日本ハムの歴史をたどっていくと「本拠地」の大事さに気付かされる

スポンサーリンク


少し前に「監督の歴史シリーズ」と題して、ロッテやオリックス、西武の歴史について書いた。

きっかけは、
阪急・オリックスで、福良監督の前の生え抜きの監督はだれだったっけ?
と調べ始めたところ、なんと44年間も生え抜きの監督がいないばかりか、2リーグ制以降生え抜きの監督で優勝したことがないチームであることがわかり、そこから沼にハマったようにほかの球団の歴史も調べた。

 

今回取り上げる日本ハムも、生え抜きの監督はすごく少ない。
いや、そもそも「生え抜き」以前の問題として、野球が好きな人でも「日本ハムの昭和の名選手を10人挙げよ」といわれたら、けっこう困るのでは?

「昭和のプロ野球だけで40年近い歴史があるんだから、10人なんて余裕。30人だって挙がるはず」

と思うじゃん。

巨人軍だったら、「30人挙げろ」と言われても言えるだろう。
V9メンバーと、80年代の名選手、外国人助っ人に、移籍してきたメンバー…全部覚えてる人なら50人ぐらい挙げられるだろう。

でも、ハムで昭和の名選手を10人挙げるのは苦しいだろう…。
移籍選手や助っ人を交えてかろうじて10人挙がる人でも優秀で、日ハムからキャリアをスタートした選手だけで10人とか言われたら…かなり難易度が上がるだろう。(やってみればわかるけど)

 

何が言いたいかと言うと、そのぐらい知られてない。
なぜなら、昭和または、20世紀中に優勝したのはたったの2回しかない弱小球団だから

21世紀にはもう5回も優勝している日ハムだが、なんと20世紀は5回しか優勝してない。

20世紀中に2回しか優勝できなかったのは、日ハムと横浜だけ。
阪神や近鉄だってもうちょっとぐらい優勝してる。

 

…なんでこんな弱いのか?
そして、なんで今は強くなれたのか。

初代オーナーは…スパイ、かつての本拠地には神宮球場も

日本ハムが弱かった理由はいくつかあるんだけど…その1つが、本拠地問題が解決できないまま50年も球団運営をやってたことにある。

 

日本ハムの本拠地の移転はすごくて、

後楽園

駒沢野球場:オリンピックのせいで取り壊し

神宮球場:大学野球の合間に間借りする。翌年国鉄が来ることもあってすぐに去る

後楽園、東京ドーム:巨人に間借り

札幌ドーム:中田翔の膝に負荷をかけまくる劣悪な球場。札幌市に高いマージンを取られながら奮闘するも、毎年主力選手を放出してしまうほどの赤字状態に。

北広島市に新球場:しょうがないから自分達で球場を作ることに

と、コロコロ変わっている。
しかも、未だに新球場を作ってる。

 

オーナー会社もコロコロ変わっていて、

セネターズ:個人で立ち上げ

東急フライヤーズ:1954年に傍系企業の社長に運営を譲る。ただし、球団保有は73年まで東急。

東映フライヤーズ:金払いが悪いわ、チームの方針に口を出すわ、映画産業自体が斜陽になっていくわで…73年に3億円で売却。(71年にパイオニアに売却しようとしたが、断念)

日拓ホームフライヤーズ:1年で売却。ロッテオリオンズと合併しかかるほど悲惨なことになったが、ギリギリ合併しないで、日本ハムへ。

日本ハムファイターズ:現代に至る。今では「ファンのための番号」を永久欠番にする球団が多い中、日ハムの初代オーナーが永久欠番にしている。(※さらに面白いのは、選手の永久欠番がいないのに、オーナーが永久欠番になってるところ)ただ、それだけ野球好きだった日ハムのオーナーが赤字でも間借りしていても、球団を持ち続けてきたため、日ハムは今すごく強くなってる。

…赤字球団が多かったパ・リーグの中でも特に赤字だった球団の1つ…それがハムなわけ。

 

そして、セネターズのオーナー…つまり、日本ハムの前身に当たる初代オーナーがなかなかすごくて…Wikipediaをみるとこんな記述がある。

正直、この人のWikipediaだけでもすごく面白い。
総理大臣で華族の西園寺公望の孫で、1920年代に共産主義ブームだったイギリスに留学して、共産主義者になってスパイに。
スパイとして逮捕された後も国交ができる前の中国に移住したり、創価学会に接近したり…という波乱万丈人生を歩んでいるのだが…戦後、実業家として実家の資金を使って活動している時にその活動の1つとしてセネターズのオーナーも引き受けている。

 

…が、これは脇道なので、興味のある人だけWikipediaをどうぞ。
西園寺公望(Wikipedia)

 

話を戻そう。

経営母体は1970年代まで、本拠地は2000年代まで安定しないため、当然ながらまとまったファンを育てることもできないし、選手の育成方針や設備投資もまとまらない状態で…ずっと来ている。

 

本拠地や経営母体が迷走している球団は基本的に弱い。
ましてや、その両方が迷走しているのだもの!弱いに決まってる!!

監督の歴史!?…いや、日ハムの悩ましいところは「監督は悪くない」んだよ…。
自前で監督を育てるだけの計画性やお金がなかったことが悔やまれるものの、だからこそ「有名な監督」を引っ張ってきて、それがたまに成功している。

監督をやってもらう球団から、独自に監督を選ぶ球団へ

例えば、日ハムが20世紀中に優勝した時の監督は水原茂と、大沢啓二。

この二人は、もともとは別の球団で監督をして、実績もあった人だけど…オーナーと一悶着あって、辞めた人達。
それがたまたま、いい選手が来るタイミングで監督になって、いい結果を残している。

 

他には上田利治監督なんかもそうだね。
優勝こそしなかったけど、阪急での超長期政権を引き受けた後に日ハムで指揮を執り、優勝まであと一歩まできた。

 

TBS時代の横浜ベイスターズにも言えることだけど…経営母体が安定しない、監督育成やフロント側のノウハウが育ってない時は…「なんとなく実績がある人に丸投げする」というやり方をして、30年に一度ぐらい優勝するような感じになってしまう。

 

実績で採ってるから監督は豪華。
はっきり言って、北海道移転後よりも、東京時代の日ハムのほうが監督やった人は豪華!!

だが…当たるかと言われると別問題。

 

水原監督の時は、張本勲が打ちまくっている一方で、フロントとして援護できるだけのお金はなかったから、1回しか優勝していない。

大沢監督の時には、トニー・ソレイタが大暴れしたから勝てたが、投手の方は、かなり力押ししてしまったため、岡部憲明や木田勇などは、1年2年でだめになってしまった。

 

21世紀は優勝をたくさんしているけど…NPBでの実績がある人に任せきっていたかと言うと…そうではない。

 

というのも、ヒルマンも、栗山英樹監督もNPBでの監督経験はゼロ。

梨田監督は近鉄での優勝経験がある名監督だけど、梨田野球のカラーと当時の日ハムが噛み合ってたかと言うと…ぜんぜん違うチームで勝ってる。
実際、日ハムのフロントと、梨田の間で起用法をめぐる軋轢があったりもしたけど…それでも優勝できるチームが作れている。

 

逆に言うと、監督をバックアップする体制を見直したからこそ、名監督に頼りすぎなくてもいい(実績がある人を呼んでも、勝てる方に口が出せる・定期的に戦力を送り出せる)チームになってる。
いや、プロ野球選手としての実績ばかりを見ないで、指導者としての実績や他の球団が目をつけないであろう独自の視点や価値観をうまく持ち合わせることに成功してる。

 

監督の選び方もさることながら、選手が伸びてくるスピードが早くなったことも大きい。

今も昔も日本ハムは選手の入れ替わりが激しい。
昔は優勝するために酷使したり、逆に看板選手でもお金が払えなくて出ていくケースが多かった。
しかし今は、ダルビッシュや大谷がメジャーへ羽ばたこうが、糸井も小谷野も大野も増井も陽岱鋼をトレードやFAで放出しようが、次の選手が作れるチームに生まれ変わっている。

お金が払いづらい体制は今も続いているけど、それでも「日ハムにいたい」という選手を出しても、球団が持つようになった。

 

これが、監督任せの球団だと監督を変えた途端に愛想を尽かせて出ていってしまったり、逆に良かった選手が悪くなってしまったり、色々あるんだけど監督頼みになりすぎないことで、北海道に移転してから安定していい選手が5年おきぐらいにそろっては、優勝してる。

 

しかも、まだまだ伸びしろがあるからすごい。
日ハムは本拠地や経営の問題がもっと安定すれば、ハムは選手を急いで出さなくて良くなる分もっと良くなるのは、野球ファンならみんな知ってる。

北海道に拠点を構える球団が他にいないし、北海道はローカルに自分達の応援するブランドが好きな土地柄だから、ちゃんと黒字経営できる仕組みと、勝ち続ける仕組みができればもっと強くなると思う。

 

冒頭でも紹介したように、日ハムはオーナーを永久欠番にしているすごく珍しい球団。
それだけオーナーが野球好きで、半ば道楽みたいな部分がないと球団を持っていられない時代もあったし、東京にいた頃のハムはごりごりに昭和臭い球団だった。

 

しかし、北海道に移転してから、最も平成らしい球団になった。
ITから入ってきた企業よりもデータや独自の視点を重んじているし、選手が「野球選手」というよりも「アスリート」な方向にシフトすることにも成功している。

 

時代や方針の転換に見事に成功している球団なので、2リーグ制成立当初から日本ハムファイターズの歴史をさかのぼっていくと、もっと色んなモノが出てきそうな気がする。
それだけ大きな変化をしているし、今も変化し続けてるから、ハムの歴史は深くて面白い。

 

おまけ:まだ日ハムが昭和のど真ん中だったころ

カープ女子とか、鷹女が見たらどんな顔するか見てみたいので、これ貼っとく。

東京に来る前の日ハムのマスコットです。
ユニフォームにも昭和感出てるけど、もう今の子どもが見たら…泣くでしょ!これは!!

ぼくが野球見始めた頃の日ハムのマスコットキャラがこれ。

怖いとか怖くないとかそれ以前の問題として「マジかよ」って思ったのを、子どもながらに覚えてる。これのせいで、ぼくの中での日ハムのイメージは「イロモノ」だもん…。

加えて、日ハムの選手のイメージが岩本がんちゃんだったから、西武には平成の怪物が来て、オリックスはイチローが活躍している時期に、ファイティとがんちゃんだから…すごく時代を逆行してる感じがしてたよ…日ハムが東京にいる最後の時期は。

 

なまじ静止画にしちゃったせいですごく怖い…。

ちなみに、キャラクターもけっこう昭和というか、生々しいと言うか、蓄ペンと重なるものがあるので、よかったら動画で見てみてください。

曲とかもひっくるめて懐かしいです。

はっきり言うけど…日本ハムのもともとの姿はこうなんだよ…。

 

これがあんなふうに変わるとはなぁ…。

 

多分、下手なビジネス書よりも、ビジネスな話が読めるんじゃないかな…。それだけの大変貌を遂げてるわけだし…。

 

◆関連記事:各球団の監督の歴史

ロッテの監督、球団創設以来ずっと呪われてる問題
大多数のプロ野球ファンは知らない。今でこそ12球団で最も地味なロッテだが、実は2回ほど球界の盟主になれそうなぐらいすごい時期があったことを

20年間生え抜き監督を貫く西武歴代監督の歴史
逆に一時的に覇権を握り、その後も強い球団としての体制を維持しているのが西武。巨人の次に黒歴史の少ない安定した運営が続けられてる球団

スポンサーリンク