政治家やマスコミ、活動家達が言ってることは本当に思想なんですか?

意味がありそうでない記事を読んだ。

そもそもの「保守」って何? 日本独特の「ねじれ」内包

保守の語源から、日本の保守主義の起源までいかにも意味がありそうなことを語ってる記事だ。言ってることは多分「知識として」正しいのだと思う。

 

でも、そんな意味深に政治家が保守という言葉を使っているとも、革新という言葉を使っているとも思えない。また、わかっていると思えるだけの頭がいい発言をしているかと言われると、コレも疑問符を覚える。

 

保守批判でもあるが、保守以外の思想もだいたいのものは「思想」ではなく「行動選択の傾向」でしかない。敢えてきっちりと言葉にするなら「認知」だとか「認知から来る対応」とでも言うべきか?

敵ありきのものは思想とは言わない

いきなり政治の話をして

「なんだか難しいですね」

とか言われても困るから、車の運転に例える。

 

例えば、運転することでどうしたいか?またそのために何が必要か。

「目的地まで事故なしで安全に目的にいきたい。そのためにはこんな交通ルールが必要だ。」

「目的地まで最速で行きたい。そのためにはこんな道路が必要だ。」

「目的地まで渋滞がなく毎日同じぐらいの所要時間で行きたい。そのために車線を増やしたり、信号に引っかからないで済む道路にして欲しい。」

は思想だ。自分がどうしたいかがあって、そのために必要な政策が提示される。一見具体性がないように見えるが、目的として共有することで「どうするほうがいいのか」という議論や検証がなされ、物事を決める基準になる。

 

目的に応じて速度制限をつけたほうがいいのか、標識は必要なのか、

 

認知の場合はこうだ。

ドライバー「自転車は車のことなんか考えて動いてくれない。自転車が車道を走ると轢きそうになって怖いし、目的地までつくのが遅くなって邪魔だ。だから、歩道を走って欲しい。」

歩行者「自転車が音もなく後ろから迫ってくると轢かれそうで怖い。自転車だって全力で走れば、20キロ以上出るから原付バイクと危険度はそんなに変わらなくて怖い思いをしている。だから、車道を走って欲しい。」

一見具体的なシチュエーション・提案があるからこちらのほうがより建設的な話に聞こえる。

しかし、文章を見てもらえればわかるように、「自転車」という仮想敵がいなければ、これらは成立し得ない言い分だ。なぜなら、自転車を排除しても、危険なものは消えないし、危険なものが現れるたびに「出て行け」というだけ。どうしたいかはないけど、自分達に対して弊害があると感じたら出て行けというだけ。

 

「弊害がある」という認知ありきの対応…。

それしかない。追い出すだけで、自分達が実現したいものがあるわけでも、そのために何かを検証・研究し続けているわけでもない。敵を見つけて批判し続けるだけ。

 

話を政治のことに戻そう。

政治思想と呼べるだけの「どうしたいか」「そのためにはどっちがいいのか」を常に考えている政治家ももしかしたらいるのかもしれない。

しかし、マスコミ上で報道される政治家像・政策批判はどうしたいでもどっちがいいでもなく、議論や俗論という認知と、それに対する対応である。

 

最近の話題から例に出しておくか。

政治家「自衛隊の活動できる範囲を拡大します。また、政治家(内閣)の決定で動かしやすいようにします。」

マスコミ「悪い政治家に悪用されるかもしれないじゃないか!」

SHIELDs「政治家が勝手に決めるなんて変だ。政治家が密室で大事なことを決めるなんて民主主義に反している。」

自民党の政治家・保守寄りのネット民「中国(人によっては「支那」)の脅威がある以上、やむを得ないことだ」

Togetter民「中国の脅威とか言っておきながら、安保制定後の自衛隊の初仕事は中国軍の護衛。ネトウヨm9(^Д^)プギャー

 

「どれに現実味があって」とか「私はどれです」という気はない。

見てほしいのは「これを積み重ねていって、最終的にこうすべきだと考えているからからこれが必要です」という人はほとんどいないこと。

 

この手の話をよくまとめているのが「右翼と左翼」というサイトのこの画像だ。

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さっき太字にしたところを思い出して欲しい。

リベラルを標榜する左寄りの団体であるSHIELDsやマスメディアは「政治家」が仮想敵だった。彼らの敵は資本家であり、体制の不正であって外ではない。

それに対して保守を標榜する右寄りの政治家・ネット民の仮想敵は「中国の脅威」であった。彼らの敵は海外勢力であって国内にはいない(いるとすると「海外の息のかかっ西洋かぶれや外国人」という認知)なのだ。

 

ちなみに、右翼と左翼・保守とリベラル(革新)は厳密には意味が違うけど、報道されたり世に言われるものは大体同じ意味だと思ってもらって差し支えない。

 

元々はもっとどうしていきたいという進歩や理念があった言葉なのかもしれないが、この国では認知する敵と、認知した結果として対応する相手で分けて考えるべきラベルであって、元々の言葉のようなキッチリとしたビジョンや思想があるものではない。

 

思想があったとしても、思想を口実とした敵への攻撃である可能性もあるから要注意だね。最近はこの手のトリックがバレ始めてるから、何かと大それたことを言って煙に巻こうとする人が増えているから「真意」を見抜くように注意して聞かなくちゃ。

 

真意を見抜いた結果として、誰を仮想敵に据えてるか・誰に嫌悪感を持って批判したり、政策を行おうとしているかを見抜いてその政治家・そのコメンテーターが右翼か左翼か、保守か革新かを見抜けばいいと思うよ…。

 

最後に、これはどっちかに所属しないといけないということもありません。むしろ、所属しようとすると仮想敵に応じたことしか自分の思想に近い言論人が語らないため、大変歯がゆい感じがします。

 

人間に何一つ落ち度のない人なんかいないように、政治家や資本家が悪い場合も、中国やアメリカが悪い場合もあります。

しかし、その時に「これ、この国が、この人が悪いのでは?」と思っててもそれが言論人の仮想敵でない場合スルーされてしまう(またはダシにして誰か別の人を攻撃する)だけで、まともなことをしゃべろうとしません。

 

だから、右翼や左翼に属することは思考を妨げます。オススメできません。

それを踏まえて、僕は右翼であろうと左翼であろうと贈りたいのはセリフがこちら。

愚かな猿ども、お前達はそうやって永遠に敵を探し続け、周囲に流されるまま攻撃してただウサを晴らしていく。

 

貴様らサルを動かしているのは正義ではない。異なる人間を見下し、自分はみんなと同じだと安心したい…そんな醜い劣等感にすぎない。

 

(ガッチャマンクラウズインサイト10話より、鈴木理詰夢の台詞より)

 

でわでわ($・・)/~~~

 

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専門用語にはぐらかされがちですが、実際には「何を考えて喋っているか」を見抜く方が大事だったりなわけです。

 

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