多分、当ブログ史上最もぶっ飛んだテーマの記事を書く
※この記事は俺が思う魔理沙論・魔理沙カップリング論を長々とたれながした後、霧雨魔理沙であふれるTwitterプロフィールを見て、感じた幸せを熱く語る気持ち悪すぎる記事だ。もし、僕のことを「社会派ブロガー」だと思うなら、絶対に見ないでね(笑)
霧雨魔理沙に埋め尽くされる幸せ
最近、僕のTwitter(@tm2501)のアイコンを変えた。下の画像の女の子の顔の部分だけを切り取って、アイコンに採用した。
@parags112さんの魔理沙です。(pixivからは今、まっしょうされてないみたいです。)
「普通の魔法使い」こと霧雨魔理沙ちゃん!
こういう芝居かがった魔理沙が好き。…明るいキャラクターという設定、余裕に構えてる台詞回しと言うのは、「芝居がかってるべき」だと解釈してる。魔理沙というキャラクター設定との整合性から考えてね。
「東方プロジェクトのゲーム本編中で、実際より強く描かれているキャラ」これが魔理沙の大きな特徴でしてね。
主人公キャラでありながらそれほどポテンシャルが高くない。むしろ、普通の人間がアイテムを持って戦ってるだけで、妖怪や神様など東方のゲーム中に出てくるキャラクターに比べたら弱い!
魔理沙自体が弱いのではなく、相対的にボスキャラと比べたら設定上劣る。
ゲームで描かれてる彼女の明るさは良くも悪くも芝居がかってる。そもそも東方自体が少ないテキストで存在感を出すために芝居っぽいセリフが多いが、魔理沙のキャラクターは芝居する方向性がズレてる。キャラの強さや立場とマッチしてない性格で、言っていることも他のキャラよりも他人を意識して喋ってる。
その嘘っぽいけど愛らしく、人の視線を意識してる姿(キャラクター性)が再現されているイラストがいいなぁ…。
これが僕がこの画像を採用した理由。
イラストは【絵師がキャラクターをどう解釈しているか】がすごく出る。その解釈が合わない絵師さんのイラストは見ててつまんない。うまくても萌えない。こだわりのあるキャラクターであればあるほど、うまいかどうかではなく「自分の解釈通り描いてくれる絵師さん」を尊敬する。(少なくとも僕の場合は)
そして、僕は「明確な解釈とそれを表現するセンスを持った絵師」さんを評価してる。画力とかキャリアから見たら「なんでこの人を選んだ?」と言われかねないような絵師でも僕の基準に合ってる絵師さんは紹介したり、ブログで画像を使ったりしてる。
プロフィール画像もいじった。以前はきみたりさんと言う絵師のフォロワーさんから許可をもらったものを載せていたが、魔理沙と噛み合わない。
そこで、魔理沙で固めようと思って、以前ブログで使うときに許可をもらったべにしゃけさんのイラストを使わせてもらうことにした。
この人の書くレイマリはすごい!レイマリ自体は王道カプの1つではあるが、マリアリの圧倒的な人気に存在がかき消されがちなので上手い人をレイマリで見つけると嬉しい。
キモい人全開になってるね(笑)
「レイマリ」「マリアリ」と言うのは一緒に描かれるキャラクターのカップリングのことを指す。女性向けでは言う順番が「攻め受け」を指すから、順番を間違えると悲惨だけど…男性向けは言いやすいゴロの方がよく言われるので攻め受けを言葉で表すことの方が少ない。(たまに、こだわる人いるけど)
「攻めと受け」とは何か?…人間には愛情を受け止める人と、愛情で攻め立てる人の2種類がいるんだぜ?
説明不十分とか言うなら、参考資料見ろよ!それを見りゃいいだろ!!
僕の魔理沙のイメージは外弁慶で、友達の前だと態度が変わる人。それも仲のいい友達といると、割と普通でクラスでは変人呼ばわりされてるタイプの「あの人は意外とかわいい人ですよ」系の人。
そう言う人が自分の気持ちに素直な表情をしたらきっとそれは繊細で普段とは別の美しさを持ってるんじゃないか?と思いこの画像を選んだ。(そして、そう言う事を考えさせてくれるべにしゃけさんの絵が好きだ)
そこまでやったらヤマネショウさんから別件で「背景もいじったら?」と言われたので、本件にも反映させた。
そして、トドメがこれ。
拾い物の魔理沙表情集!
この画像をPC版ツイッターの背景画像にして「タイル」を設定すると…ああ、幸せ!
画面一面に広がる霧雨魔理沙!!マリサ、魔理沙!!
僕が自分のつぶやきを読み返していると1枚目の魔理沙の「あざとい笑顔」が出てきて、その背景は魔理沙の表情集。
魔理沙づくし!もう、僕には魔理沙しか見えない!
魔理沙の大洪水!!
なんて幸せな光景だ!ツイッター見てるのがすごく幸せ!この幸せを語りたくて記事にしちゃうぐらい幸せ!!
- 痛いと言われようが、知ったこっちゃない!
「痛車」や「ポスターだらけのオタクの部屋」はよく報道され、2ちゃんねるのまとめサイトにも上がってくる。僕も「魔理沙づくしの画面作り」をやるまでは小馬鹿にしてきた(批判はしないが、自分がやりたいと感じなかった)が…アレは「やった人にしかわからない良さ」がある!
気持ちいいんだよ!!
森林浴とか、猫カフェとかに感覚としては近い。その場の空気が何か1つのものに埋め尽くされて、それが自分の好きなものだと…それだけで気持ちいいんだよ!
自分で設定したのにいざ魔理沙づくしのアイコン・実写アイコンの人と会話する魔理沙を見ると、自分が女の子になったような、あるいは自分の言いたいことを魔理沙が喋ってるような快感が味わえるんだよ!
昔「オタクとは女の子になりたいという憧れだ」みたいなブログ書いてた人がいるけど、その気持ちはわかんなくもない。なりたいとは本人は思ってない。だけど、
・あんまりそのキャラクターを愛し過ぎて
・しかもそのキャラクターの表情とか自分なりのイメージを明確にして
・顔として活用すると…。
「そこに確かにいるような気」がしてしまうのだ!一般的に見たら、病的な感性で、気持ち悪いけど…憧れの彼女が目の前にいるような実在感が味わえる!
ツイッターのアイコンにした時に、自分とは違うネット人格みたいなのがいるようなイメージを覚えた。それが霧雨魔理沙のアイコンだと思うと、自分の中では魔理沙はフィクションじゃなくて実在性が極めて高いキャラなんだ…とおもえる。
痛車、待ち受け画面の美少女、貼りすぎたポスターとか「嫁」と言う表現とは…本当に身近に感じるまでそのキャラクターについて考えた人だけが感じる「臨場感の産物」だ。
あんな短いゲームだけで「霧雨魔理沙とはこんなキャラだ」と言うわけではない!いろんな人の同人誌や二次創作、テーマソングやそのアレンジまで聞いて「魔理沙ってこういうキャラだ!いるとしたら、幻想郷で妖怪と戦ってるとしたら、こんなかんじだ」というのができあがって、語ってる。
二次元の魔力なんだよ!
抱き枕に抱きついてるキモオタはネタじゃなくてマジなんだよ!(一部の人は)
痛車も、待受も単に「いい」と思ってやっただけかもしれないけど、それだけに感じなくなった人がいるんだよ!(一部だけど)
そういう実在性すら感じるほどの愛着と妄想力を身につけた人間は言い張るのさ。
「魔理沙は俺の嫁」ってね☆
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重ねて、ツイッターのアカウント貼っておきますので、よかったら魔理沙三昧のPC版のプロフを見に来てください
