こんにちは、芥川龍之介は読んでるのに、芥川賞は死んでも読まないと決めてる三沢文也です。
こんなものを読みました。
「ラノベを読んでも読解力は身につかない」について持論展開する人たち – Togetterまとめ
タイトル時点で「おバカさん大集合」ぶりがわかるほど酷いですね。
「ラノベってどの世代ですか?」という手垢のついた質問をぶつけたくなることもさることながら、
「読解力が付くとかつかないって偏差値いくつぐらいの話をしてます?読解力がついた状況の定義を教えて下さい」というツッコミを入れたくなる死ぬほど頭が悪い人達の、頭の悪い議論でございます。
…つーか、僕の基礎力は中学時代に下井田くんの影響で読み始めたキノの旅と、高校時代に隣のクラスの大園くんに勧められて図書館通いして借りては読んでた「ぼくらの七日間戦争」からスタートするぼくらのシリーズが文章を書く時の基礎力になってます。
モロ、ラノベですね。
ただ、コテコテのラノベっ子ってわけでもないです。
一応、いわゆる文学作品も芥川龍之介・太宰治(一時期どっぷり)・坂口安吾・井伏鱒二らへんを嗜む程度と、村上春樹を数冊…あと、歴史が好きだった関係で池波正太郎とか司馬遼太郎とか読んでいますよ?
だけど、文学と言われてるものの中でもラノベ寄りな人達ばっか読んでるので、純文学な人には「文学読んでる」なんて恥ずかしくていえません。
きっと教育委員会公認の文学は夏目漱石とかだから、それを読んでない俺みたいなやつが読んでるのはラノベです。…レーベルが違うラノベです!!
…特に、三島由紀夫賞とかあっちらへんが好きな人に言わせれば、僕なんか本を読んでるうちにさえ入らないはず。
そして、その自覚ぐらいあるし、ないと彼らの尊厳に関わるはずなので、
だが、芥川賞ファンの貴様らには何の敬意もない!!
それどころか、あの程度の想像力の人間しか育めない奴が文学だなんだと言ってるところが、文学への風評被害だと思ってるから、自分たちが読んでるものがラノベとあんまり変わらない…。
文学を上位とした序列から見れば、君たちもまたラノベを読んでるってことにそろそろ気づいていただきたい限りである。 (よりこだわる人は「文学」と「文芸」は分けるし…。)
…そんな序列を鼻で笑うべく、この記事を書いてるから関係ないけどさ。
「芥川賞を全部読め」といった母が家族会議を招集した理由が忘れられない
ポリコレ上、いいか悪いかはともかくとして…多くの場合、中学生ぐらいには性に目覚めてる。本当に交際をするかどうかはともかく、下ネタや異性への興味ぐらいは当たり前にあると思う。
いや、そういうつもりでさえない程、恋愛にも女の子にも疎い男子中学生だったはずだが…我が家のパソコンで、当時流行りのフラッシュ倉庫を見ていた履歴を母に詮索されて、興味本位で見た「バストカップ占いの歌」についてのフラッシュを親の前で再生するという公開処刑をさせられる羽目になった。
想像してください。母親の前で「8組のバストのどれかを選ぶとしたら、キミはどれが好き」とかいってる動画を目の前で流させられる惨めさを。
細かい歌詞はバスト占いのうた/宮崎吐夢-カラオケ・歌詞検索|JOYSOUND.comを読んでもらえばわかるけど…男子中学生の若気の至りだって!
むしろ、フラッシュ倉庫の…イオナズンとか、千葉滋賀佐賀とか、ペリーとかも見たついでについでに見かけて、あの陽気な歌詞とズケズケ言うスタイルが面白くて再生しただけで…親に文句言われる家庭って何さ?
その気があればもっといかがわしいサイトでも、いかがわしいマンガでも買ってくるわドアホ!
でも当時の俺は、いちご100%もまともに読めなかったシャイな少年だよ!
その俺が、いちごパンツに目覚めるのではなく、母親の検閲によって心の傷を植え付けられる形で、「性」を認知したよ!!
そんな酷い目覚め、ある?
そんな俺の気持ちが、わかる?
その瞬間、芥川賞ごときじゃ語りきれないほど、文学的な存在になっちゃった俺の人生、わかる?
いや、「志村けんのバカ殿様」さえ見てはいけないほど、下ネタに厳しい家でしたよ?
だからこそ、男子中学生ノリの下ネタに興味をもつこと自体にトラウマを植え付けてきたんだけどさ…。
…そして、被害者が俺だけなら良かった。
俺が酷い目にあって、世界が平和に回るなら…。
だけど、我が家にはもう一人被害者がいたんだよ。
それが、僕の妹。
彼女は母親の意思を継いでちゃんと読書もする子だったよ。
ただ…私のように「本を読まない歳相応の男子中学生」ではなく、「本を読んだ結果として、成熟した女子中学生」に育った。
・母親の読書教育もさることながら
・隠れ腐女子として高校時代にまだまだヤンサンやプレイボーイで我慢してた俺よりも早く薄い本に手を出し
・しかも俺に「BLとはなんぞか」を叩き込んで、俺にまで腐女子力を植え付けて
・さらには俺が聴き始めた椎名林檎・東京事変を聞いてBL以外の方向にもこじらせるという
同じ家庭に育ったとは思えない「核弾頭クラスなオタク力」を持つ妹が育ちました
もうちょっと池袋・秋葉原の近くで育っていれば、もっと強くなれたが、当時は川崎というオタクが育ちにくい街だったことが、妹の才能を制約したことが悔やまれる。
しかも、この家庭がさらに制約をかける。
才能とはもっと無邪気で、もっとストイックなもの。
彼女は母の教え通り図書館に通ってこそいたが、その才能ゆえに途中から母に勧められた速読をやめて「キチッと本を読みたい」と違う道を歩み、借りてくる本もついにエドワード・ゴーリーの絵本を借りてきた。
帰宅してすぐの事だった。母親から「この本を読め。✕✕ちゃん(妹)がこんな恐ろしい物を借りてきた。精神に歪みがあるに違いない」とかIQ3な発言をし、私に手渡し救いのないホラーな展開な絵本にゾクッとしつつも、「確かに、怖い本だね」としぶしぶ言うしかない展開になり…なんと、晩には家族会議が始まってしまった。
妹の才能を母親が握りつぶしてしまった。
…これはオタク的な才能だけではない。
むしろ、受験に必要な国語的な問題を解く上での「思考の柔軟性」「精神の自由」を持つ機会をも奪ってしまったことが、後々教育業界の方からご指摘があり、「あーあのバカ親がダメにしなかったら…」となおさら悔やまれるのだ。
読解力とはなにか?妹の才能を潰されたと断言する理由とは何か?
教育関係者曰く、読解力は文字を読む処理能力と、想像力に分けることができる。
特に、想像力は自身の経験だけでなく、色んな本を分け隔てなく読める柔軟な感性と、それを機械的かつ客観的に問題に対して落としこむ能力を持つことで、小説の問題を解く結果に繋がるという。
そして、上位の学校ほど混ぜモノ抜きで、想像力勝負で問題が出るのだと。
そのため、歳相応のコンテンツしか見てない子どもは、想像力が育ちきらず上位の学校の受験に失敗することもままあると警鐘を鳴らす。
例えば、中学受験の場合は…女の子同士の友情や恋の話が出題されることがあるそうだが…小学校高学年の男子にとっては経験がなさすぎて意味がわからないらしい。(それがわかるかどうかがネックになる)
もちろん、「特殊な愛に目覚める」とか「生々しすぎてトラウマになる」みたいなリスクもあるため、無秩序に見せるべきではない。
ただ、年齢制限という発想が、果たして本当に教育的なのか?
親が育ちの良さを優先して、本やコンテンツを取り上げることが、いいことなのか?
そのことについて、もっと真剣に考えたほうがいいのではないか?
いや、そもそもだ!
芥川賞…や、その辺の小説を元ネタにした邦画なんか見るぐらいだったら、アニメとか洋画とか見た方ずっと変わった人を描いているし、ぶっ飛んだ人も描いている。
オタクが国語力があるとは思わないけど、オタク的なものでも分け隔てなく貪欲に飲み込む人こそ、国語的能力が高いとは思う。
散々母の悪口を言ってきたが、話を聞く限り若い時から偏屈なわけではなかった。
私の親になった頃には、歳を経てオタク迫害主義者にこそなったが、いち早くサザンオールスターズ的な…歌謡曲の時代にいち早く、ポップス・洋楽へと偏見を持たずにシフトした若者だった。
…まぁ、歳をとって椎名林檎を黒魔術呼ばわりするバカ女に成り果てたけど、元々は柔軟な感性で色んな娯楽を楽しみ、楽しむ過程で、同級生よりも柔軟に想像力を養った人だった。
…そう考えていく、妹の才能は間違いなく母に潰されたと思ったし、本人が自分の国語能力をキチッと定義できてないまま国語力=読書量だと思い込んだ辺り、非常に可哀想な生き物だと感じられた。
ちなみに、この話は受験的観点以外からも「親は過度に表現規制しないほうがいい」という話がいえる。
子どもをオタクにしたくなかったら、高校以前にアニメ・ゲームを取り上げないこと
というのも、僕は僕で不健全なものを適度に摂取しなかったことが、大学生になってからどっぷりオタク化することに繋がった。
だから、長い目で見ると「親の検閲による健全化」なんてものは本当に付け焼き刃だと思ってる。
いや、これは色んなオタクな人に聞くと…大学生になって自由になった時に、オタク的な面白いものを次々と知ってオタクになるタイプの人は一定数いる。
オタク的なものを見たことで精神が自由になったり、見聞が広がった気分になれるほど、僕みたいに制約・抑圧されて育った人が多いようだ。
ただ、これはあまりよろしくない。
最強のオタクに育てたいなら、岡田斗司夫みたく幼い時から英才教育すべきだし。
逆に、オタクにしたくないんだったら、ワクチン的にアニメやマンガを適量摂取させつつ、やるべきこともやらせるバランスを取るようにした方がいい。
大学生からオタクになっても、そのプライドや愛着とは裏腹にお金になるようなことはできない。
かといって一度どっぷりとオタクになると他の興味が著しくなくなる。
だから、一番よくないんだよ…大学生になってからどっぷりオタクになるパターンは!
想像力・読解力・自分の孤独を代弁する言葉が身についたところで、どこにも使いようもないからね。
そう考えると、精神の自由さ…その根源となる想像力を養う意味で、簡単に親が作品を取り上げたり、生理的に受けつけないものを持ったりしちゃいけないんですよ。
その一方で、芥川賞を全て読め!?芥川賞読んでも、
・中学生にトラウマを作るような教育と、
・エドワード・ゴーリー的な世界観を精神疾患と混同する白痴さと、
・俺はともかく、妹の精神的な自由さ…想像力の豊かささえ育ててあげられなかった想像力の乏しさ
にしかなってない、あなたみたいになりたくないから絶対読まない。
ちなみに、
・カラマゾフの兄弟
・ハックルベリー・フィンの冒険
もしつこく勧められたが、絶対に読まない。理由は同じ理由。
もし、同じような親がいて、なおかつ高圧的に教育的な健全さを強いてくるタイプの親であれば、警鐘を鳴らしておきたいから、僕は「同じ犠牲者を出さぬために」晒しておく。
でも、社会的にはハックルもカラマゾフも勧められてる本なので、私怨がない限りは読んだほうがいい。
いや、そういう偏見のない柔軟さこそが国語力であり、想像力であり、読解力なので、僕みたいな態度のやつは国語力とかそもそも一定数までしか上がらないんだと思います。
…まぁ、何の分野でもそうだよね。好きであることと素直で貪欲に吸収することが覚えたり、コツを掴む近道。
そのチャンスは、他人が摘みとっちゃいけないものなんだよ。
ちなみに、本を読まない癖に、 日記とか課外学習の感想文とかそういう表現することが大好きで(子どもの頃からちらほら評価されてた結果)、最終的にはブロガーにまでなってしまった僕のに言わせると、読解力と表現力は別物です。
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