自分の発達障害や躁うつ病と向き合うために、心に「うるせえ」を持って生きることにした

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僕は発達障害だが、それがわかったことで救われた人間だ。

自分は子どもの頃からできることとできないことがくっきり分かれ、そのどちらを見たかによって他人の評価も異なった。

それはまるで、自分の中にできるやつとダメな奴が共存しているのでは?と思うほどに自分に対する評価・努力してできること・できないことの差は大きかった。

不安定な評価や成果に疑問を抱き続け、24年。自分が発達障害だったと知った。

わかったことで発達障害が治るわけでも障害そのものは解決するわけじゃない。

でも、ある種の自己喪失・不可解さからは救われ、前向きになることはできた。

障害や病気に一番迷惑してるのは自分自身ですが?

躁うつ病担ったのをきっかけに通った精神科で、いくつかの性格診断・聞き取りそしてIQテストを経て自分が発達障害だとわかった。

言語系のIQが高く、動作系のIQが障害者ギリギリだった事がわかり、自分を評価してる人としてない人がそれぞれどこを見てたか、自分の得手不得手がよくわかった。

発達障害であることで、アスペルガー(AS)やADHDの症状にあるような他人とズレた性格・多動性などが指摘され、その性質を「空気を読んで生きてきた」人からすごく攻撃される。

ゆえに、インターネットでは「アスペ」は悪口、気に喰わない奴がいると「(自己愛)パーソナル障害」だとレッテル貼りに使われる。(※言われたことある)

…でも、それは言葉に責任を持たない他人なので、気にしちゃいけない。

人が怒らせたり、失言させたりすることしか考えてない人の言葉に傷ついたり、悩むのは無意味だ。

病気や障害は周りから迷惑だと言われようが、恩恵にも弊害にも自分のしたことや結果に最も責任を持たないといけないのは自分だ。

それも、生まれる時に承諾した覚えもないのにそれを個性だ努力だ結果だといわれる。

そう、誰よりも障害や病気を押し付けられてるのは自分だ!

それをやれ迷惑だ、やれ自己責任だと言われてもそれは自分がいちばんわかってる。

それでも、そんな自分だって向こう何十年か生きて行かないといけないし、生きていくにはお金も交友関係も必要なわけだ。

片棒を担いでくれる知人・隣人が「お前のそういうとこ、直せよ」というならまだしもだ!ネットで罵倒・差別的な発言をしてる人は無責任で頭ごなしじゃないか!

もしくは患者さんの中に「僕はこうだったから人にこうすべきだ」と言う人…もっとわかりやすく言えば、「自分の頭で考えよう(そして自分と同じ結論に至るべきだ)」とのたまうやつに抱く感想はこれだけ!!

「うるせえ」

他人に良かれと発言するのは大いにけっこう。

だが、責任も持てなきゃただただ他人事でしか言わぬ意見など「うるせえ」で十分。

参考にもすべきじゃないし、したくもない。

うるせえ、黙れ。

お前と喋ってもムダ。

お前は俺の何だ?

お前がどう思おうが、行動を選び、結果に責任を背負うのは俺だお前じゃない。

知ったということは、選ばないといけないということ

自分が診断されたことで自分の病気や障害を知らなかった時とは悩みが変わる。

知ることは可能性を広げることばっかりじゃない。

知ったことで見えないほうがいいものが見えたり、知らなかった方が楽天的でいられたりする。何よりも、知らないということを自分の中で言い訳にできる。

知ることで晴れる悩みもあるが、知ったことでできる悩みもある。

だから、知った上でどうしていきたいか、うまくいかないこと・障害ゆえに苦手なことをどう乗り越えていくか(そもそも乗り越えるのかどうか)を決めなきゃいけない。

特に、今何かに挫折してる人は選択して生きて行かないといけない。

そして、発達障害の人は(スポーツや芸能、研究や創作の世界には発達障害だったとされる偉人はいるが、)労働に向いていない・病みやすいというデータもある。

どちらの世界にも競争があり、リスクがあるが、そのどちらかを選ばないといけない。

だけど、考えるのは自分か、自分が幼いなら連帯感を持った親の仕事。

ネットに悪口を書き込んでる人の仕事でも、お医者様や教育者の仕事でもない。

自らの焦りや苦しみから、最小限の助言しかしない医者に無責任さを感じることもある。一律の対応しかしてくれない学校の先生や手続きをする職員にいらつくこともある。それはわかるけど、彼らは彼らにしかできない手続きしかできないし、それ以上のことはできないんだから、期待しちゃダメさ。

他人には2種類しかいない。

「選択する上で参考になる知識や経験を授けてくれる人」

「外野から知った口を叩く人」

生き方を選んでくれる人はいない。いたとしてもその人には責任を持てやしない。

他人はよくてもサポート。サポートにもならん他人はうるせえ!

自分にできる・できない事を知ったからこそできる選択もあれば、付き合える他人・許してあげられるミスもある。他人から責められたり、不利な結果ばかりが発達障害と言うわけでもない。

ある野球監督が他球団よりも厳しいキャンプを「けが人がではないか?」と指摘された際、こんな返しをしてる。

「怪我をしてうまくなる・気づくこともある。コーチ陣が楽したいからと選手のチャンスを摘み取るべきじゃない。」

これは実際、本当のこと。野球選手には怪我をした後に化けたり、怪我を気をつける試行錯誤からうまくなる選手もいる。

これは精神疾患や発達障害にも同じことが言える。

障害や病気の症状はしんどい。それが原因の失敗・さらに病んでしまうことはある。

でも、失敗を活かす気持ちや選択し続ける意思があれば、強くなれることもある!!

他人に素直になれ、謙虚になれ、頭ごなしにああすべきこうすべきと言われても基本は「うるせえ」でいい。

うるせえ、こちとらお前より真剣に考えてるからそんなこと知っとるわ!

うるせえ、そうすべきかどうかは全部俺が決めるんだ!

うるせえ、こっちが聞くべきだと思ったら聞いてやるからちょっと黙ってろ!

…こういってやりたいおせっかいな人がネットにも、現実にも多すぎるよ…。

病名はテメーらがレッテル貼って排除するためにあるんじゃねーよ!

病人が、障害者当人が自らの人生の可能性を取捨選択していくためにあるんだよ!

元ネタはしくじり先生の杉村太蔵さんの回。薄々は思ってたことだけど、テレビの前で言ってもらえるとスカッとした

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「もしや」と思う人は行くべきだと思うが、他の病気と勝手が違うので通院中の苦労話を語ってみました。

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tm2501 登録者

炭水化物が主食です

コメント

    我無回

    (2015年6月14日 - 10:27 PM)

    まあ、実際の話「外野はすっ込んでろ」こう言いたい時って言うのはありますね。
    例え、親子や兄弟の間柄でも、「自分」がどういう状況で何に苦しんでいるのかを、理解しもせず親やらなんやらの価値観だけで、一方的に決めつけて「なんでこうしないんだ」とか言って、責められ続けたら「あんた(おまえ)に何が分かるんだよ」こう言いたくもなるわけですよ。
    ま、自分自身そういう経験をしているので、そこのところはよくわかるのですが。
    だから、外野がとやかく言うことに対しては「うるせえ」と言って、突っぱねるくらいの気概は確かに必要かと思います。
    その一方で、人の間にどこにも居場所を見いだせない孤独もまた、あるわけですが。
    そういう意味で言うと、ネットの発達した今の世の中は、ある種発達障害を持つ人にとって「自分の生きるべき場所と出会うべき相手」を見つけるための手段を、提供する場が増えているのではないですかね?
    たとえば、自分と三沢さんとの「出会い」は、今から4年前の三沢さんのブログ「映画は何にお金を払っているのか」に遡るわけですし。
    で、自分は、この時の三沢さんの主張に興味を覚えて「映画は見るために使っている「時間」に対して、お金を払っているのだ」という趣旨のコメントを投稿したわけです。
    それから4年、不定期ですがたまにこうして、三沢さんのブログを読んでコメントを投稿している。
    自分以外にもいろいろな人が、三沢さんのブログに共感を示して、コメントを投稿していると思います。
    まあ、中には「初めに否定ありき」で難癖をつけて絡むことを目的としたものもあるでしょうが、そういうものも含めて、これまての4年間は「無駄ではなかった」のではありませんか?

    我無回

    (2015年6月15日 - 12:02 AM)

    もうひとつ、「休眠打破」という言葉について、書きます。
    これは、桜の「開花」に関する話題になりますが、桜の花芽というのは、実は花が散って葉っぱだけになった、夏の間にすでにできているそうです。
    そして、桜の花はその後夏、秋、と休眠状態になり、桜の木そのものが丸裸の冬の時期に厳しい寒さにさらされることで、休眠状態から目覚め「開花」の準備を始めていく。これを「休眠打破」というそうです。
    発達障害を抱えて生きる人は、ほとんどの場合生きていくうえで他人との軋轢や、いろいろな障害や困難に直面して、息苦しい思いを抱えながら、生きていくわけです。
    そういう時期って言うのは、いわば桜の「休眠期間」のようなものでしょう。
    そして、そういう休眠期間の間に様々な苦しい体験をしていくわけですが、その苦しさが実は冬の間の「休眠打破」になっていく。
    それを理解したうえで、乗り越えることが出来るなら、その先に待っているのは「開花の時」だと思うのですよ。
    三沢さんにもその「開花」の時期が迫っているのではありませんか?
    それでも、苦しいと思うときは、いっそのこと「お遍路」に出るといいかもしれません。
    と言っても実際に出るとなるとそれなりにお金がかかるわけですが。
    ただ、今のネットの時代には「グーグルマップ」というものがあります。
    例えば、グーグルマップで「御厨人窟」と検索してみてください。
    すると、今から1200年前に空海が修行した場所の周辺の様子を、自宅に居ながらにして、見ることが出来ます。
    そして、画面をストリートビューに切り替えて、そこから海を見ると、そこに見えるものは、かつて空海か見た景色そのものです。
    もちろん、当時と違って、道路は舗装され周辺にはホテルや宿坊も完備されていたりするので、1200年前そのままとは言えませんが、それでもかつて空海が、「そこには空と海しかない」と言わしめ自らの「号」とした当時と、同じ「海と空」が広がっています。
    これに比べたら、「自分の悩みなんて、小さい小さい」こう思えたりするものだと思います。

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