いわゆる「みんなが大好き」が好きになれない

 

愚痴です。意味はありませんが、言いたいから言う!

「みんな大好き」が好きになれません。

ジャンプマンガで言えば、ドラゴンボールやワンピース・スラムダンクが好きじゃなくてNARUTO・るろ剣・デスノート・暗殺教室が好き。

こんなこと書いたら「これだってみんな大好き系じゃないか!」とツッコミを入れる人もいる。僕もそのつもりで提示している。

ところが、世間ではそう思ってもらえない。

一時期ブームはするものばかりに言って、10年単位とかパンピーが言う所の「ジャンプといえば」からは若干ずれる。

この場では、「若干」でとどめておかないと本当に話かみ合わなくなる。

強調したいのは【パンピーと感性も話題も合わなくて困ってる】という話。

パンピーが「知ってて当たり前でしょ」というものをことごとく知らない。

実際問題、NARUTO好きで名前出す人よりワンピースやジョジョやドラゴンボールの名前が出ないと「マンガ読んでない人」扱いされることが多い

会話をしようと思ってNARUTOなど自分の趣味を言うと、「あ、それもあるね」という扱いだよ。「唐揚げや餃子などの人気定番に鯖の味噌煮風情が勝てると思ってるの」と言いたげな顔。

アーティストで言えば、浜崎あゆみや宇多田ヒカル的ではなく、椎名林檎にはまる!一応、200万枚売り上げた大スターなのにサブカル・メンヘラ・黒魔術と呼ばれて、王道カテゴリに入れない人にハマる。(最近はサブカルカテゴリから色物カテゴリにシフトしてる気がするが、気にしない気にしない!)

何度も言うが、今回は「パンピーとのズレ」の話だからもっと世の中に知られてないもので好きなものもあるが、今回は椎名林檎ファンということで話す。

最近のアニメでも原作を読んでて当たり前なニンジャスレイヤーやジョジョを読んでないくせに、それ町だの、デンキ街の本屋さんだの、電波教師だの…アニメ化したら注目株になるほどヒットしてるが、絶対にメインを飾らない作品ばかり予習してる。

この3つは比較的初期、もちろんアニメ化前から目をかけ、ちゃんと読み続けてきたファンだ。これら以外にも実写化・アニメ化前に抑えてた作品はあるが…割愛。

嫌僕はサブカルではないが、パンピーや大きな母集団の中で「みんなが見てて当たり前の作品」を知らないことがかなり多い。

わざとやってるのではなく感動するツボ自体がずれてるのを切実に悩んでる。

なんでこんな話をしているかというと、この間公表されたふりーむでのゲームコンテストがあったから話している!

応募作の中から8作をプレイとレビュー。その中から5作品は受賞作を当てた。

しかも、的中させた5作品には健闘賞だ銅賞だというお茶を濁した賞にはノンタッチで、各分野の金・銀が3つ、ふりーむ賞・審査員賞を的中させた!

嘘だと思うなら日付とレビューを確認してみてね。実際に当てたから。

これだけいいものを引き当てられる、多くの作品が広がる本屋やダウンロードサイトから面白いものを最小の情報で選べる。これは目利きと言って差し支えないと思うし、それが実現できたことは嬉しい。

でも、僕は王道に没頭できない。僕が「レビューしたゲームの6割はヒットした」とか「レビューを書いた作品や作者、注目したブロガーが後に人気が出た」という実績はあるが…1位が当てられない!

しかも、1位が決まった途端に、4位のぐらいの作品のほうがどう頑張っても感動できる・優れてるように感じられ、「みんなどうかしてるんだ!」と思う始末。

いや、「1位が嫌い」でもない。ワンピースもアニメは空島編まで見てたし、ニコニコのゲームコンテストで一番になったHadというゲームはかなりやりこでレビューも書いてある。…ただ、熱中度が他の人ほど湧かない。

しかも、両方とも他人からの紹介で始めただけ。1位を嗅覚で引き当てたわけじゃない。しかもプレイしたらプレイしたでこんな冷たい反応。

「あーこれはウケるわ。俺が説明しなくても、みんなこれは好きだろう。」

白々しいほどウケることに徹した(ように見える)作者に対し、模範解答を歩む作品に対し、白けてしまう。

レビューを書いたり、普及・弁明をすることに「俺が普及しなきゃ」とか「勘違い椎名林檎批判に正面から打ち合いに行けるのはファンだけ」という熱意がわかない。

ただ、僕の熱意はきっとこんなツッコミに一蹴される。

別に僕の近くに椎名林檎がいたなんて一度たりとも思ってないし、商標化されたマンガが自分だけのコンテンツだとも思ったこともない!ましてや引き当てる自分が偉いと思ったこともない。偉いのは製作者だ。作れないからレビュアー・普及者になるしかないという自覚ぐらいある。そこまでうぬぼれちゃいないさ!

ただただ自分のエゴや美意識レベルの話で「こんなおもしろいものが理解されない世の中は生きづらくて、不幸だ」とついつい物申してしまう。一種の発作と気の迷い。

僕がいいといった作品の6割以上は伸びるから座敷わらしっぽい存在だと言えなくもない。だが、座敷わらしというほど、体小さくないからねぇ〜…178cmの座敷わらしは「童子」ではないさ。

1位が抑えられないレビュアー/キュレーターとは?

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だいたい、座敷わらしとしても、オタクとしても、レビュアーとしても「自分の4~15位ぐらいのライトサブカルや、ジャンルのトップを当てる能力程度の能力」は中途半端極まりない。

編集者で言えば、ワンピースもドラゴンボールも出せないジャンプを作る人だから、それは「特筆するほどのずば抜けた成功しない最近の週刊少年マガジン」なわけで…。

はい、ダイヤのAも、ベイビーステップも僕は初期から抑えてたよ。あの時期のマガジン好きだったよ!(両方ともアニメ化どころか単行本さえ出るか出ないかぐらいの時期から知ってますとも)

でも、僕は一番感情移入したラインをワンピースや化物語に持って来られない自分に不甲斐なさを感じる。僕はオタクの中でもドラゴンボールマニア、ワンピースマニアには絶対になれないし、あの連中はすごい!

同作品ファンからもキモがられ、オタクの中でもどちらかと言うとアウトローでサブカルでいたい人達からはミーハーに思われる孤独をさすらう存在!本物の孤高にして、真の目利き!

こればかりは感情の問題だから、「どうすればワンピースやドラゴンボールに熱狂できますか?」と聞くこと自体が野暮ったいのかもしれない。

ただ、オタク的なジャンルやブログを追いかけるときに「支持される程度のニッチを開拓する能力」ばかりで、一番人気を引き当てられない自分のセンスは中途半端だなぁ…。一番人気を好きになる奴らの心理や思考を知らないと不安だ。何がずれてるかわからないと話も合わせられない。

奴らと僕、もしくは好きになった作品たちは何が違うんだろうね?

ONEPIECE ワンピース Vol.2 チェスピースコレクションR モンキー・D・ルフィ 白ver. フィギュア 単品 メガハウス

関連グッズが諸々の事情で100万近くになるほどの人気だからねぇ…。(Amazonで扱ってた最高値のワンピースグッズがフランキーのフィギュア。その次がこれ。両方共100万近い値段)

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tm2501 登録者

炭水化物が主食です

コメント

    我無回(あるいは我無駄無)

    (2015年5月6日 - 10:00 PM)

    「いわゆる「みんなが大好き」が好きになれない」。
    というのは、三沢さんの心の中に、「みんなの中に自分の居場所がどこにもない」。そういう気持ちがあるからかもしれません。
    で、それは「同調圧力」を忌避するところや、「鬱状態」にも表れていると思います。
    ここで、日本の古典芸能である「能楽(お能)」の話を書きます。
    まず、お能は「シテ方」と呼ばれる人たちと「ワキ方」と呼ばれる人たちが、関わることで物語が進展し、それにコーラス担当の「地謡」や楽器を演奏する「囃子方」が笛や小鼓等を演奏して、盛り上げるわけです。
    で、話のポイントは何かというと、「シテ方」や「ワキ方」はどのような存在か。ということです。
    能の形態の中に、「複式夢幻能」というものがあり、この場合「シテ方」は「人」ではなく「鬼や幽霊または妖怪、あるいは神、または宇宙人」つまり、「異界の住人」なわけです。あるいは、普通の人とは違う時間軸を生きている存在だと。
    そして、「ワキ方」は「人」ですが、どちらかというと世の中に居場所を見いだせず、旅の空にいる、そのいう身の上だったりします。
    一例として、「融」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%8D
    という演目について書きますが、この演目は、ワキ方が旅の僧で京の六条河原院の邸宅跡に行きますが、そこに場違いな潮の湖があるのに驚いた所、潮汲みの老人(前シテ)が来て、その老人と僧が対話をするうちに、そこにはその昔「源融の邸宅があって」、という話を僧に物語るわけです。
    そして、月の動きに合わせてその老人が、源融にまつわる逸話を語っていく。と。
    実は、その老人は源融の幽霊(後シテ)でありその後、正体を現して、舞を舞って姿を消していく。というものです。
    で、何を言いたいのかというと、おそらく三沢さんはお能で言えば、「シテ方」なのだということです。
    そして、「みんな」の中に含まれる人たちは「見所(観客席)」でお能を見ている観客なのでしょう。
    さらに、このブログやツイッターなどはおそらく、「能舞台」の役割を果たしていると思います。
    それで、三沢さんの書くブログやツイートに、共感を示す人たちは、「ワキ方」のような立場なのでしょう。
    今回のブログの内容は「自分(三沢文也)はいかに他の人とずれているか」に関する、愚痴のようですが、その「ズレ」こそ、「三沢文也」という人物の「時間的価値」の源泉になっていることを、理解してほしいと思います。
    そして、その「ズレ」はそのまま「カリスマ性」へと転化していく可能性を持っているのですよ。
    ただし、それは「逆風」や「叩き」の原因ともなるので、それ相応の「苦しみ」が伴うと思いますが。
    スティーブ・ジョブズも、そういう「苦しみ」を乗り越えた一人だと思います。

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