最近、どうしても好きになれないマンガが出てきた。
ウマ娘シンデレラグレイが読みたくてヤンジャンアプリをインストールした。
その際、「本日の更新」として「ハイスペ夫、捨てました」表示され読んだ。
読んだ理由は「ヤングジャンプのアプリでこの題材をやるなんて珍しい」と思って読み始めたのだが、ヤングジャンプの読者にはミスマッチすぎる内容に【編集部のセンスを疑う】とブチ切れるほど嫌いなマンガだった。
バカ女ってさ…口喧嘩で使える便利な言葉(便利語)好きだよね〜
ぼくがモラハラを題材にしたマンガが嫌いな理由を一言で言えば、見出しの通りだ。
もうちょっと詳細に言えば、
・男性で「モラハラ」なんて言葉を口にする人はほとんどいない
・そもそも、他人とはいえ同性を悪意のある形で描かれるのが不愉快
・レディースコミックで「モラハラ」を扱ったマンガは女性自身が言い返すだけの能力がない。
・多くの男性は「モラハラ」に限らず、「ハラスメント」「ポリコレ」「ジェンダー」にうんざりしてる。
などなどの理由で「マンガみたいな娯楽でも、男叩きして楽しいですか?」ぐらいの感覚しかしないんですよね。
加えて、ぼくの個人的な事情として
「過去に(モラハラ彼氏と別れ、別れた後も付きまとわれる)【凪のお暇】を推した側の人間として、女性がモラハラマンガを振りかざし、男性が楽しく読んでるマンガ媒体にまでモラハラの波が来てしまったことにすごく責任を感じる」
というのがあって、核兵器を生み出してしまった後に責任を感じて反核運動をするアインシュタインの気分になったわけです。
凪のお暇が好きな女性からすると
「あれだってモラハラ彼氏を扱った作品なのに、なんで男のお前が気に入って読んでるんだ?」
と思われるかもしれない。
凪のお暇って内向的な人間特有の追い詰められ方・病み方・視野を広げて立ち直る過程が、うつやドロップアウトを経験した人間なら男女問わず共感できるんです。
もちろん、男性には「当たり前に彼女がいる」という世界観はないから「モラハラ彼氏でも彼氏がいる」という世界観はレディースコミックならではのテイストなんです。
ぼく自身が躁うつ病経験者だから、内向的で抑うつ兆候のある人には「うつヌケ」と「凪のお暇」はセットで読んで欲しい名著だと思ってます。
凪のお暇は「モラハラ彼氏」も確かに出てきますが、内向的な人間の抱える数多くの人間関係の問題の1つでしかないのです。だから、レディースコミックでも人間関係が苦手な男性も共感して読めるんです。
つまり…「モラハラ」という言葉にすごく抵抗感があるだけで、人間関係の悩みは男だろうと女だろうとあるんです。
また、男性でも言い返せない理不尽な意見を相手にすることはあるんですが…その相手が男だろうと女だろうといちいち「モラハラ」という言葉を使わないんです。
だから、「よくある人間関係の悩みをハラスメントだなんだと騒ぎ立てるのは、レッテル貼りだし、ダサいよね」みたいな感覚で見てたんです。
「モラハラ」という概念に先見性を感じる事件を見つけて、意見が変わる
今朝、こんなニュースが話題になってました。
2週間の自室待機を強いられている自治医科大生がこの貧相な支給品の中で学生課に牛乳とヨーグルトを要求しただけでこんなメールが飛んでくるの怖すぎでしょ… pic.twitter.com/hGE1ZwNPyi
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) May 27, 2021
経緯を細かく読みたい人はツイートを読んでもらえばいいのですが…注目すべきはここ
「そうでなければ、自治医大を退学して幼稚園へ行くことを強く勧めます」
大学の事務員にせよ、教授にせよここまで強い物言いをする人を見たことがありません。
しかしですね…医療業界ってパワハラやモラハラが横行してる世界なのは、医局を扱ったマンガではよく描かれてることなんです。
私は、そういう問題を読みたい人には医龍をおすすめしてます。
研修医や女医さん、看護師や異端児と言った医者の世界でエリート街道を歩みづらい人達がそれぞれの立場から医局の問題を描いてて面白い(かなり前の作品ですが、今マスコミ報道される問題と通じる問題も多い)からおすすめです。
問題は「パワハラ・モラハラが教育」だと思ってる男性がけっこう実在すること
女性についてはよくわかんないけど、男性でパワハラやモラハラが教育だと思ってるエリート層はけっこういるみたいです。
通常、パワハラ・モラハラは体育会系のお家芸みたいに思われがちですが…アレはキツいトレーニングをやらせることが目的です。
エリート層のパワハラはどちらかと言うと「天狗になった鼻をへし折ることが必要」という観点で行われます。
その様子はインベスターZというマンガがすごくわかりやすいです。
ラサール高校をモデルとしたエリート校に通う高校生たちに、OB達が理不尽な罵声を浴びせる合宿のシーン。
最初は、主人公もブチ切れるのですが、『キレたところで何も解決しない』と気づいた主人公は「自己否定をすることも必要な儀式なんだ」と考えるようになっていきます。
凡人の我々には贅沢な悩みなんですが…エリート街道まっしぐらの人にとっては「自己否定される」というのが新鮮であり、学びなんです。
当人たちに接してみると「難関校には俺以上の天才なんていっぱいいる」とか謙遜するんですけど、根っこの部分ではプライドを持ってたり、エリート校にいたことの選民意識が抜けきらないんですよね…。
だから、エリート層であったり、一度でもトップに食い込んだ人にとって
「自己否定は教育」
「パワハラやモラハラぐらいで折れるやつが弱い」
というメンタリティなんです。
また、よくも悪くも「勝ち続けること」の執着が凡人よりもすごい人達だから
「否定されても結果で見返せない自分が悪い」
と自分にも他人にも思ってしまう奴らがエリート層なんです。
トイアンナさんという人気のブロガーさんが、電通に就職するようなエリート層についてこんな言葉で説明しています。
「エリート街道を降りたら負け」というトップ層の価値観
さらに、ここまで成功してきた人は死にもの狂いで頑張ってきたからこそ「ゲームを降りる」ことができない。これまで10倍、100倍の難関を潜り抜けたのだ。今さら普通に過ごしてきた人たちのような暮らしを選ぶことは、努力をフイにするのと同じ。降りることは社会的な死を意味する。
結果として、エリートだらけの組織には自浄作用がなくて旧態依然なんです。
電通でも、医局でも、官僚でも、下にいる人間が
「困難を乗り越えて周りを認めさせないと負け犬になってしまう」
という強迫観念が強すぎて、仕組みやルールを疑って変えようとする自浄作用が働かないんです。
ルールや仕組み、序列やメンツで縛ることのできない【本当に優秀な人】は、自分で起業したり、外資系で高い給料をもらって世界の人に物怖じしないで発言できたりするんですが…そうじゃないエリートは旧態依然の仕組みで競争し続ける道を歩むんです。
それが職場だけならいいのですが…縁あって恋人とかになった女性に対して、モラハラが始める視野の狭いエリートが残念ながらいるですね。
エリート男子は「自分と同じように、理不尽に応えないと負けだと思い込む人間」を期待するんです。
でも、恋人なんて学歴や競争で選抜するもんじゃないから…女の子は「何様のつもり?」って思った気持ちをモラハラと言うんですね。
そこまで気づいた上で「モラハラ」について考えると、けっこう深い言葉だと思います。
こじらせるまで病院に行かない男と、異変に気づくと病院に行く女
一般的に女の人の訴えは「大げさ」だとか「ヒステリー」と言われる傾向が強いです。
私自身もどっちかと言うと、「大げさ」「ヒステリー」「めんどくさい」と感じることが多い立場です。
しかし、だからこそ女性は長生きできるのかな?と思うこともあります。
「傾向」として、女性の方が少ない異常で病院にかかり、男性の場合痛くて仕方ない・生活に支障をきたすまで病院に行かないそうです。(何で読んだか忘れたけど、わからなくはないです)
また、男性の描く病気エッセイは重度なものや難病、あるいは色々な人の証言を集めて「これだけしっかりまとめれば読んでくれるだろう」という物が多いです。
一方で、女性の場合はコミックエッセイどころか、レディースコミックでも「抑うつ」について語る作品があるだけでなく…すごい人だと「憂鬱」程度で作品にまとめちゃったりする人もいます。
このコミックも、躁うつ病持ちの私からすると「憂鬱ぐらい誰にだってあるのに、そんなしょーもないテーマを作品にするな」と当時は作者のはあちゅうさんに激昂したのをよく覚えています。
しかしですね…モラハラについて考えた時に少し考えが変わりました。
男性や女性でも理不尽なルールに慣れ親しんだ人は「危険」に気づかなかったり、気づいてても壊れるまで戦うことでおかしくなってしまうのかもしれません。
また、今までの社会に「危険を危険だと警鐘を鳴らす空気」が少なすぎただけで、実はもっと些細な異常について語っていったほうが社会全体にとっていいこともあるのかもしれません。
もちろん、女性の取り越し苦労や、見当違いの訴えもいっぱいあります。
しかし、モラハラのように「深く考えてみると、色んな闇を浮き彫りにするすごいテーマ」もあるので、そういうのはもっと評価されてもいいのかもしれません。