発達障害は治せないから「活かす」しかないという現状

 

僕が発達障害についてつぶやいた話が以下のつぶやきが反響を得た。

今回は発達障害の話をする。僕自身、「躁うつ病で発達障害持ち」と以前から告白してきたので、発達障害については周知する記事を書く。

「対策はあれど、周知されてない」のが現状

精神科にかかる機会を得ない限り、自分が発達障害であることを知ることができなかった。そして、僕のように発達障害を抱えながらも早期発見や対策が普及していない時代に生まれた世代で精神的に病む・社会に順応できなくて悩んで精神科に駆け込むまで自分が発達障害だと気づくことがない「大人の発達障害」が今、問題になってる。

得意不得意はあるものの能力的には健常者とあまり変わらず、日本では長らく個性や性格として受け入れられてきた部分があるため、「障害」「症候群」と付く各種発達障害が障害として扱われない現実がある。

そのため、大人になってから発達障害である事実を告げられて楽になった人や、未だに気づかないで「全部自分の努力不足」と思い込んでしまう人も多い。

発達障害ならではの特徴(欠点・長所)を理解する機会がないため、自分にとって生きづらい場所・仕事から抜け出せないでいる人も少なくない。

最近でこそ、05年施行「発達障害者支援法」以降医療機関はもちろん、国や自治体レベルでの対策が行われて以前に比べると支援は充実しつつある。
具体的には早期発見のための3歳児健診・5歳児健診を行う自治体が増え「早期発見」や「療育するチャンス・選択肢」に今の子は恵まれるようになった。

ところが、未だに世間一般の理解は少なく、親御さんもどうしたら良いかうまく対応ができず最悪、(障害をよく理解できてないゆえに)虐待に至るケースもある。

それどころか、発達障害についての法律が施行されているのに、一部政治家の勉強会で「発達障害は予防可能」としたトンデモ資料が2012年に配られ、大問題になったことも…。(詳しくは「親学」で検索)

そして、理解がない人に限ってうつ病患者に吐き捨てるような「人は誰もが病んでる」「そんなの親や君の努力不足だろ」などとを言い出すことがあり、発達障害やさらに精神疾患を患ってしまった人が生きやすい社会は未だ道半ばである。

発達障害に直接的な治療がない

まず、幼いうちから傾向が現れる障害である。
障害は脳の機能不全に由来するため治療によって現状では「治す」ことができず、「療育」して発達障害を活用した仕事や生き方にシフトしていくようにサポートしていくことが必要

当然、先天的な障害なので予防なんて論外。もし自分や発達障害であったとしてもそれは本人のせいでも、親のせいでもない。そのために、早期発見して理解ある親・教育者からの長期的サポートが長期的な課題になっている。

症状としては障害によって細かくは違うものの大雑把には、「コミュニケーション能力が低くなりがち」「想像力や思考がある方向に偏ることからトラブルや精神疾患に巻き込まれやすい」という短所を持つ人が多い。
と同時に、1つのことに没頭する技術や部分的な能力が高いため、研究開発や芸術・創作などの分野で大成する人も多くいるそうだ。

自分自身の体験では、発達障害を診断する際には精神科医からいろんなことを聞かれる以外に、臨床心理士からIQテストを受けた。

IQが障害者ギリギリから秀才レベルのものまで僕個人の中で大きく能力に差が開いていることがテストでわかり、その差があまりにも開いていたことから発達障害として診断された。

僕以外にも「できることとできないことの差」が激しい人が発達障害には多い。できない部分を改善する必要はあれど、発達障害である事自体が悪いわけではなく、「個性として活用できる部分」も多く存在する。

これは発達障害や精神疾患への対応が医療はもちろん文化・教育レベルで進んでいる欧米諸国で実践されてきたことであり、「偏差値以外で天才を抽出する仕組み」を大学レベルが確立してること、変人に対して比較的寛大な場所を作れている現状がある。

脳科学者の茂木健一郎さんはこのような障害により、知性に偏りを持った天才を日本の入試制度では抽出できないばかりか、障害ゆえに部分的に高い能力を持った人から見て「不公平」であるとして
「東大なんかダメ。偏差値による入試制度を変えないとよくならない」
述べている。

茂木理論については賛否が別れるが、実際にIQによって大きく偏りがある人・社会性やコミュニケーションが劣りがちな発達障害者にとって日本が
・なんでもできないといい大学に進学できず
・空気がよめて人当たりがよくないと会社にも入れなくて
・うつ病も発達障害も悪い意味でも個性と解釈されて病気であることをちゃんと理解されてないため

発達障害のいい部分を鍛え・活かしきれず生きづらいのは間違いない。実際、大人になってから精神を病んで駆け込んだ人が「自分が発達障害だった」と気づくことは少なくないのだから!

もちろん、社会レベルで「変人や変わった人を受け入れる空気」ができあがるのが一番素晴らしい。が、現実的には発達障害者が成功・生きやすくするためには家族や周囲のサポート・理解があってこそうまくいく部分が大きい。

現状では育ちやすい環境を整えたり、「そんなこともわかるだろう」と言うレベルでも相手の想像力が低い場合はそういった社会的行動を教える。あるいは生きやすい環境に行くためのスキルを身につけることが大切。

ろくに診断を受けさせてもらえず、大人になってからアスペルガーやADHDの症状を読み「これ俺のことじゃね?」と思う自分のような立場の人が僕は増えてほしくない。そうなってからだと自分の生き方を変えるには時間もかけられる資源も少ない。

だから、今小さな子どもがいる人には早めに発達障害かどうかの健診をして、その子にあった進路を見いだせるようにして欲しい。

性質を活かすことができるチャンスに恵まれ、得意不得意を汲み取ってあげられるならそれは障害があろうがあるまいが個性にできる。個性とは何かしらの能力で突き抜けられる人やその才覚のことだ。それを持つ人が自分の個性を大事にできる社会や教育、もっとミクロな親子関係が実現してほしいものだ。

ましてや、僕が生い立ちで母親に受けたような

・(発達障害でIQの差が著しいのに)得意科目を褒めず、苦手科目で悪い点を取ったことをけなしまくったり、

・ことある度に「そんなことも分からないの」と大人レベルやその年齢での平均値よりも上の水準を勝手に押し付けてきたり

・(発達障害特有の社会性の低さや想像力の欠如を)地元の優等生として罵倒してみせたり、

・(自分が4歳の時には発達障害や健診の存在を知っていながら)親子喧嘩するとたまに「精神科に行け」と差別的発言を繰り返し、「じゃあ僕も性格について気になるから行こう」と言ったら親が渋って精神科について悪い先入観を植え付け続けたり

これは絶対にやめてもらいたい!発達障害を持っててそもそも自分一人の正攻法では解決できない子どもいて、 その子にとってはもはや虐待に近い仕打ちであることを一発達障害者として理解が広がって欲しいと願います。

ご静聴ありがとうございました。

 

参考文献

専門医に聞く アスペルガー症候群 (にちぶん健康読本)

アスペルガー症候群だけではなく、発達障害の知識を浅く広く網羅してしていてとてもわかり易い。

 

図解 よくわかる大人の発達障害

発達障害の本が、図書館に少なかったので、もっと増えて欲しいです。特におとなになってから発達障害に関して調べる人が多いのに、うつ病の本の10分の一もなかったのはさすがに「おい、川崎市!」と思いました。

 

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→そのうち、発達障害も報じられると思うけど…きっとミスリードされるだろうね

tm2501 登録者

炭水化物が主食です

コメント

    森田

    (2014年8月27日 - 4:51 PM)

    はじめまして
    私は専門家ではありませんが、インターネットが発達して情報入手が容易になったからか、あまり見かけない精神的な病名をみるようになりました。
    発達障害に限らず、根性論によって潜っている病気がまだまだあるようなきがします。

    qqq555

    (2014年8月27日 - 5:34 PM)

    京都大学の心理臨床の方々が、色々とやっています。読んでも解りにくい本ですが、かなり治せる部分もあるようです。「発達障害への心理療法的アプローチ 」(こころの未来選書) 河合俊雄他

    upa

    (2014年9月9日 - 2:42 PM)

    うちにも発達障害を持つ子供がいます。
    小学校で二次障害をおこしたので、低学年の時に思い切って特別支援級に入れました。適切な対応を受けたおかげか、高学年になり普通級で生活し、二次障害もなくなりました。同じ学年でも、二次障害を起こしていたお子さんが数名いますが、普通級で対応されていました。多くのお子さんは二次障害はまだ治っておらず、うちの子は回復が速いように思えます。特別支援級に入れることはかなり抵抗はありましたが、やはり、学校教育での何らかの手は必要なのでは?と思っております。

    我無回

    (2015年3月19日 - 6:41 PM)

    発達障害という視点から日本の歴史を振り返ったとき、特に目が行く人物が一人います。
    この人物は幼年期から少年期にかけて「うつけ」として実の親からも疎んじられてきました、が、ある出来事を契機として、世間の注目を集めるようになると、立て続けに当時の日本から想像もできない「イノベーション」を起こします。
    その人物の名は「織田信長」。
    おそらく、彼は現代の基準で言うと「ADHD」に該当するのではないでしょうか?
    また、徳川家康はどちらかというと「高機能自閉症」の気がしますし。
    まあ、家康の場合には幼年期から今川や織田の人質として過ごしてきたので、その分「自閉的」にならざるを得ない境遇にあったと思いますが。
    こうやって考えると、「発達障害」に苦しむ人も、きっかけさえあれば「大化けする」こともあると思います。
    なので、tmさんも悲観する必要はないのではないですか?
    ただ、信長や家康にとって、幸運だったのが彼らが生きてきた時代が「戦国乱世」だったということでしょう。
    もし、彼らが治安の安定した現代に生きていたら、どこにも居場所を見いだせず、引きこもりのニートになっていたかもしれませんが、そういう意味でもtmさんは、信長や家康と同じようなものかもしれませんよ。
    あと、気が向いたら、能楽師の安田登さんの「能に学ぶ和の呼吸法」という本を読んでみてください。
    この本では、「能の呼吸法」を中心にして、鬱状態などに向き合うための、「心のメンテナンス」等について書かれています。
    また、とある会社の社長さんが「鬱状態で自殺を考えていた時期にお能の謡をすることで、自殺を思いとどまった」という趣旨の話も、安田さんの体験として書かれています。
    そういえば、何年か前に飛行機の中で赤ちゃんが泣いたことが原因で、逆切れを起こした漫画家さんが実は「発達障害」だったとか言う話は、ご存知でしたか?

    我無回

    (2015年3月19日 - 6:54 PM)

    「能に学ぶ和の呼吸法」について、大事なことを書き忘れたので、またコメントを書きます。
    この本のテーマはズバリ「なぜ織田信長は「敦盛」の舞を舞い謡ったのか」です。
    「敦盛」というのは、大河ドラマなどで信長が出てくるとたいてい舞っている「人間五十年」というあれですが。
    安田さんは「信長はじつは臆病な人間であり、この敦盛を謡い舞うことで「死の恐怖」を克服しようとしていた」、とこの本の中で述べています。
    なので、この本はいろいろな意味で「発達障害」に向き合うための、手がかりになるのではないでしょうか。
    ちなみに、自分も何年か前に書いたとおり、お能の仕舞や謡いをやれる範囲でしていますが。
    まあ、自分も「発達障害」の類型に含まれると思うので。おそらく「高機能自閉症」だと思います。
    なので、tmさんが子供のころに親からなじられたというのは、ある意味人事ではないのですよ。
    自分自身もそういう体験を持っているので。
    ていうか、そういう体験しかないものですから。

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