなら、自分に多くを望まないなら、正しい努力のできない人間だっていいと思う。
そして、地位や自己実現には正しい努力は必要だけど、幸せには正しさなんて持ち込む必要がないから「地位と自己実現以外のところで幸せになってください」と言う気持ちしかない。

 

でももし、自分や子どもに何かを実現させたいなら、正しい努力を学ばないといけない。
・自分にできない努力をしない
・自分に向いているやり方をきちっと見つける
・常識や世間体を疑い、必要ならば距離を置く
・理解者や教えられるコーチを見つける
・他人に実現させたいなら、自分が何倍も勉強と努力をする(場合によっては嫌われる覚悟もする)

冒頭で野球について話したけど…あの話には少し続きがある。

実は、僕よりも1学年上の先輩は田舎の町から全国大会に出場した。
シニアではなかったとは言え、兵庫県は全国有数の野球大国なので、そこからの全国大会は今考えるとすごいこと。

その影にはスパルタだけど正しい努力を知ってる監督がいて、キャプテンの父親は元巨人軍のプロ野球選手だった。

キャプテンとは家が近所だったんだけど、彼の家にはプロ仕様な練習スペースがあった。
駐車場に野球用のネットを張って、練習していたし、彼を含めたチームの大半が小学校6年生時点で1年先輩とは思えないほど体ができてた。

父も休みの日にキャッチボールしてくれたし、バッティングセンターに連れて行ってくれたし、他の親御さんも熱心に練習を手伝ってた。
でも、やり方がわかってる全国区の先輩ほどは行かなかった。地元では強かったけど、それだけだった。(※それは代々そうなので、多分前後数年で最弱のチームだったんだと思う)

 

転校した話も少し触れたけど…実は転校する前の学校も全国大会に出ている部活がある学校で、体躯の先生は学校のOBで、自身が全国大会に出た時、PKを決めた映像も見せてくれた。

だから、筋トレやイメトレについては野球ではなく、別のスポーツから「正しい努力」があることを学んだし、その努力をきっかけに大人になって、YouTubeで色んなことを調べるきっかけになった。

 

昔はネットなんかなかったから本を読めるか、地元の有能な人を頼るしかなかった。
でも、今は超一流の選手がYouTuberとコラボしてノウハウを教えたり、濃ゆいテレビ番組がネットで見られたりする。

 

未だに僕の母はネットショッピングしてないし、オタクを見下してるから【あの当時に正しい努力のために勉強したか】と言われたら微妙だよ?
調べる力がない人がネット使ったって、「正しい努力」に結びつくかといわれたら…それもまた難しいかもしれないよ?

 

ただ、望んでいる結果に対して知る機会は昔よりもずっと増えているから、もし子どもの受験とかスポーツに結果を求めるなら自分で調べるなり、すごい人に預けるなりしやすくはなってる。

だから、頭ごなしに結果を求める毒親はググれ!と思うし、同時に親や先生がダメだと気づいたら子どもは親の言ってることなんか気にしないで、ググって色んな方法・できそうな方法をどんどん試していけばいいと思う。

 

ぼくはそこにたどり着いた頃にはもう子ども・学生の時代は終わってたから、お金を稼いで報いるしかない。
だけど、もし子どもや学生の…お金以外の大きなチャンスをつかめるチャンスのある人が身の回りにいるなら「ググれ!」「勉強しろ」って言いたい。

やらされてる勉強じゃなくて、正しい努力をするために必要な勉強をね。

 

野村克也さんなんて、本当に「正しい努力」の積み重ねで色んなことを成し遂げた人だよなぁ…。
いち早くデータの重要性に着手したり、クイックモーションを取り入れたり、…目の前にある間違った努力・通説を疑って新しいことをしてきた人。

そういう人物になっていかないとなぁ…。

 

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