やっぱこの人のゲームは好きだわ。
前作をプレイ済な人には
「え?こんなにわかりやすくしないと駄目なの!?」
というぐらいにわかりやすくしている作品。
でも、最後までクリアすると、
「この、ラストシーンのためにわかりやすくしたのか…。」
と鳥肌ものだった。
・ゲームの概要
武器を求める人、武器を望まぬ人
武器を軽蔑する人、武器に期待する人
武器を製造する人、武器を使用する人
あらゆる人々の願いが込められた武器は
その願いを叶うべく戦地へと赴く
ダウンロードはこちら
武器屋から見える世界(戦争)の見え方を現した作品表
武器屋の武器職人として戦争に携わる話。
前回の「武器に願いを」及びそこからバージョンアップさせた「武器に願いを+」よりも、ゲームとしては戦争に深く携わる作品。
と言っても、主人公はお店と、自分の行きつけのお店を行き来する「日常」。
ただし、そこで話す人達から「戦争」を感じることでストーリーだ。
武器屋というパラドックスな存在
「武器に願いを」から一貫して、主人公が持ち続けている信念がある。
武器は語らない動かない
武器はあなたに全てを委ねる
現実には「死の商人」であり、「戦争に使われることを承知で武器を作ってる」ため、武器を作る人間の詭弁だと思われがちな言い回しである。
…もちろん、銃を使って警察官やるか、ゴロツキやるかはその人次第だ。
そして、みんなが警察に頼れるのは銃や鍛えられた肉体があるのも事実。
だから、文言はとても正しい。
しかし、これが戦争になったり、身近な誰かが亡くなると、自分自身の生活や命が武器によって脅かされても「正しいこと」を言い続けられるかというと難しくなる。
この作品の面白さは人々には主人公の「寡黙な武器職人」以外はみんなバイアスにそれぞれかかっていく。
武器職人である主人公の日常は変わらない。
周りが戦争してようが、平和を維持する人のためだろうが、武器を作ることには変わりないから…。
けど、戦争中にはそれまで無関心だった人も武器に関心を持つ。
そして、各々が自分が考える正義や、社会に感じていることについての「バイアス」がかかった発言をする。
このゲームは戦争の戦況が会話に影響を及ぼしていく。
しかし、戦況によって会話が変わっていくが、その方向性はキャラクターが受けている「バイアス」によって台詞が変わっている。
(今は削除されてしまったけど、)作者のブログの中にはこんな記述もあった。
武器に願いを2、細部までこだわりを持って作製できた。
自国のボスを天使に、各ステージのボスを悪魔にしたのは、自国の都合のよい解釈を演出するためである。
戦闘シーンについての記述だが、この考えは普通の会話の部分にも反映されてる。
主人公も含め、武器についての認識・解釈が登場人物ごとに違うのは「世界の見え方」が各々違うからであり、そこを表現しているからだと理解している。
この理解すら、ぼく自身の「世界の見え方」だろう。
でも、この作品は誰の見え方に対しても「正しい」「間違ってる」と言わない。
議論はあるし、その議論から勝ち負けが生じることはあるが、「答えがないもの」「その場ではとりあえず、それが正しそうな空気になった」という程度に留められてる。
そういう意味ではこの武器屋は作者さんでもあるんだろうなぁ…。
「(ゲームが何を語り、どこへ動いても、最終的には)ゲームはあなたに委ねる」
理解されないとか、話に乗っかれないと言う人が出そうな気がしたから
「こういう話であり、こういう視点で作られてる」
という咀嚼をしてみたものの…結局は、やる人次第なんだよなぁ…。
ゲームとしては「ユニット使い捨ての時間制限付きチェス」
ストーリー論について暑く語りすぎたが、ゲームの方もかなり斬新な作りだ。
ゲーム中に主に操作する画像はこちら。
画像右側の4番の部分。
このマス目の中に武器を当てはめて行き、当てはめた武器はチェスのコマのように動きまわる。
この駒の動きや相性をきっちりと覚えてないとゲームがクリアできないし、理解出来てても終盤の方では時間切れになる危険もあるため、難易度は「易しい」から始めることを個人的にはオススメ。
普通でも途中までは簡単だが、終盤に躓いて何度かやり直し、結局数日間の時間を費やしてクリアした。
簡単か難しいかは個人差があるから、やってから判断してもらえばいい。
大事なのは「武器屋なのに戦場を動かすゲーム」をするというところにある。
マクロとミクロも包括的に戦争を描かいている珍しい作品
このゲームは武器屋としてのストーリーを描きながらもゲーム自体は前線を描いてる。
前作「武器に願いを」にはこの描写はなかったが、今作にこうしたことで「後方支援」とか「資金力・政治」といった、戦場以外の部分が戦争を動かすことをも描写されている。
…確かに、操作は相手の駒の動きを読み、自分もコマを動かすチェスだ。
違いは「好きなコマを作れること」にある。
ある意味、「正しい戦争の形」と言える。
巨艦大砲主義で戦艦を量産する国の兵隊と、航空主兵主義で戦闘機を量産する国の兵隊じゃ、戦場で動き方が変わるのは当然だ。
あるいは、そこに至るまでの製造する素材や資源についての準備が大事になることやその違いもきっちりとゲームに反映させられるように描いている。
「戦争は戦場だけでできない」ことを知らないバカにこのゲームを配って歩きたい
本当に腹立たしいから言わせてもらうが、現実の日本国では前半のような「ミクロなバイアス」を戦争だと誤解している人が多すぎる。
多すぎた挙句、「後方支援」という軍事用語がわからないまま、安保法制に反対を表明する動画の中で、「戦場に前方も広報もあるのでしょうか??」とかほざいたSEALDsみたいな人達が「市民運動家」「若者の声」とか言われる始末だ!!
バカがバカなのはもうしょうがない。(※安倍政権擁護ではなく、議論する前提知識もない人を市民の声と言ってるのは、ちょっと同化していると思う…。)
しかし…バカの言ってることを面白がって担ぐ人がいるからたちが悪い。
ホント、あれを担ぎだしたやつらは万死に値する!!
…正直、フリーゲームレビューで、現実の話や政治の話をするのは失礼なことだと重々理解して言わないようにしてきた。
反戦を音楽家や役者が叫ぶことを「場違いだから帰れよ」「お勉強もせずに感情論ぶちまけてんじゃねーよ」と感じてる分、僕も言わないようにしてきた。
でも、今回のゲームだけは言わせて欲しい。
「なんでこれだけわかっている人が、創作に落とし込める人が世の中にいるのに、そういう知的なものではなく、バカの戯言ばかりが世の中を駆け巡るんだ!!!」
と煮えくり返った気持ちが収まらなくなってる自分がいる!!
これもまた、ぼくの世界の見え方に過ぎないけどね…。
…とにかくだ。
この作者は、マクロとミクロの戦争を両方とも表現できている。
「武器に願いを」では、マクロとミクロは薄っすらとしか繋がっていなかった。
ミクロな日常の世界を描き、日常の中でぼんやりと武器屋が戦争に貢献(加担)しているさまが描かれ、マクロな世界がミクロな自分の日常と周囲の言動を変えてしまう程度だった。
しかし、今回はゲームパートではマクロの戦争に後方支援として参加していることを描き、ミクロでは戦争中に生きる一市民としての日常を描いている。
だからやってほしい。
このゲームは学校の、社会科学習または平和学習の授業に使ってほしいぐらいだ!
シンプルに本質だけを紡いだ頭のいい作者が作ったゲームだ。
…それゆえにゲームパートは難しく、ストーリーのパートはここに書いたような予備知識が理解できてないと消化不良を起こす危険性の高いゲームなんだけどさ。
戦術SLG繋がりであり、作ったユニットが使い捨てになってる所が似てると感じた。