「日本人は現代アートわからない問題」はブランディングビジネスだから

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ちょっと興味深い記事を見つけた。
一般の人は現代アートを絶対に理解できない。
この記事ね…問題提起としてはすげー面白いんだけど、結論が間違ってるんだよ。

 

例えばこの部分とか面白いんだけど、間違ってるんだよなぁ…。

一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタク=アート論もその変奏)、全く質の違うもの。

工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなもの。クリエイティブじゃない。

日本のエリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東の田舎者だから、クリエイティブを理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分に理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだもの。あんな教科書的なものですら。

日本人は現代アートが理解できない…というよりかは、抽象絵画や、20世紀美術(前衛芸術全般)が理解できないが、正しいのよね。

もうちょっとしっかり言うならば、アートが理解できないというよりかは、「これのどこがアートやねん!」ぐらいの感じであって、別にいい悪いの話ではないのよね。

日本人はアートが生活に溢れすぎて馴染めない

抽象絵画の技法を取り入れた広告のデザインとか、ポップアートのマンガ的な手法とかに対してはむしろ「馴染みすぎている」からこそ、かえって「なんでこれがアート?」「何億円も価値がつくの?」という話でしかないのよね。

典型的なのは村上隆ね。
村上隆の作品って、逆に日本人からすると当たり前過ぎて、ドヤ顔でアートだと言われるほど
「え?〇〇(有名なマンガ家)の方がうまいし、的確じゃないの?」
と村上隆に対して思うわけ。ファミコンに慣れ親しんで育った人や、オタク的なフィギュアを山のように見て育った人ならなおさら【アート?】となるわけ。

技法の上ではマンガとそんなに変わらないか、自分が持っているポイントカードや企業のロゴなんかにも当たり前に入っている抽象芸術やシュールレアリズムの香りに対して
はぁ!?アートといいつつ、なんの目新しさも、歴史もないじゃん
というわけ。

そもそも、アートと工芸品は違うのか問題

ぜんぜん違うなぁ…と思ったのはこの辺ね。

まず日本に生まれた時点で、現代アートを理解するには圧倒的に不利。こんなこと言うと、「一般人にもわかやすく説明できるのが一流ダー」みたいな恥ずかしい駄々っ子が沸いてくるけど、アートって歴史上一度も大衆を相手にしてないので。

昔は王侯貴族や宗教的権威で、今は超金持ちと美術批評家。

民主主義の恩恵で、一般人も美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。

そしてあれは、将来のお客さんとアーティストの入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材がいるかもしれないと信じて。

金持ちがアートのあり方を決めることは否定しないよ?
一部の富がある人が宗教的な権威・武力的な権力を作る演出として利用すればある程度アートは大衆を相手にしているし、逆に絶対王権の時代とか閉ざされた大奥・奥方でしか使われないものにアートとしての技術や技法、作品が固まってしまうと大衆文化とはまた別の存在になる。

世の中の人をある程度豊かになるように統治できるかどうか…もそうだよね。
大衆文化で後々アート扱いになるようなものができたのは、権力者がある程度商業を活発にできるだけの平和な世の中が作られているかどうか、学問を普及できているかどうかに関わってくる。

「アートはお金持ちのもの」
と言われると首を傾げるのはそういうところ。
「アートのあり方、アートを作れる・消費できる人が生まれてくるかどうかを決めていくのがお金持ち」
であって、アート自体が金持ちのものかどうかは全く別。

工芸品のすごくなったやつがアートになるわけじゃない…とか言うかもしれないけど…日本で今の時代にアートになってる浮世絵や茶器や刀や屏風なんて…今になってみれば工芸品だからねぇ。

同じく、マンガと手法的に近いポップアートや、色んな催し物や企業のデザインだって100年200年単位で考えたら、なんなら今だって自分の趣味ではない・お金を払う必要を感じない人からしたら工芸品だからね。

オタク文化とアートは違うだろ?
…うーん、どうだろう。

時間が経ったり、評価されたり、キレイに保存されたりしていれば長い時間をかけてアートになるだろうし、逆に無名のまま埋没したらアートではないんじゃないかな?(実際びっくりするような高値がついているフィギュアやアニメの原画なんていくらでもあるし…)

オタク文化どころか、切手みたいな日用品でさえ、好きな人からするとアートやし。

これブランド物の洋服とかもそうだよね。
今着ている服・流行っている服がアートかと言われたら疑問だけど、後々まで残って、ちゃんと位置付けがしっかりしていれば、アートだよね。
誰でも着ている量産型の古着は歴史博物館・民族博物館止まりかもしれないけど、ずっと続いたブランドであったり、新しいライフスタイルをその時提案できてそれが未来に影響を及ぼしてたらアートとして美術館に保存されたり、そのブランド専門の展示会ができてしまうよね。

何がいいたいかと言うと…後の世の中でアートやコレクターズアイテムになるようなものにしても、その時から多くの人はアートだと思ってないのよね。
アートや家宝として扱うとしたら「誰からもらった」とか「誰が使ってた」とか、ストーリー付け・ブランド付けがしっかりしているもの。

 

「それ、誰もが認めるアートではなく、マニア向けのコレクターズアイテムになってるだけじゃね?」
うーん…この境界線も難しいんだよなぁ。

ほら、アートって美術大好きな人間のコレクターズアイテムやん。
「価値が分かる人にしかわかんねー」
「価値がわかんない人には『なんでこんなもんに金払っとんねん』とか言われる」
とか、コレクターズアイテムやん。

100年以上歴史があるか、50年前以下かの問題でしかないやん…。

アートだから誰もが認めざるを得ないのって、それってアート自体にお金がかかってるとか技術的に素晴らしいことよりもその時評価されたものが時間が経って、今では作れない・今作っても同じ価値が出ないものだから、価値が出るわけ

手法的には、科学技術は進歩してるわけだから、今の技術で作ったほうがだいたいのものは素晴らしいものができるし、今の人に対して今の言語で話したり、表現したほうがアートと呼ばれてるものの大半はわかりやすいよ?

でも、そこに歴史のロマンと言うか、その時あったこと自体に価値があるコレクターズアイテムが、美術的文脈ではアートと呼ばれてるだけなんだよねぇ…。

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現代アートの本質は価値の前借りと切り取り

とは言え、コレクターズアイテム並のお値段がついたアート・時間を重ねなくてもコレクターズアイテム並の付加価値をつけられるブランド力を持った人が作品を作ると…あら不思議、アートになっちゃうわけ。

平たく言えば、ブランディングですよね?

技術や手法自体は別にある地域・もしくはどこかの国の大衆の中で出回っている作品と変わらなくても…人々が見たことないものをうまくブランディング・再解釈して提供すると…それは「芸術」になるのよね。

村上隆の例で説明したから、もう一回村上隆を出すと…オタクのコレクターズアイテムだった日本のアニメやマンガを芸術の世界にぶち込んだことで、
「芸術の世界ではまだ切り取ってなかった世界観を芸術の世界に持ち込んだ」
という扱いを受けるんだよ。

村上隆が日本のビジネスマンと海外の芸術関係者から評判がよく、逆に文化的に近い日本の(ネット)オタクからはブーイングされてるのは当然!!
無料または比較的安価で見られるアニメやマンガの手法を、物を知らない金持ちに何億という金で売りつけてるように見える。

言い換えると、オタクからしてみれば、村上隆なんて詐欺師とそんなに変わんないよ。

アニメイトやとらのあな、アニメ制作会社だってオタクからぼったくってるけど、村上隆のはもっとひどいんだよ。
価値がわかる人間に「これぐらい払う価値あるでしょ?」と足元を見てるのがオタク産業なわけ。アコギな商売だと思うけど、詐欺ではないわけ。
逆に、原住民にガラクタ売りつけて新大陸で大儲けした近世のヨーロッパ人みたいなことやってるのが村上隆なわけ。

現代アートがわかんないんじゃなくて、手法を活かした作品自体は大衆のものでも探していくとないこともないのに、それを億単位で売りさばいてるから
「なにこれ?」
ってわけだよ。だから、なにこれ?って言ってる人はそれはそれで正しい。

一方で、「こういう文化を新しくブランディングして、別のコレクターに売りつけて暴利を貪る」というビジネスモデルは日本のビジネスマンや、欧米の金持ちからすると『すごいこと』であり、尊敬される。
ビジネスと芸術と海外市場のそれぞれの位置づけを理解していないとできないことをやってるから…それはそれで正しい。

日本で5000円程度のフィギュアを売ってた人に、アートっぽいデザインのものを作らせたら…それが約16億になっちゃう。

「現代アートは金持ちの知的ゲーム!?より

作者も使われてる技術も同じなのに、市場を変えてブランディングし直すと…ということができる。

詐欺師と言うか、錬金術師と言うか、新大陸を開拓したというかは立場の問題だから評価の方はおまかせするけど…。

東浩紀と村上隆が仲いい理由

村上隆と仲がいいのが、東浩紀という哲学者であり、批評家であり、評論家の方。

この人もね…やってることは同じなんだよ。

村上隆はオタク文化を日本から欧米に輸出して、お金持ちに買い取らせた。
東浩紀は大陸哲学を日本に輸入して、自分の哲学者としての地位を盤石なものにした。

個人的には海外のIT業界ではやっているビジネスに首を突っ込んで、日本にそれらしく輸入しているだけの大手IT企業の社長さんもこのカテゴリにぶち込みたい気持ちがあるが…ややこしくなるから、ここでは割愛。

要するに、日本で大衆から見ると価値があるか疑わしい分野の人達で、特にイメージ先行の人達がやってることって貿易ビジネスなんだよ。

なんの能力もないとは言わないよ?
新しく見せるための切り口を見出す能力はあるだろうし、輸出輸入できるだけの市場調査ができる能力がないと回らないものだから。

不道徳だとも言いづらいから言わないぞ?
宇宙で空気や水を売れば、多少高値でも買うだろうし、宇宙に行けるぐらいの人なら多少金を出しても買いたいだろう。

同時に…彼らにアートや哲学を語られるのがちゃんちゃらおかしいとぼくも思うし、おかしいと言ってる皆さんについても同意するよ?
ポップカルチャーを切り売りしている人が、その本場であるマンガやアニメの世界ではろくなヒット作を飛ばしてないし、
人間の普遍的な部分を突き詰めるはずの哲学者が、東京からほとんど出たことない生活をして、中高一貫校で偏った人間にしか会ったことのないボンボンでしかなく、そのボンボンがちょっと受験と論文をパスしただけで、哲学とか人に向かって語ってるの、ほんとギャグにしか思えないから。人生経験豊富な高卒のお姉さんのほうが遥かに哲学してる。

でも、そういうことじゃないんだよ。
ブランディングに大事なのは売り出し方と肩書と市場だから…冷静に、現場ベースで考えた時に「どう見てもこの人よりも資格のある人いるよね?」って思っても、第一線のプロよりも市場に対してしっかり説明ができる人が…お金儲けや、権力作りに成功するんだよ。

青二才VSイケダハヤト

ブログの世界でいうと、イケダハヤトと青二才(ぼく)の違いですよ。
イケダハヤトって、ただのITフリーランスを「ノマドワーカー」「プロブロガー」とか呼んで、ブランディングして新しいライフスタイルのように見せかけて、価値がわからない人にブランドイメージを植え付けて、高値で色んな所に売りつけることに成功しているでしょ?(村上隆ほどではないけど、普通にITのフリーランスやブログで生計立ててる人からはイケダハヤトの評判は…良くないよ)

一方の青二才さんは、そういうコンセプトを打ち出すのが死ぬほど下手でしょ?
ブログを書く技術、どんなネタでもバズらせる技術、いいネタを仕入れてライフスタイルを提案する技術ではそんなに劣らない。
でも、青二才本人も青二才を長く読んでいる読者も「青二才さんがやってることはつまりなんですか?」と言われても、「ノマドワーカー」「プロブロガー」みたいな歯切れのいいキャッチコピーにおさめて知らない人にわかるように説明できるようなものがない。

超人気ブロガーと、そこそこ知られてるブロガーの差はそこなんだよ。
おそらくは他のビジネスでも同じ。

現代アートってなんですか?と言われたら、たとえ誤解を招くにしても、自分の表現できるカルチャーを、自分とは違う文化圏にも知らない人にも一言でスパッと言い表せるコンセプトに落とし込むブランドイメージなんだよ。

そういう人は嫌われるし、炎上するから難しいよね。
ただ、お金儲け上手い人や、実態以上の尊敬されたイメージを植え付けられている人は…ラベルの張替えや、概念の再解釈…つまり、ブランドイメージをつけるようなコンセプトを作るのがうまいんだよ。

それってブログを書く技術とか、ネタを探す知識や勉強量とかそういうことじゃないんだよ。値段をつけるために市場の中で自分の中のイメージを作るブランドイメージの戦略だから…。

 

最初から最後まで「どこがアートやねん!」と思うか、「あれでアートなら…」と思えるかの戦いのような気がするんだろうなぁ…村上隆って。

抽象芸術の話は…しない。美術的な文脈ではああいうデザインに落ち着く経緯はそれなりにあるだろうけど、それをどれだけ理屈で説明しても「私でも書ける」「私でも思いつく」とか言っちゃう人からすると「それを、ちゃんときちっと一番最初にやって、良さがわからないその道のコレクターに説明してブランディングできる人がやるからアートになる」という話は受け入れられないから。

同時に、美術自体がそういうコレクターズアイテムなんだから…それでいいじゃないとしか言えない。

 

 

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