不幸は伝染るぞ!!

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攻殻機動隊S.A.Cにこんなセリフが出てくる。

世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳をふさいで、口をつぐんで孤独に暮らせ(草薙素子)

このセリフっていくつかの意味に解釈できて、
1、犯罪なんか起こす前に、自分を変えて全うに生きろ
2、素子自身は警察官であって、政治家でも実業家でもないから世の中の人に決まりを守らせて正しく生きてもらうことしかできない
3、誰も世の中を変えることなんてできないが、自分を変えたり、嫌なものを遠ざけることで幸福に生きることはできるよ
のいずれにも捉えられる意味深な言葉だ。

攻殻機動隊…特にアニメ版に関しては押井守版であっても、神山健治版であっても、ARISEであっても、サイバーパンクな側面と、倫理的な側面の両方がある作品なんだ。
押井守版では警察官である前に一人の人間として悩んだり考えたりする部分が強調され、神山健治版では警察官としてのルールや決まりを特に正しく、時に柔軟に解釈しながら職業人をまっとうする素子の姿が描かれている。(ARISEの素子はもっと軍人っぽい)

よく、原作の攻殻機動隊を読んだ人から「攻殻のキャラクターはアニメ版よりももっと陽気だったのに」なんて言われるけど、アニメ版は素子を構成する色んな要素の中からどれをどの程度取り出すかによって、人格が変わっている。

しかしながら、サイバーパンクな部分がしっかり作り込まれているため、素子の振る舞いをどこに振っても成立する作りになっている。

警察官ぽくなろうが、軍人ぽくなろうが、圧倒的な技術や大きな事件の当事者だけが味わえる感情を揺さぶられる部分が素子の悪ガキっぽい部分をひきだ時があって、ポジショントークに聞こえるようなセリフの中に、人間なら誰にでも当てはまる部分を残している。

そんな素子の多面性が集約されたセリフが
世の中が不満なら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳をふさいで口をつぐんで孤独に暮らせ
なのだ。

だからこそ、素子なりの優しさがにじみ出た結果として、
世の中は簡単に変えることはできないが、自分を変え、嫌なものを遠ざけて暮らすことはできる
というセリフが出たとも言える。

 

不幸は伝染る。だからこそ、正しく生きなければならない

ぼくは、最近
自分がすさんでいると、ついつい自分のためにならないようなことにばかり首を突っ込んでしまう
という状態に陥ってしまったことがあった。

 

最初は自分にとって賛同できない部分の反対意見だけを述べればいいと思って物申した。
ところが相手が予想外にアホでかつ、人の話を聞いていない人で、びっくりするほどヤバいやつで…切り上げようにも次々と恐ろしいことをしていくため、その人のおぞましい部分をどこかで面白がってる自分がいた。

もちろん、実務的なことを考えたら一秒でも早く終わりたかった。
ところが、見たこともないほどヤバいやつ、アホなやつ、いくらでもボコボコにできるやつを見つけて、子どもが虫をルーペで焼くぐらいの感覚になって遊んでしまってる自分もいた。

もちろん、
「ただでさえ意見に反対なのに、人の怒りを逆撫でするようなことをしてた相手が悪い」
というのもある。

でも…お金にもならないし、ためにもならないし、楽しくもなっていかない相手を
「自分に正当性があって勝てるゲームだから、やれるだけボコボコにしよう」
なんて、考えてみたら結局は自分のためにもなってないじゃないですか…。

喧嘩両成敗とはよく言ったもので、「あいつが悪い、俺が正しい」と言ったところで、「つまらないケンカなんて、他人から見たら不愉快でしかないし、そもそも自分にとっても喧嘩に勝ったからなんだというのだ?」という話なんだよ。

実際にケンカをしたら強いやつか、諦めないやつが勝つんだけど…それは自分と相手の話でしかないんだよ。
しょーもないケンカをしている間に第三者に出し抜かれたり、近寄りがたい雰囲気を放つことで損をすることの方が実は多いんだよ。

揉め事って広い目で見たら、一番多いのは漁夫の利か、喧嘩両成敗なんだよね。

その時には勝ち負けがつくものに見えるけど、長い目で見たら気に食わないやつを簡単にぶん殴るやつも、安い挑発に乗っかるやつも「あー関わりたくねーな」で、寛大な第三者の意見でして…。

…あ、これ「何があってもケンカしちゃいけない」って言う話じゃないからね?
ケンカ1つとっても損得勘定して、第三者に気配りしてやらないと回り回って自分が損だよ?って話だから。

不幸なヤツや、イライラしているヤツは後先考えないで気に食わないヤツと喧嘩しがち。
逆に幸せな人は、ケンカや悪口以外の方法で反対意見を突きつける努力をする。

お互いの利益になることを提案して有利を取ったり、
ケンカを避けるために色んな妥協案を交渉したり、
直接殴るのではなく相手よりももっといいものを作って乗り越えたり、
揉め事に周囲を巻き込まないように場所や相手を選んだり…

子どものうちは頭を使って周りの人間や環境や評価を使って追い詰めていく狡猾な手段が思い浮かばないから殴る蹴るみたいなケンカをする。
でも、おとなになってそういうケンカをするのはあんまり得じゃない。

「暴行罪や恐喝罪のようなものがあるから」
というのもあるけど、賢い人ほど危ないものに近寄らないから

暴力をふるう相手や、正しくない相手と関わること自体が大人のケンカではもう半分負け…なんなら自分が悪いというところまであるから。

だから、自分に言い聞かせる必要がある。
不幸は伝染る
と。

言葉であれ、暴力であれ直接殴らないということを聞かない相手にモノを言う仕事・交友関係をお持ちの方が幸せに見える?
逆に誰かが言葉や暴力で殴りつけられている環境で、「明日殴られるのは自分かもしれない」という環境から幸せな気持ちが生まれる?

そう考えたら、不幸は伝染る。
伝染るものは予防として触ってはいけない。

だからルールのないケンカや、殴らないといけない相手に出くわすような場所に関わっちゃいけない。
スポーツや競技としてのディベートや格闘技は仕方ないが、ルール無用のストリートファイトは悪いやつだと思われて、いいヤツから距離を置かれるからやめておいたほうがいい。
第三者から見れば、ストリートファイトの勝敗よりもそもそも参戦してる時点でヤバいやつでしかない。だから…そのイメージを払拭するのは大変なんだよ。

 

世の中が不満なら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳をふさいで口をつぐんで孤独に暮らせ
は、不幸に感じている・関わっている・不幸を楽しいと思ってしまう自分を変えるか、不幸なことに距離をおいて不幸の連鎖を断ち切れというすごいありがたい言葉なんだよ。

 

同時に、幸福も伝染る

綺麗事に聞こえるかもしれないけど…幸せって上げられるし、もらえる。

聖人君子のような方や、成功していて今がとても幸せで幸せをわけてくれる人は…世の中意外といる。(社会で目立ってない人や目立っていても驚くほどサラッと綺麗事を実践している人はいる)
そして、尊敬できる人に出会えたら…それは人生の幸福度をぐっと上げる。

同時に、自分が好きな自分・右肩上がりを実感する自分になれているかどうか…幸福に伝染りたい、幸福を伝染したい人は…当然、自分がいい意味で注目される何かを持っている必要がある。

ネット上の論争でどツボにハマった話をした。
もちろん、幸福の循環に入れてもらえた話もある。

ぼくは何年もやってきたブログの技術を通じて「ブログレッスン」をしている。

ぼくはその人について色々チェックしていくうちにすごく好きになってしまった。
高校時代の学校の先生以来実に12年ぶりにベタぼれしてうわ言のように「好き…好き…」という日々。

結果論から言うと片思いなんだが…悪いようにはされてなく、それどころかぼくが知らないことを色々教わった。

最近のことで行くと…EMS機器を誕生日プレゼントにもらった。
痩せたねと言われたいなら「スクワット+EMS機器+もも裏歩き+軽いヨガ」が楽でいいぞ
金額自体はびっくりするほど高いものでもなく、なんなら自費購入できるぐらいのものなんだが…毎日毎日習慣として筋トレをすること、痩せるということ…肩こり・腰痛とおさらばした生活をする喜びをその人に頂いて、すごく変わった。

そのきっかけも面白くて、ぼくは気になって時間がある時には時々彼女のSNSを見に行く。
すると「誕生日ですよ」と出ていたから「お誕生日おめでとう」とお金はないからせめて言葉だけでも贈りたいと思ったら…幸せとプレゼントをお返ししてもらった。

プレゼントって教養と経済力の象徴だから来年こそはなんか贈りたい…と思ってる自分がいる。
気づきそうで気づかない…でも相手のためになるようなものが贈れる人になりたいと思ってる。

時々病んでしまうと、その人が見ていたら絶対に恥ずかしくなるであろう行動をしてしまうのだが…そういうことを考えられるようになったり、逆にいいことをしている時・喜びの報告をして話したいと思うあまり、自分一人の時でいる時よりも幸せになろうとする意識が高まった。

同時に不幸が伝染りそうな時に、その人の存在が自分の中で防波堤になるようになった。

やめろと言われたわけじゃなく、
「恥知らずだと思われたくない」
という気持ちが働くようになり、彼女と会ってからトラブルに巻き込まれたり首を突っ込むことはかなり減った。(今回、2年ぶりぐらいにドツボにはまったわけだが)

「守るものができた」
なんて大層なもんじゃないよ?できたとしたら美意識と信仰。

でも、
「誰かに胸をはれる自分になりたい。」
「幸せをくれたその人が見ているのに、不幸を伝染してしまったら申し訳ない」
という気持ちはすごく働くようになった。

レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンみたいな話でしょ?
でも、それがここ2年ぐらいのぼくの人生なんだよ。
まぁ、この国は経歴と肩書がモノを言うから市長になったりはしないと思うけど。

人生のある時期から毒親と、自称進学校と、心ないネット民と…色んな人に不幸を伝染し、伝染されの人生で来てたぼくにとっては、その人が盗みを許してくれたミリエル司教みたいなところがあるわけだよ。

あと何人かそういう人はいるし、きっかけになったできごとは色々あるんだけど…一番大きなポイントはその人の存在だ。

幸福も伝染る。
もはや不幸で染まってしまった人には何もかもが手遅れかもしれない。
でも、心ある者にとって見失いかけた時に帰る場所になる。

ぼくにとってのターニングポイントは17歳の時に見た全盛期のニコニコ動画と、27歳の時にあったその子なんだ。

読んでほしいからとかそういうのどうでもよくて、戒めのために自分に向けて書く。
恥ずかしくなるような酷いことをしかけたら、思い出すために書いておく。

君の人生をいい方に変えたのはネットでバカなこと言ってる人ではなく、ニコニコ動画全盛期のオタク文化と、ブログ経由で来てくれた良質な読者のはずだ。迷った時はもらった幸福をムダにしないための、紡いでいくための行動を選ぶべきだ
と。

仰々しいけど、これでおしまい。
人に強要したくて書いてるわけじゃないから、どう生きるからは読んだ君らにおまかせするよ。

 

前半の攻殻機動隊語りで興味を持った人はよかったら読んでみてね。

 

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