ネガティブになる頻度を減らす方法

徹夜でドラマを見てた。
久々に嫌なことを思い出して怒りっぽい書き込みをしてしまった。

ここ最近、自分のことや自分の趣味に必死でTwitterに書き込む量が減って、むしろ自分の時間やクローズなチャットを楽しんでたのに、ドラマで嫌なことを思い出した時に突如としてネガティブな書き込みを乱発してしまった。

と同時に、ぼくが最近そんなことをしなくなった理由もわかった。
そうか、ぼくは今幸せを感じてるからネットでグズグズ言う機会が前に比べると減ったんだなぁ…と。

他人に期待しない・一隅を照らせ

笑っちゃうような話だけど、答えにたどり着いたと同時にオヤジの口癖にたどり着いてた

「男はおっさんになるとオヤジに似てくる」なんて言うけど…俺は29歳の段階で40,50のオヤジと同じ結論に至ってるから本当に似てるんだろう。

オヤジの口癖はこうだ。
「人に期待しすぎるな」
「一隅を照らせ」
若い時には「期待しないと失礼だろ」とか、「一隅なんて言わず、全体照らせよ」って思ってたけど、どうもオヤジの言葉は志が低いどころかリアリストそのものだということに、22ぐらいから無意識に実践してて、26ぐらいから徐々に気づきだして、29で完全に「あ、俺はオヤジが来た道を歩いてる」って思うようになった。

要するに言い方の問題なんだよ。
「人に期待しすぎるな」は、
「他人が変えるより自分を変えた方が簡単」
「人間はそうそう変われないから、自分のしてほしいことや考えを押しつけても平行線をたどるだけ」
ってこと。

ぼくはまだ若い青二才だから、もっと暴言じみた言い方をしてて
「人類はそんなに賢くないから、人類をアップデートするのは諦めた」
という我ながら「何様だよ」って言い方になっちゃってるけど…要するに、
他人が自分の都合のいいように変わることなんて期待せず、自分で自分を変えるか、自分に合ってる人や物を揃えるようにがんばります」
というだけ。これ、いい出した時は気づかなかったけど、冷静に考えるとオヤジの口癖に帰結してるんだよね。
16ぐらいに聞いたオヤジの言葉に13年ほどさまよって帰ってきちゃったわけ。

もう一個の
「一隅を照らせ」
はオヤジの座右の銘みたいなもんなんだけど…これも、言い方の問題で
「自分と同じものを楽しめる集団で一隅ぐらいは作れるよ」
という言い方もできるし、
「自分に照らしてほしい・なにかしてほしいと思ってるやつなんて、全体から見ると一隅ぐらいしかないよ。」
という言い方もできる。

例えば…ブログとか絶対読まない人にとっては「俺になにかしてほしい」とは絶対に思ってないけど、文章を読むこと・文章でSNS上でやり取りする相手を必要としてる人には、ぼくに面白いことをしたり、楽しい提案をしたりしてほしい…と望んでる人もいる。

これまた、若い青二才なぼくは仰々しい言い方をしてて
悩みや弱み、好きなことが共有できる人達の楽園になるような何かを作りたい
という頭つかって全力で頭の悪いことを言ってる

「みんなのための楽園」じゃないあたり、凄くシンプルに言えば「一隅を照らせ」なんだ。
ぼくは「自分たちの楽園を作ろう」と言ってることで、自分の目の前のこと、目の前の人に全力になろう・没頭しようとしてるからこれはこれで意味のある言い方なんだけどね。

 

「期待しない」と「一隅を照らせ」の2つが重なるとなにがいいか?
それは、「自分にとって、ソリのあわない相手のことを無理して考えなくていい」ってことだ。

他人も巻き込む…協力を期待すると、協力してくれない相手に腹が立つ。誰かのせいにばかりして自分が行動しない言い訳になる。

「みんなのために」なにかしようとすると、自分の提案をわかってくれない人や、どうがんばってもソリの合わない人にまであわせないといけない。
けど、「誰かのため、自分のため」なら…別に伝えたい人間のためだけにがんばればいい。

ネガティブになるのはいやなことを思いつめたり、自分に不利な基準に自分を当てはめたり、自分にはどうにもならない他人のことで頭をいっぱいにしすぎるから

ネガティブにならない方法は、自分基準に変えて、他人の期待する部分をへらすこと。
特に、話し合ってもソリの合わない人に期待する頻度を減らすこと。
話せばわかる人や、考え方が違った時にすり合わせることができる相手に絞り込むこと。また、そういう相手に対しては「期待」を超えて、「慈しみ」を持つこと。

「慈しみ」って感情は面白くて、あんまり他人と強くつながると、今度は腹が立つ前に心配になってくる。
話が通じる相手が応じられない時、大変そうな時「なんで応じてくれないんだ!」と思うのではなく、信頼関係ができてると「仕事忙しいのかな?体調悪いのかな?俺気に障ることを言ってしまったかな?」って心配になってくる。

そういう意味では他人に期待しているうち、みんなに目立とうとするうちは、愛情が深まりにくいとも言える。
だって、人のせいにしてるんだもん。

自分が相手を信じられる相手をしぼって「この人には」って思ってないんだもん。
「一隅を照らそう」と思ったら、その隅にいる…つまり、幸せにしたい相手も決まってきて、それが決まってくると、期待みたいな無責任な願望とはまた違う感情が湧いてくる。

「良くなってほしい」を期待するのと、
「良くなってほしい」を心から願って言葉をかけるのはぜんぜん違う。

 

願いがかなわないと神社や流れ星に怒る?怒らないでしょ?むしろ、自分のエゴやこうありたいという気持ちや立ちふるまいを決める行動だよね?

「今年もいい年でありますように」
ってお願いを神様に本気でしてる人もいるかもしれないけど、アレって照れ屋な日本人的な
「いい年にするためにがんばるぞー」
って意味じゃないの?

 

繊細なニュアンスだからくどいほど説明しちゃってるけど…伝わってるかな?

ぼくは神社で
「今年いい年にしてください」
という人よりも
「いい年になりますように」
みたいに言ってる人の方が、誰かにすがりすぎてない分、自分にできることをした上で天運に投げてる分だけ、誰かに怒ったり、誰かがなにかしないとできないことを計算に入れないで行動できるから、きっとストレスたまらないと思うんだわ。

相手のいる話を避けろって話ではなく、期待してないからこそ次の手を何パターンも考えて先に手を打てって話。
「いい年にしてね〜」ぐらいに言いつつ、してくれないときに別の神にお願いする準備もしつつ、万が一神降臨しちゃった時に「願いを一つ叶えよう」と言われたときのための回答も用意しとく。

それもない人がふわふわと「いい年にしてね〜」とか言っても神様迷惑すぎるでしょ。
神でも人間でも無責任な期待だけしといて、聞き返したら何も答えられない人とか迷惑すぎるでしょ。一緒になにかしたいとか巻き込みたいと思ったら、相手のこと考えて、色々先に考えておくようなことをして、嫌われないように、いい関係になれるように、するでしょ…。

「絶対うまくいく方法」なんてないよ?
でも、「嫌なことに囚われないで、どんどん自分のしたいこと・してほしいことを積み上げていくこと」はできるし、そっちに頭を切り替えたほうがストレスは貯まらないよね〜

ちなみに、オヤジが好きなプロポーズの言葉は釣りバカ日誌に載ってた「結婚してくれたら、ぼくが幸せになる自信があります」的なヤツだそうです。
他人に期待してないオヤジらしい考え方ですね(ちなみに、当人のプロポーズについてはなにも聞かされてないし、聞く気もないです。勝手にしてください)

 

 

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