「岡田斗司夫」という矛盾〜「評価経済」を生き抜く失敗作として〜

色々考えたのだが、せっかくだから自己二番目のヒット記事「衆愚経済社会という絶望〜評価経済社会はもう既に始まってる〜 – とある青二才の斜方前進 衆愚経済社会という絶望〜評価経済社会はもう既に始まってる〜 - とある青二才の斜方前進」の派生作品(続編であり、二次創作でもある)を作っていこうと思います。

というのも、今「評価経済社会」という岡田さんの著書を読んでるのです。その本を読めば読むほど見えてくるのは「岡田さんは自分の売り方を間違えてる」という事。このことを論じていく事で「ネットの有名人とは何か」「評価経済社会の最もミクロな姿とは何か」を語っていきたいと思います。

おことわり
これは岡田斗司夫に陰口を言うためでも、岡田斗司夫に振り向いて欲しいかまってちゃん的な行動でもありません。このブログは一貫して読者に考えていただく問題提起です。
たまたま、趣味と話題が岡田斗司夫であることが多いだけです。岡田さん本人がこのブログを読もうが読むまいがそういうのはどうでもいいです。岡田さんの勝手にしたらいい。草影からこっそり読もうが、公然と「けしからん」と言おうが、読まなかろうが、そんなものは僕の知ったことじゃない。

お品書き

  1. 今の岡田斗司夫とは「オタキング」の燃えカス
  2. あんたはもう初老のじいさんじゃないですか!!
  3. 評価経済の最小単位とは「セルフ・プロデューサー」

  • もうすぐ年金生活が待ってるから「評価経済社会」なんて言えるのでは?

こういう記事を書くと「アンチ岡田斗司夫の妄言だ」と言って、ニコ生を楽しみにしてる人・クラウドシティー市民・Freeexに入ってる人には受け入れてもらえないかもしれない。だが、僕もニコ生を楽しみにしてるし、資金的余裕ができたらクラウドシティーなんかもブログ以外にやっていきたいって思ってる。

つまり「1ファンからの疑問」だと言うことをご理解頂きたい。私は好きな政治家であろうが、好きな歌手であろうが、自分にとって100点満点でそれに心酔してるうちはその人のことをちゃんと理解できてないと思ってる。
好きな部分…それこそ200点ぐらいの部分が燦々と輝いているうちはにわかだなぁ…と。
マイナスな部分まで足して好きだとか、その人の楽しみかたを語れないと、真のファンとはいえない。

岡田斗司夫の場合も同じだ。僕はニコ生ゼミが始まってからのウォッチャーだ(その前から作品は見てたし、存在は知ってた)が、彼は「俺ってすごいやろ」オーラの割に中身を知ると案外普通の人(すごく見えたのはちょっと変わってるから)であることに気づかされる。

特に岡田さんが失敗してるのは「自分の強み」を見間違えてるところ。岡田さんと言えば、オタキングを自称する程のオタク知識とその都度その都度人を巻き込んで自分のやりたいことに飛び込んでいく行動力であろう。

だが、今の岡田さんの路線はそれを活かせない所に入ってしまったことから「オタキングの頃の方がよかったのでは?」という声が出てる。…気軽かつ誤読も沢山あるはてなブックマークのいい加減なコメントで見かけたものだが、僕の中でしっくりと来た。

岡田さんが評価されてるのは「現代行なっている社会学的な言論」ではなく、相変わらず「従来から続けてきた博識でユニークな視野を持った「オタキングとして」のアニメ・文化論」なのではないか?

僕自身そうだ。彼がアニメ・マンガ・SFから生じる科学ネタ・エンタメネタの話をするとすごくしっくりとくるのだが、社会論…とりわけ経済学が絡んだ社会ネタについては極めてお粗末。紛いなりにも経済系ブログでもある私からすれば、ろくに基礎基本を学んでない人の経済学だ。

本に出す時点で資料や論理性がもっと詰められているかと思って期待したが、はっきり言って「自分の立場の正当化」だったり、「評価という年金暮らし」の様子を書いているようにしか見えない。

では、どこで間違ったのか?その話をしよう。

  • 彼の言う「ぼくら」の中は、若作りした岡田さんが強引に若者に規制してるように見える。

岡田斗司夫の最大の失敗は「ぼくら」だの「私達」と言いながら若者を指し示して、50過ぎのおじさんが若者論を語る立場に来てしまったことにある。そして、その事は彼自身が専門外の知識を使って社会論を語る事に繋がり、ブランド力ありきで話が広がる割に脇の甘い理論になってしまっている。ひいてはその事が自分自身がオタキング以前の岡田斗司夫を超えられない事を示唆しているようにさえ見えてくる。

だいたい矛盾してる。岡田斗司夫自体がネットの住民みたいな人間でも元々ないし、「オタクはすでに死んでいる」で今のオタクとは合わないという手の話をしてるし、ニコ生でも最近のアニメをほとんど寝ずに見られないことを公言してる。

そんな人が社会論を語る時だけ「ぼくら・私達は(特に若者は)」なんて本でしつこく出てくることには矛盾を感じずには居られない。そして、若者論を語ることや評価経済論を語る・推進する事で彼が何を成し遂げたいかがさっぱり見えてこない。(もしも、評価経済社会の中で生きていくニートを増やそうと考えているならもっとロジックを詰めてから発表なさってはいかがですか?それが広がったあとの社会がどうなるかを想像なさってはいかがですか?)

かつての岡田斗司夫には「ストラテジー」(戦略。≠戦術なのであしからず)があったが、それがない。小手先で面白そうなものをブームさせようとしてるマーケッター的なところがちらついて見えたり、僕のブログを特集してくれた切込隊長さん曰く「忘れられないように必死なのでは?」というご指摘がさも正しく見える。(反論するだけの大義が彼に見えない。)
ダイコンフィルムなり、愛国戦隊なり、おたくのビデオなり、やりたい事をギラギラするほどに可視化して見せた時のような強さがない。これは懐古主義的な見方ではなく、その社会を語ることで岡田さんに何をもたらすかも見えないし、庶民をどうしたいかも見えてこない。

僕自身がこのブログに自分の理想と野望を乗っけてやってるから分かることだが、岡田さんがFreeexの連中をどうしたいか、何がしたいかが見えてこない。それを見るとつくづく「評価経済社会とは難儀だ」と思えてくる。

  • 「評価経済社会」の本質は自己が他者から見られたい像が必要

ちょっとだけ、僕の話からスタートさせて。

最近、匿名で僕のブログのスタイルが気に食わない(劣化した)という手の記事が投稿された。
最近の青二才が腑抜けている 最近の青二才が腑抜けている

甚だけしからん事に僕が真面目に経済論なり天下の変化を語ろうとネタにしてきた連中が気に食わないから、ワザと自己顕示的な文章を連投したら「そんなの毒にも薬にもならんから辞めろ」と言うのだ。
いや、毒にも薬にもならないような意見しかブクマコメントに入れない奴に読ます文章はないよ?…と言いたいが、この記事は少しだけ薬になった。

それは「自分の評判は嫌われる覚悟さえあればコントロールできるという事」だ。僕はさっきも言いましたが、自分の理想(萌え豚以外のオタク像の提示、著作権上フェアな同人市場の拡大、脱マスメディアの情報環境の実現、非貨幣経済的な経済学の普及など)の実現をモットーにしてるため、そういうことに興味のある人に読んで欲しい。

ネタとして嘲笑うことを目的とする人には読んで欲しくない。そういう立ち位置を貫いてきた。出世作「なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 – とある青二才の斜方前進 なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進」ヒット後の一ヶ月間ね。

評価経済社会に於いて重要な事は「見られ方を如何に捉えて、制御していくか」だと言う意味では私は自分の見られたい所に最適化できた。

ネタとして見に来る人と真面目に見る人を3:7ぐらいにしたいと思ってたが、ルパンの記事以降4:6ひどいときは5:5となってしまったので、「じゃあ、そういう奴が嫌いそうな記事を書こう。とことん真面目かつ自分の話を地に足ついて書こう」と決めて彼らがしびれを切らせるまでになった。(ええ。「ざまーみろ」でございますわ。うふふ♡)

ところが、岡田斗司夫の場合は反対だ。本来、自らのビジネスモデルを貫くのであれば、50代で築いてきたモノを噛み締める立場として「最近の若者は…」ぐらいである方が彼の知識や実績など、持っているものからすれば、しっくりくる。(というよりも、岡田さんが社会論・若者論を売りたい時ならニコ生などという若い人だらけの場所は不適切だ。朝のテレビの方が世の中がどうなっていくかを新しい目線で言う人を求めてるのに、ネットの端っこに立つというのが最適ではない。そして、ぼくらというが年寄りで変わり者の岡田さんの同類など視聴者の中にはほとんどいない)

だが、ろくに経済や社会の学問を体系的に勉強してないのに、自分の持ち駒を捨てきれず若者ウケを狙ってしまったため、自分の評判をコントロールできてない状態になってる。
元々ファンが多い方だから「Freeex」の基盤が崩れることも、著書が急激に売れなくなることもないだろうが、それは50代というもうすぐ年金が来る身分・もう既に「持てるもの」である身分だからこそそういう手抜きや失敗が表に出てこないだけなのだ。

そこらへんの詰めの甘さは若い人には許されない。評価経済社会で生きていく以上、ミッションがあり、継続性があり、お客に嫌われる度胸もあり、ウケるためのプロデューサー力も必要。
そう考えると「贅沢な生き方」そのものであって、これを万人のための福音にすることは無理がある。

前回は「評価の基準が曖昧で衆愚化(専門性も道義もなく、ただ数がモノを言う理論)」になると申し上げたが、今回は「評価される側」の立場の話です。評価される側に求められる能力や技術が多すぎてそれが万人に普及する可能性は極めて低いと。また、選ぶ人間に専門性も基準もバラバラなので、本当にいい人が選ばれるかも
非常に曖昧であると。(デタラメなマーケッターのような言論人が世論をリードするのが評価経済社会だとしたら、私は断固として戦いますよ。私はそういうのが嫌いで、「ブログと同人市場で情報環境を変えよう」してるわけだし)

そして、僕が岡田さんから聞きたいものはそういういい加減な社会論ではなく、もっと精巧なオタク論であり、もしも社会論の岡田さんになりたいなら、自分自身のプロデュースの仕方から変えることをオススメします。少なくとも知名度もセンスもあるのですから、もう一声を自分で変えれば、オタキングにも見劣りしない「言論人(評論家)・岡田斗司夫」ができていくであろうでしょうが、今はまだ「その域に達してない」と申し上げたいのです。

参考資料(とか)

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まぁ、ニコ動でタダで見られるんだけどさ、今の人が見ても前半部分は面白いから是非とも見て欲しいね。後半部分はハーレムモノのラノベみたいな妄想がかったところがあるから好みが分かれるけど、20代ぐらいは知らん人空気だから一周して新しさがあるよ。

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これが「目」で語る戦いだ
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