知ってるか?経済とエコノミーはちがうんだぜ?

前々から人文系・経済系の勘違い野郎共に言いたくて仕方がなかったこと…それをやろう。

経済という言葉をイメージ的に捉える人が多くて誤解されたイメージが先行してる。曰く「金儲けの道具」、曰く「経済指数を分析し、予測する人」、曰く「大金や権力そのもの」…そういう意味合いで「経済」を捉える人が素人にはかなり多い。酷い場合は経済学者・経済人と呼ばれる大手企業の経営者・幹部にまで浸透してる。

が、私に言わせればそんな解釈は「教養ではなく常識がない」んだ。その話をさせてくれ。

 『経済』は実は外来語 、『エコノミー=経済』は誤訳

僕がブログを書く上で参考にしてる経済系の人が「日下公人」さんという方なんだけど…「欧米の経済学には道徳が考えの中に配慮されてない。正確には、昔は前提になってたモラルがなくなり、頭でっかちな理論だけが一人歩きしてしまった」という言い方を色んな著書でされている。

実際、経世済民の略語として「経済」という言葉があって、経済は別に株価や指数ばかり追いかけたり、改善するものでもモデルを作って理論だてるものでもない。

『世を經(おさ)め、民を濟(すく)う』

これが本来の意味で、中国の古典(一番古いもので東晋)で「経世済民」の原型の言葉が出てきてやがては、「経世済民」→「経済」へと変化して、日本に輸入される。江戸時代までの知識人は中国の古典を読み込んだり、そこから影響を受けた日本人が書いた書物を読んでいたため、「経済」という言葉は「economy」よりも「経世済民」のイメージで使われていた。

では「economy」は中国古典でなんていうの?そもそも、「経済」と「economy」はどう違うのか?辞書で引くと、「経済」とも出てくるけど、同時に「節約」と出てくる。だが、経世済民にはそんな意味はない。

そこで、ウィキ検索かけてみると、「古代ギリシアοικονομία(家政術)に由来すし、οικος は家を意味し、νομος は法や慣習を意味する。従って、economyの本来の意味は財のやりくりだった」という。これが、アルフレッド・マーシャル(ミクロ経済の祖にして、マクロ経済を確立した『ケインズ』の師匠)の時代に「economics」という呼び方で、その当時で言う政治経済学(political economy)の名称を変えた。

…ちなみに、マーシャルさん及びミクロ経済学は好きなのでそのうちもっと掘り下げたいと思ってます。

マーシャルの時代と、明治維新の言葉を輸入・翻訳した時代がほぼ同時期で、その時には「political economy」という言い回しが今で言う「経済」によく使われていたため、economyと区別して「経済」という訳語を与えた。(economy単体では家事する・節約するという言葉が当てられていた)

国家レベルのやりくりについてのeconomyを指す場合、日本語では「理財」なんて訳も存在するが、これも中国の古典の言葉が元ネタである。意味としては「財政を有利に運用すること」の意味ではあるが、山田方谷という幕末にある藩の財政再建に当たった人が「理財論」という本を書いてる。僕が今読んでるんだけど…利潤を追い求める現在のそれと違ってもっと包括的な考え方を通じて成し遂げられるものだとしている。現に山田方谷という人は儒学や陽明学の人で、財政再建やる前はバリバリの学者で、特にお金に関するノウハウに優れた人(という評判があった人)ではなかった。

これ、二宮尊徳にも同じことが言えて、モラルや根源の考え方を改めることで体質改善を行う…というのが日本土着の経済学なんだよね。学者体質で権力欲の少ない人が多かったこと・本として残されてないこと・学問として体系化されなかったことから江戸時代以前の日本人経済政策者については日本史系の学部か、経済系の学部に入るかしないと習わないんだよねぇ(´・ω・)実は欧米に負けず劣らず優秀な人が多いんだけどねぇ。

さて、中盤だからアイキャッチ入れようか。今日はレトロなアイキャッチを入れてみようと思います。ちょうど江戸末期から明治維新ぐらいの時代のおはなしがたくさん出てくるので、そんな雰囲気を持ったイラストを。

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東洋医学と、西洋医学の違いに似てるね

ここまで、経済の話をしてきたけど、未だにしっくりこない人がいるから、ちょっと置き換えて説明してみよう。最近、躁鬱病疑惑で大学病院に通っているのだが…僕が診察室行くまでにいつも「東洋医学科」という科を通るんだ…この名前は不思議じゃない?

よく知恵をもらう、科学者に「なんで東洋医学だけ全身で、西洋医学は部位ごとに事細かに分かれてるの?」聞いてみたらこう帰ってきた。

「全身を見ることが前提で、外科的手術をしない東洋医学は部分によって分ける西洋医学とは考え方が根本的に違う」

ちなみに、西洋医学も元々はキリスト教(特にカトリック)*1は外科的手術に批判的だった。

キリスト教各国が「体に刃物を入れること」に対して寛容になったのは 、小銃が実用化され始めた「イタリア戦争」の辺りだと言われている。(弓矢は引っこ抜けばいいけど、体の中に入った弾丸については摘出しないとどうしようもなかったため、犠牲者を最小限にするため外科的手術・療法の必要性が認められた)

その後、鉄砲を使った戦争が幾度とも起こった西洋に比べ、東洋医学を貫いてきた日本では鉄砲を使った戦がそれほど起こらなかったため、東洋医学メインの考え方から変わらなかった。

明治維新になって西洋医学が入ってきてから、東洋医学が排除される理由は「理論証明・体系化が西洋医学の方が進んでいて、なおかつ銃を中心とした近代戦争の中でも使える」と判断されたところが大きい。

『刃物を入れたり、部位によって事細かに病気と療法が体系化された』という西洋医学のメリットがよく強調される。だが、東洋医学の『全身を見る』という文化とは違うため非常にコストがかかったり、視野を狭める要因になるデメリットも存在する。

実例を挙げると僕は「睡眠障害・頭痛・摂食障害・能力(集中力)低下」がメンタルヘルスが原因で生じているのだが、これを精神科・心療内科かでまず分ける。そして、心療内科に行くと「精神科に行ってくれ」と言われ、精神科の先生に「頭痛がする」というと、「専門外だから内科で紹介状をもらってきて欲しい」と言われた。

「医師免許のべき論」から言えば、専門にかかわらず、歯と動物以外全部診られないとダメなんだけど…西洋医学は患部に対して処置を行う発想でできてるから、「これが精神病の症状だ」と証明するために別の内科まで足を運んで脳の写真を取る…という恐ろしく金のかかる世界だ。

「お役所仕事」だとか「縦割り」と呼ばれるものは少なくとも学問の世界では西洋の方がそういうカラーが強い。組織論や裁量権についてはここでは言及しない。だが、少なくとも経済学でも、医学でも日本・中国ではもっと包括的に学問を定義し、対策を考えるのが古典の考え方であり、それが150年前ぐらいまで…歴史上ではかなり最近まで続いた。

「経済評論家」なら社会科学を見られるようにすべし!

話を経済に戻す。テレ東や経済誌に出てくる金融機関などの社員の肩書きを見ると『○○銀行××エコノミスト』なんて言葉を目にすることがあるけど、あれは個人的に面白いと思う。「経済」よりも「理財」の方の意味が当てはまるお仕事の人達だから、日本語で「経済学者」とか「経済アナリスト(分析家・評論家)」とかそういう言い方をしてないんだよね。

意図的にやってるとしたら、非常に面白いと思う。実際「経済」というほど道徳・哲学や社会学などに通じてない人らだし、その人らの仕事が「銀行を家事(やりくり)する」仕事だから、仕事の名称として至極正しい。

僕は本当に「経済評論家」と呼べるのは数字を出してくる人・マーケットの話をする人ではなくて、そこに関わる歴史や哲学・あるいは社会情勢の話まで包括にできる人だと言葉の定義から認識してるが…大学で経済研究してる人らでさえ、それを意外とわかってない。自分の専門分野分の教養しかない人がやってるから「頭でっかち」でつまらないのよね。

挙句、「経済学はお金を扱う卑しい学問」(うちの母)とか言い出す人が出るんだよね。しかも、その人は「英文科」の出身の文学部系だから「辞書の引き方も教わらないバカな文学部生がこの世にいるのかよ…」と思った。謝れ!はてな村や同人系で交流のある【まともな人文系の皆様に謝れ】…と心底思った(´・ω・)

…これが母親だけならいいんです。父が墓場まで一緒に持って行ってくれるか、それが無理なら俺と妹で面倒見ればいいんだから、別にいいんです。ただ、母みたいな人がテレビでコメントして、西洋医学で言う「1部位しか見られない医者」が日本中に溢れてるんだよね。

学問に対して、狭い捉え方・狭い教養のつけ方しかできない人が現代人に増えてるから、コメントを聞いてて「それ○○学としては正しいけど、人としてどうよ?」という類のコメントをたくさん見つける。今回挙げた【経済】という包括的な定義にせよ、その手段の一つである理財にせよ、それらは東洋医学のように全身の中での位置づけや目的と解決…そして自助努力の概念があるんだけど…それさえ曖昧なんだよね。

一応、経済ブロガーを名乗る以上は「経済学の数字がこうだから」とかモデルがどうだから…というだけじゃなくて、そこに人間がどの程度乗っかってくるか、科学的な可能性はどうなのか?そこまでちゃんと考えた上で、経済というプロセスと結論を意識して道を描けるような書き手になりたいんだわ。

…意識が高いとか言われそうだけど、それってダメなことなの?もし、今そう言われたら褒め言葉として素直に「そうだよ、僕には夢も目標もあるから志高く生きてるんだ」と笑って返してやるww

いい本なので貼っておきます。それほど長くもないし、一部界隈ではともかく、中学の教科書には載ってなかった&それほどドラマにもならない(ドキュメンタリーや特集はたまに組まれる)ため、よかったら読んでみてください。

イラスト提供 https://kimiterary.tumblr.com/

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*1:カトリックに当たる宗教では刃物を入れることに否定的だった。ただし、同時期に起こる宗教革命やその後に登場するエホバの証人ではそうでもないみたい。エホバについては知り合いがいるため確認を取ったが、プロテスタント系は…知らん。エホバは輸血はダメだけど外科的医療についてはオッケーらしい。ただし、輸血をしないで手術が必要な大怪我を治すため、独自の医療委員会が輸血に変わる代替医療を施す…ようです

教育論
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これが「目」で語る戦いだ
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