ぼくがブログだけは諦めずに続けてこられた理由

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趣味には大きくわけて「発信する趣味」と「受信する趣味」、「発信できるだけの力をつけるまでに大量かつ厳しい受信を積まないといけない趣味」の3種類がある。

 

インターネットでできる趣味の多くは「発信できる趣味」だ。
ブログも、絵も、写真も…ヘタクソなりに自分の表現を発信できるからね。
ヘタクソもいる半面、色んな人が参加してきてクリエイティブに色んなことが作られていく。
創作系だけでなく、マイナーでセオリーやトレーニング法が確立されてないスポーツも「発信できる趣味」の要素が強い。

 

一方、スポーツの多くは、最終的には発信する趣味だが…発信するために大量の受信を必要とする趣味だ。
自分らしいプレイをしようと思ったら、試合に出て自分の存在を知らしめようと思ったらたくさんの練習や勉強が必要。
…早い人は小学生からやらされるが、ものすごくハードルの高い趣味だ。

 

ブログという趣味の好きなところは、「やったもん勝ち」でかつ「下手な人もいっぱい参加してくるから、新しいものが生まれやすい」ってところ。

野球やサッカーのような趣味は確かにすごい。
しかしながら、あまりにも研究が進みすぎていて、自己表現としてできるクリエイティブな部分は、必然的に減ってしまう。
ぼくは自己表現する以前に試合に出る・出ないのところで挫折しまったが、結果的にブログにのめり込めてよかったと思う。

内輪にウケたから続けたブログが、ワールドワイドに大炎上

ぼくがブログの雛形として、始めたものは「友達向けに日記をメルマガとして送る」という試みで、仲間内からはネタ日記と呼ばれてた。
それが、学校の先生や部活の先輩まで読まれていたため、ぼくの中では「あー文章の才能あるんだ」とちょっと自信を持てた。

この辺は部活や勉強と違って、自己表現できる趣味だからとても良かったかも。

 

ぼくはよくも悪くも「総じて普通」ぐらいの学生だったため、自分の得意分野を見つけると全力で極めたがった。
同時に、「総じて普通」と言いつつも、努力してやっと普通…ではなく、「すごいものはすごいけど、苦手なものはとことん苦手だから、総合すると普通」というタイプで、勉強で言えば暗記科目は最強だったが、逆に英語が大の苦手だった。

その事もあって、文章で人を笑わせる面白さにガツッとハマった。
国語が得意だったわけじゃない。
関西で育ったこと・テレビでお笑いをたくさん見ていて面白いことに敏感だったこともあって、自分に怒った出来事を面白おかしく語ることに長けていた。

大学生になってからmixiで文章を書くようになっても割とすぐにウケた。
ところが、mixiが衰退しちゃったから、書く場所を、はてなに移して、ブログというものを始めた。

 

はてなで書くにあたって…得意なことで壁にぶつかった。
ぼくのことを全く知らない人に向けて文章を書くのと、ぼくのことを知ってる人に対して文章を書くことは全く別の競技」ということに気づくのに、2年ぐらいかかった。
つまり、自分が「才能がある」と錯覚してたことは「ぼくのキャラクターや、一緒に体験したできごとを知ってたから、そこに尾ひれをつけて面白おかしく語る漫談の才能」であった
「文章がうまい」とか、「知らない人を納得させる論理性や、言葉遣いのうまさ」みたいなものはまったくなかったことに気づかされた。
…いや、正確に言うと…自分の漫談に落とし込むことができれば…論理や文章がおかしくても、読んでもらうことができたのだが…そこに気づくまで、時間がかかった。

 

わかりにくいかもしれないから、例を出そう。
政治や経済の記事を書く時に、知識やできごとを駆使して、「新聞や雑誌のような記事を書く能力」はぼくにはない。
ただ、自分が体験したことを通じて、「新聞・雑誌で言うところの社説やコラム、投稿された意見」のようなもの語ることで、政治や経済の理解を相手に深めてもらうことはできる。

例えば…アイドルのライブを見に行ったことはないけど…アイドルと生でお会いしたことが3回ある。1回は撮影、1回は楽屋訪問、1回はほぼプライベート。
アイドル全体のことは実際にたくさんの取材や資料を漁らないとわからないけど、自分がアイドルに対して湧いた特別な感情を言葉にすることで「世の中の人はなんでアイドルを特別だと感じるのか」を自分なりの意見や体験を通じて、納得させたり、読み物として楽しませることができる。

 

…つまり、主観が入るような情報であったり、自分の日常から他人との共感する接点を見つけて漫談に落とし込むトーク技術は高い。
しかし、客観的なこと…例えば、論文やNHKの報道のようなことは、自分の色が出てしまったり、知識不足が明るみに出るため、ぼくはやらないほうがいい。

 

こういう得手不得手を試行錯誤しながら学んだ。
しかし、その過程で、ヘタクソなものをたくさん書いたため、たくさん批判された。

しかも、精神をこじらせてほとんど病人の状態で記事を書いていたため、内容がめちゃくちゃだったため、度々炎上した。

それでもブログを書き続けたのは、ブログしかないと思ってたから

後に発覚したことだが…ぼくの得意不得意が激しいのは発達障害という生まれ持った障害だった。悲しい気持ちがないわけではないが、躁うつ病になったことをきっかけに発達障害の検査を受けて「そういう障害なんだ」と発覚して結果的には安心した。

得意不得意が激しいことで
「俺有能!」
と思うときと
「あれ??なんでできないんだ???」
と思う時の差が著しくて、自己評価や自己肯定感をどの位置に置けばいいかすごく悩んでいたため、病気をきっかけに自分が何者かを理解できて、すごくありがたかった。

 

…同時に、得意なことを精一杯がんばれる環境に23歳まで…人生がどん底に落ちて、何もすることがなくて悩むまで機会がなかった。
空気を読んでなんとなく、みんながやっている部活や勉強をがんばってはいたけど、他人の影響や世間体を一切抜きにして「自発的に選んだはじめてのもの」がブログで、文章だった。

 

だから、ぼくはブログや文章と心中しようと思っている。

結婚したり財を成さない限りは
「仕方なく死にたい。自殺願望はないが、事故や事件に巻き込まれるならしょうがない。」
と思っているところもある。

奥さんや子どもができちゃったらちゃんと生きたいよ?
でも、誰からも認められてないなら生きてる価値を世間からも自分自身でも認められないから死んじゃっていいかな…とは正直思う。

…これ、逆に言うと「充実した生を送れるだけの環境が整えば、生きていたい」という考えの、裏返しでもあるけど。

 

かといって、ブログ書いている現状が幸せかと言うと…そうでもない。
ブログに対して悪口を言われたり、書いていることに毎日毎日罵倒されたり、たまに無断転載されたり…酷いことされてる。
思ったよりも読まれないと「なんでこんなことやってんだろう」という気持ちにもなる。

 

それでも、ブログを続けてるのは…書き続けていることで自分の人生が好転しているからじゃないかな?
自信が持てて、友達できて、勉強したり努力するきっかけになって、周りから共感・尊敬されて、誰かの役に立てて…批判もされてるけど、応援の声もたくさんもらってる。

 

世の中では「それをサラリーマン生活や、学校生活やらないやつは、邪道だ」とおっしゃると思うのですが…邪道こそぼくの覇道だったんだよ。ぼくも残念だけど。

ぼくはオヤジみたいな「優れたサラリーマン」になりたかったんだよ?

オヤジすごいんだぜ!?
ぼくと妹が小学校に行った後に出勤して、帰りだってご飯食べおわったぐらいの時間に帰ってきていたし、少年野球の集まりや親の当番も回ってくる分はきちっとこなしてた。

「これだけワークバランスが安定していて、比較的不自由のない生活を送らせる事のできるのがサラリーマンなら、ぜひともそうなりたい」
と俺は思ってたよ?
諸事情でなれなかったので、邪道を行ってるけど、元々は王道志向だよ?ぼくは。

 

で、ぼくみたいな邪道な人がけっこういる。
発達障害を持っていたり、世の中に標準的に支給される娯楽では楽しめない・救われない人にブログを書けば、手を差し伸べられる。

邪道な人同士楽しく生きられたらいいなぁ~と思って、ブログ書いてる。

 

同時に、自分が邪道な人間だから、邪道なりにできることを見つけた時に、周りから叩かれても
「うるさい、ぼくにはこれしかないんだ!これに関しては、努力して認めさせてやるからな!!」
と思えた。

普通の勤め人になれてたら、ブログなんてめんどくさいものやめて、もっと気長で叩かれずにかける小説や、動画作成とかをやって埋もれてたかも。
…設備や勉強する道具が変えるお金も作れてたからよくも悪くもハングリーにはなれなかったかも。

 

ブログは…無から有を小さいながらも創れる。
今は厳しくなったとは言え、広告を入れるのはタダだし、ブログを続けるのもタダ。

でも、大化けするチャンスがある。

 

だから、貧乏でも続けられてるし、色んな人に技術をつけて、会社員向いてない人にも邪道な人生を楽しんでもらいたい…という気持ちで続けてるし、教えてる。

王道にはなれないと思うけど、邪道を突き進んでいるうちに支持者が増えた時に、それが覇道と言われるようになれば…と思う限りだ。

ブログを始めたい人はよかったらどうぞ。

 

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