「最近のオタク何もできない」問題は、昔の「とりあえず運動部入っとけ」問題

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ツイッターを見てたら、ここ10年ぐらい繰り返されてる問題を見つけた。

この問題があるから、昔の学校教育や地域社会では「とりあえず運動部に入っとけ」という話がされてた。
これは、「運動部に入っていれば、毎日必ず運動するのだからスポーツは上手にならなくても健康な肉体は手に入るし、団体行動もできる人間に育つから、色んなことの基礎になるから運動部に入りましょう」という教えで、地方の学校であればあるほどこの傾向は強い。

実態は、運動も勉強も中途半端な器用貧乏を量産する原因にもなってるから必ずしも正しい教えとも言えない。
しかし、ご指摘にあるように、何かを目標があるわけでもなく、作りたいわけでもないのにオタクになっちゃうような人達を運動部は生み出さないから…「とりあえず運動部」は、正しい側面もある教えだ。

空っぽなオタクが生まれる理由

オタクには目標がない。
部活ならば「目の前の大会を目指して」とか「同じ部活のやつよりも上手になりたい」とか色々あるけど、オタクにとっての上手って何?…ないんだよ。

オタクだってものを作る側になることはあるけど、それはオタクのクリエイターであって、オタクがみんな物を作ってるわけじゃない。

オタク的なことがなんの役にも立たないとは言わない。
体力・時間・お金が許す限り流行を追いかけて自分なりの意見や考えが形成されることはある。
ゲームやることで、ルールを覚えていくうちに戦術や思考法を身に着けて極めていくことはできる。
何らかの創作をすれば、当然ツールの使い方や、作品をよく見せるための演出やきれいに作るための技も身につける。

ただし、作品やリサーチした結果を公表しない限りは…全部自己満足。
公表すれば、お金になることもあるし、優劣・叱咤激励があることで成長するチャンスや人と接する術を覚えることもあるが、それがオタクというわけでもない。

ほとんどの運動部員は一度ぐらい大会に出るのを目標にがんばるが、それもない。
部の人数が多すぎて大会に出られないにしても、集団生活の厳しさやサポートの大切さを学んだりするが…オタクにはそういうこともない。

ただし、逆に「目標を与えられない」からこそ伸びるのもオタク

ここで難しいのは
「自分の子どもがオタクになったら運動部に無理やり入れて持たせるべき?」
とか、
「オタクをやらせるにしても親と目標を共有していきあたりばったりを避けるべき?」
という議論は必ずしも当てはまらないことだ。

というのも、優秀な人がオタクになると運動部に入れるよりも早く成功することもあるからだ。
実際問題、誰かに決められた目標がないからこそ、在学中に学生の枠を超えてプロになったり、仕事を取ってきたりする人も少数ながらいる。

自分で他人から決められた目標よりも上のこと…横一列の競争以上のことができている人はどんどんオタクになってほしい!!
そういう人は何もできないオタクにならないで、自分でオタク的なことをもっと楽しむために何を学んだらいいか、どうしたら色んなことができるようになるかを考えてオタクライフを楽しむから。

でも、そうじゃない人は「とりあえず運動部」からスタートしてどうぞ。
「オタクをやるな」って言ってんじゃないよ?自由参加の世界だし。

でも、自分で課題発見能力もないし、なにかに秀でるだけの才能や行動力もない人がいきなりオタクやってもただめんどくさいやつになるだけだからおすすめしないよ!

オタク以外の通常の教育では、偏差値で輪切りにして
「このぐらい頭がいい子なら校則も決めないで自由にやらせたほうが伸びる」
という感じで、いい意味での放任主義な教育の中でのびのび成長していく。

偏差値によって子どもの待遇を決めるのは絶対的な正解じゃない。
しかし、ろくに目標もなくいきあたりばったりオタクをやった結果なんの技能も身につかないし、楽しそうでもない人を多く目にしていくと、偏差値が低い人に
「とりあえず、できない君たちのために学校と先生がいっぱい課題をあげるよ。自由になりたかったらいい学校・いい就職を決めてからどうぞ」
って言う方針は間違ってるとも言いにくいんだよなぁ…。

それを的確にデキる人がいないから放任主義側の方が成功して見えるけど、最低限の目標や意識をあげておかないと本当にただただダメになっていくし、それにNoという壁もなくなっていくから…難しいところ。

これは運動部でもそうだよね?
運動部の団体行動やスポーツを勉強する・競争する効果はそれだけでもいいけど、もっともっと効率的に高める指導法や端末・設備の持ち込みを学校側が認めてくれたら、もっと真剣に打ち込んで成功した人は増えたはず。

才能と行動力で自分で自分の生き方や目標を決めていける人はそれでいいよ?
ただ…それができない人を導くことって…自分自身から見ても、ルールの中に組み込むにせよ、忙しくて子どもの面倒なんかろくに見られない学校の先生に託すにせよ「これが正解」ってところがないのよねぇ。

 

だから難しい。

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オタクやるんだったら、好奇心と美意識だけは持ってきたほうがいいよ。

本当は才能とか行動力を持ち込んでほしいけど…そんなのみんなが持ってるもんじゃないので、求められない。

そもそも、自分も含めたみんなの楽しみのために才能や行動力が必要かって言われたらそれも違うし。

オタクやる上で「これがあったほうが、なにもないオタクになりにくいよ」と思うものは、好奇心と美意識じゃないかな?と僕は考えてる。

好奇心は…興味の広さ。
男の人だとオタク的なことにしか興味ない人もいるけど、これが女性だとまた違っていたり…。
オタク的な分析力で女性が見るような海外ドラマやゴールデンタイムのアニメを見ると共通の話題になったり。
あるいは、時事問題や哲学的な題材を勉強すると学問の知識が身についたり。
テレビやアニメで見たことを自分で実践して旅や動画を作ってみたいと思えば、その分だけスキルが上がったり…。

それでも、人に自慢できる・お金になる成果物になるかはわからないけど…好奇心を持ってオタクやってると「何にもできないオタク」になることを大きく回避することができる。

美意識というのは「が美しい」という審美眼に近いものよりかは、「自分がどうなりたいか」という良心みたいなもの。

自分の場合は、母親に「そんな事も知らないの!?」と子どもの頃に言われたのがすごーく嫌だったので、よほど頭いい人が相手じゃない限り知らないで恥をかくということは絶対にしたくない。
一方で、オタクしかできないオタクというのも、バブル女の母はさんざっぱらバカにしてたので、そういう人間に優しくできる人になりたいと同時に、ものわかりが悪い女に第一印象で見限られる屈辱も受けたくない。

「お天道様が見てる」じゃないのだが…自分が親や運動部時代に接してきた一般的な人、オタクだけを基準に生きているわけじゃない女性におすすめできるかどうか、面白いと思ってもらえるかどうかみたいな「自分の中にある第三者的な基準」が何に対してもある。
子どもの頃のトラウマで自分のストッパーみたいになっているからもうちょっと取り外し自由にしたいところもあるが…オタク的に面白いものと、誰がどう見ても面白いものをうまく自分なりに分けるフィルターになっている。

これがブログや動画でレビューや読み物にする時には、役に立っている。
「面白いマンガを見つけたけど、このマンガが面白いのはオタクだけか?それとも、女性が読んでも楽しめるのか?」
「女性の本音がストレートに突き刺さる作品を見つけた。痛快だけど、オタクが読むとちょっと刺激が強いのかな?」
「面白いと言われてる作品だけど、どうもモラル的に引っかかる。これは限られた人なら楽しめるけど、みんなにすすめるのはダメだろう。」
と言った感じに、オタクとして色んなものを深く掘り下げようとすると、他人に勧めたい時や、面白さを言葉に出したい時に配慮が必要なシーンは多い。

その配慮をどこまでしたらいいか考える時に「美意識」や「良心」はあったほうがいいと思う。

オタクたちが交流の場として使うインターネットは技術上ボーダレスな世界だ。
しかし、これは逆に言うとインターネットは「つなげちゃいけない人」もつなげているため、事前にどんな人がこれを読むかを想定する必要がある。(全員に配慮する必要はないが、嫌われたくない層や自分がされたくない誤解にはきちっと心配りしておくべき)

もし、何にもできないオタクが何もできなくなる理由が
「ツイッターやSNSで議論する間もないほど、ゲームやアニメに夢中で毎日が楽しいから」
というならどうぞご自由に。それは1つの到達点なので、尊敬します。

しかし、ネットでクダ巻いてて幸せそうでもなんでもない人であるなら好奇心を持って面白そうなところからもっとつついてみるか、自分の発言や作品選びに美意識を持っていい作品を勧めて仲間を増やしたり、どうなりたいというオタクライフの方向を考えるのに使ってはいかがでしょうか?

以上、どっちかというと何もできないオタクからでした。

 

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