経営パワーの危機 三枝匡

TMが思うに最高の経営(者)指南書の一つ…です。経験談とその結論の理由(アカデミック)の両方から攻めてるだけに精度も鮮度も高い作品。

経営パワーの危機―会社再建の企業変革ドラマ (日経ビジネス人文庫)

四の五の言わず、品書きから入るぞ。

お品書き

  1. 経営者は「自戒と孤独」の無人島で生きられる人
  2. 大企業が業績不振になるのは「大奥化」するから
  3. 僕が「体が勝手に動く」を求めることの理由

  • リーダーという生き物

(この話がしたくて書いた部分が強いから、長いけど、付き合ってよ!…な、)

なんでもそうだけどさ…人ってのは肉厚で生まれてきてるからな、一皮・二皮頑張れば向けられるんさ。方法はいろいろあってよ、俺みたいにその道の有名人になってもいい。でもさ…経営者ってのはアイデアマンで終われないから俺なんかに比べりゃ、ずっと大人な存在だ。実際、アマチュアブロガーは相手をワクワクさせるアイデアがあれば続くけど、経営者って野郎はよ、全部(成果物・金・人・自分自身さえ)見ないといけない。人の命を積んだ船の船長よ。経済っていう、予報も当たらない海を航海し続けるんだ。

ベンチャー企業で呉越同舟・一心同体に運命を共にして頑張るなら多少は気持ちを分かってくれる人もいるだろう?

だけど「組織」である以上、自分の利益や生活があってその下に仕事がある奴もいる。勝ち馬に乗せてもらいたいだけ、あるいは仕事ってモノに対してあって当然だと思ってる人。

「経営者は孤独である」といったときに、思いつく理由が2つある。1つは「自分の仕事を分かってくれる人がいない」という話。仕事を隅々まで知ってる人間・部門や立場を超えて大鉈(おおなた)を振れるやつがその組織の中で経営者当人だけであるというケース。経営者は一番仕事ができたり、立場がある分、経営者が頼るほどに仕事ができるか、立場がないと、モノが言えない。

もう一個は経営者という立場の心情。経営者は人一倍抱える仕事も責任も多いからメンタル上の負担が多い。これは「刺し込まれたとき」だけじゃない。勝ちすぎた時にも言える。何でもできる気分、何でもさせられる天狗の気分になる。これを押さえ込み、会社を安定した経営軌道に乗せ続けるのは容易なことではない。

日本にはその孤独の中で自分がやるべきことを見出す訓練をする機会がない…それが「経営パワーの危機」なのだ。経営者になろうという体験を、経営者的に板挟み揉め事を全部引き受けて組織の「政治パワー」をうまく調整しつつ、外側に向かっていく力にする「経営パワー」がないんだ。そして、それは育てることに手間とリスクがかかることもあり、いつまでも組織にぶら下がる「子ども」みたいな野郎ばかり育ててきた。

人を孤独にするのは意外と「名誉」なんだ。これは僕の実体験で知ってる。僕はさ、通るべき道を通ってきただけだ。「メディアと創作と経済に憂い・怒り・尊敬を持ってるから自分のよかれと思う方に変えたい。骨はその未来の中に埋めよう」と思ってやってきたことのまだ2歩目だよ。3歩目を踏み出そうと頑張ってるが、2歩目。

俺の話を聞いてくれる人を集めただけ。俺を信用して話を振ってくれる人を集めただけ。

たったそれだけ有名になるにも、莫大な精神的負担…批判だけじゃない。誰にも相談できないことの孤独さを感じた。「一人でいることの」孤独ではなく、「一人だけになった」孤独。それをない頭使って、必死に考えて答えを出していかないといけない。二歩目で倒れたら、成仏できないし、俺にも俺を笑う奴にも負ける。

報われないんだよ!俺のために何かしてくれた人に。うかばれないんだ。ここまでやって来た過去の俺と、そこまで運んできてくれた愛好者が。俺のブログの読者はみんな優秀で真面目な人達だからさ、俺みたいな孤独を味わったり、飛び込んで行く日がいつか来ると思う。僕はその時にこの本は大いに役に立つと言いたいんだ。
この人もまた、経営者に人生で何度かなり、俺みたいな孤独をもっとドロドロとした利害関係や政治的パワーの中で味わった。俺のように孤独なだけじゃないんだ。孤独を乗り越えないと明日もその日の夕方もないんだ。そのぐらいのシリアスさが問われる。

くどい?そのぐらい重要なんだよ。耳につくぐらいにしてくれないと、この話は伝わらないから、俺と筆者の体験談をちゃんぽんして同じことを繰り返してる。

そして、その孤独を味わう機会から逃げ回ってる人間が多いことも重ねて申し上げておく。失敗を恐れて…夢よりも命のために生きて…あるいは、その経営者をつまらない虚栄心で貶める。…それが日本の組織だよ。
それでも生きていけたという意味では「サラリーマンの楽園」を先人は作ったかもしれない。ちょうど戦争前に生まれた連中がみんながいいもん食える・いい生活できる世の中を作ったかもしれない。そして、それが強かった時期はたしかにあった。

だけど、楽園は失われた。仕事の方が足りなくなった今のこの国は、仕事を選んで身体的に楽な仕事に群がろうとする人が増えた国では、みんなが孤独にさらされる・保身と功利のためだけに生きられない世になってきた。

それをちゃんと知って欲しいんだ。過剰にサービスが良くなりすぎた、消費者が強くなりすぎた現在は「経営者的な感覚」はたった数人のリーダーを現場でやってても必要とされる。それを知らない人間がいい加減にやったことは自分に跳ね返ってくる。いらないとクビにされる事はなくても、冷や飯食わされるぐらいのことはもう当たり前になってきた。空気に同調して「言われたことをやる」だけでは生きられない人生になってきた。そんな野郎には仕事が押し付けられ、死んじまうか時間かけても評価がない損な人生に落ちるだけにな。

てめーの上司はてめーのことを好きの嫌いので文句を言うんじゃない。文句を言って、孤独になることも仕事なんだよ。そうしないとてめーはいつまで経っても仕事の塩梅がわかんないからはっきり言うんだ。言われない程に、期待されないほどに冷や飯喰らいになってもいいなら俺は止めねーよ?

経営者はその連続さ。一番部下持ってるんだから、儲けて会社を健全にしとかないと全部自分が叩かれるんだから当然に言わないといけないんさ。褒めることは結果をやっとの思いで出せた2流のため。右も左もわからん3流は怒って教えないと。忙しい仕事場ほどそうやって教えられてきた。1流になればよ、黙ってても金くれるし、黙ってても話を振ってくれるし、そばに置いてくれる。

そのために必要なのは、組織の中で常に経営者って言う変わった仕事をしてる生き物の事を知ろうとする事。その機会をもらっては活かすこと。失敗もあるだろうけど、吊り橋の上で下向いてどうする。谷底に落ちる自分の姿を想像してどうする?それで橋が渡れるか?違うだろ!

失敗は付きものだけどさ、がっかりするほど見てないわけじゃないんだよ。結果のための努力の方向性・努力の本気が見えるヤツは運が悪い失敗も芳しくない成果でも手を差し伸べてくれる野郎はいる。精神的に孤独でもさ、それを一歩超えていこうと思うときには常に後ろにも前にも誰かいる。

その誰かは「僕の孤独」を知らなくても、ちゃんと戦っていることだけはしってる。そこが重要なんだ。

  • オヤジが行けない世界

企業の兵隊として、企業をたくさん見た「会社系知識人」としては日本でも有数の存在であろう私のオヤジに聞いた。
TM「それほど子どもに知識も経験も人脈もさずけて、なぜ独立しない?」

オヤジは前述した経営者の孤独の話をした。それでも、理解のない妻を持って、頭の悪い子どもを育ててきたオヤジなら俺にはその孤独は大したものに感じられなかった。だから、もう一度聞いた。すると、得意の組織論でこんなことを行った。

父「TM、お前は「上司の上司」の難しさを知っているか?」

「経営パワーの危機」ではこの「上司の上司」としての社長の難しさが問われる。オヤジはちょうどその間にいる存在らしいのだが、その「上司の上司」になると、末端が見えない状態で判断をしないといけない立場に立たされて、自分の成果を自分だけで取れないそうだ。

オヤジ曰く、その立場になったときに「信用できる部下がやってる」ならいいのだが、真ん中がアホだったりすると自分の仕事が増えたり、下のスピードが落ちるそうだ。「上司の上司の上司」ともなると、ダメな人が下に2つ続くと完全にその命令回路・売上のための回路はイかれるそうだ。

会社の中で飯を食う事、それも親父が優秀な上司まではあるがややこしい仕事・難しい仕事をやりながら、現状の地位を守ってる・名刺上は部下が何人もいそうな名誉を持ってる理由はこの「上司の上司(の上司)」の難しさが経営の難しさだからだという。

組織をこじんまりとさせれば、この問題は解決するが、大きくしようと思えばそれは難しい。

ちなみに、この「上司の上司」論の典型的な経営者は楽天の三木谷氏だと思う。

急勾配で企業を成長させたときに陥りやすい弱点として「上司の上司」が管理できない部下が弱々しくなるという欠点がある。そのため、企業は「成長のし過ぎには気を付けない」といけないのだが、IT長者はそれを知らずに、上がるままに上がって、最後は自信に溢れて拡大志向の経営者と、サービスのクォリティーが維持できない現場の間で、起こる。これが現場の間でも起こって経営者はその調整をしないのだから、組織が腐る。

腐ったみかんは横にあるみかんも腐らせ、最後はハエとカビが箱から飛び出てくる。

楽天という企業は本書で言う「起業家的拡大の危機」というやつ、オヤジの言う「上司の上司」問題にハマった企業の典型ではないだろうか?

また、オヤジの言う「上司の上司」問題はこの本の結論である「経営者の孤独」にも、直結する。それは「上司の上司である孤独」にも直結するからだ。

経営者感覚をもった後継者・コストだけではなく、全体の問題を見ながら相手の立場を汲み取りつつも、変えさせる立場の辛さがわからないため、大きくなった組織は現場からは自分達のご都合主義・幹部からは経営者の指示待ちという本書で言う「商売感覚の危機」が起こる。

天狗になって経営者自身が間違えたり、組織で「育てなかった」からサービスが遅れたりする。だから、経営はアイデアマンであることだけではできないし、逆にただの事務屋でも人間的な事がわかってないとできない。

そこが重要なんだ。

  • 本書に出てくる因果律は要するに「体で動く」事。

最後、短くこの話だけする。本書でしつこく出てくる「経営者の因果律」…理屈上正しいもののおかしさを経営者のカンで見抜く力だが…これはどんなことにも言える。

僕にはブログの因果律がちょこっと見える。名作だと言える記事が書けたとき、かける時は空気が違う。意識が一度内向きになって、そこから走り出すようなパワーと衝動がある。

そして、語ろうとするものに怒りとか敬意…あるいは「愛」。要するに、「偏った気持ち」が湧く。
その力を毎日出せるところに着けた時が僕が日本有数のブロガー…記事を依頼されるぐらいの身分になるだろう。

一流とは考えるよりも手や足がすべきことのために向かっていく。そこにたどり着けた時の報酬の大きさが大きいのが今の仕事だ。経営学上、高度なことをやってるからできてる?理論なんて後付だ。人をそこまで育て上げるだけの「何か」がないと、俺が今いる仕事は稼げない。同人誌を作るための資金、小説やブログの資料集めの資金を稼ぐこともできない。

因果律を知りたいから現場に飛び込んだ。現場変える力は現場にしかないものだからな。

みんなが赤子から子ども・大人になるように、社長だって現場を経験して生まれる。ただ、現場というのは人の気持ちを知るために普通の一兵卒になることだけじゃない。自分で端から端までやりくりして責任を背負う経営者の現場もある。

経営を変えたかったら、経営学を学びたけりゃ、自分で社長をやらなきゃ!

初めは「理屈の上に乗ってる」だけだが、因果律は何をやっても真面目に長く続けりゃ見えてくる。その先にある成功体験を知った時に、趣味も仕事がたまらなく楽しくなる。

結果だけじゃねーんだ。世界が変わるんだ。売れる日・売れない日のムラはしゃーない。だけどさ、見える世界が変わった時の楽しさはどの世界にもある。僕は今、文章を書くのに本当の意味で自由になれつつある。これだって「因果律」が見えないとできないこと。見えたからヒット記事がかけ、ヒットしなくても名作がかける。

そこが重要なんだ。

経営パワーの危機

経営パワーの危機
著者:三枝匡

読書日記
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これが「目」で語る戦いだ
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