夢と狂気の王国 感想

話題になっていたドキュメンタリー映画を観てまいりました。

非常に面白かったです。アニメオタクにとってのスタジオジブリ像を汲み取りつつ、裏切ってくれるあの感じがすごく面白かったです。

・簡単なあらすじ

映画「風立ちぬ」上映1年前から上映までの1年間を宮崎駿及びスタジオジブリを撮り続けたドキュメンタリーです。鈴木敏夫・高畑勲・「声優」庵野秀明などもたくさん撮られていて、なおかつ宮崎吾朗・プロデューサー川上量生との小競り合いを鈴木敏夫が頭を抱えながら割って入るシーンなど、宮崎駿だけではなく包括的にスタジオジブリという会社を撮影したドキュメンタリーです。

古典的で平凡な企業としてのジブリ像

「夢と狂気の王国」というタイトルは非常にセンスがある。

映画を見た人と見てない人でタイトルに対する印象が180°変わるような引っかかりを持ったタイトルであることを僕は高く評価したい。

映画を見る前にタイトルを聞いて連想したことは「夢=世界最先端のアニメーションの世界」で「狂気=宮崎駿というストイックなアーティストと一緒に働くこと」と考え「王国=監督を頂点とする制作現場」という解釈だった。

つまり、宮崎駿という人物のためにこのタイトルがあり、スタジオジブリという会社でしか作れないドキュメンタリーを作っているようなイメージで見に行った。(実際に、宮崎駿という人物にスポットライトを当てたドキュメンタリーは多く、特にNHKで放送されたものを見るとカリスマとして撮影することを好む傾向から)

しかし、予想とは逆の展開であった。それこそ、私がいたどこにでもある中小企業を思い出させるような感じだった。川上量生氏のようにジブリの見習い職員として入り込んで、一緒に何かをやっているような感じの気分を味わえる作品だった。

良くも悪くも、ジブリは宮崎駿だけのものじゃなく、宮崎駿もまた自分だけのためのお仕事としてそれをしているわけじゃない。宮崎駿氏がジブリを立ち上げるにあたって述べていた言葉に似ている記事を見つけたので、そこから抜粋してみよう。

個人事業主ならともかく、大なり小なり社員を抱える企業となると、社長は毎月社員にお給料を払わなければいけません。
もし、会社が倒産してしまったら社員やその家族が路頭に迷う可能性もあります。
僕としてはそういう「社長の責任」がとてもヘビーに感じられます。

なので、「倉貫さんは独立して経営者になろうと思ったとき、会社が倒産して社員やその家族が路頭に迷うリスクや恐怖を感じなかったのですか?」と質問してみました。

すると倉貫さんはこんなふうに答えました。

「今の世の中、どこの会社も永遠に存続するという保証はどこにもない。なので、会社が給料を払えなくなるリスクは当然ある」

「しかし、会社としては給料を毎月払うことよりも、どこの会社でも通用する高いスキルを社員に身につけてもらうことの方が重要だと考えている」

出典(いつ倒産するかわからない時代における社長の責任とは? ~DevLOVE関西 Decisionに登壇してみて~ いつ倒産するかわからない時代における社長の責任とは? ~DevLOVE関西 Decisionに登壇してみて~ #devlove #DevKan - give IT a try

ジブリの後継者問題などと大騒ぎされているが、宮崎駿にしてみればスキルがあってやっていけるスタッフを育成できているかどうかの方が重要だ。ジブリという屋台骨がある前にジブリに関わった人がやっていけるようにするためにはどうしたらいいか?を考えている(から、誰が監督をやっても「ジブリ作品」ができあがるのが、実はジブリのすごいところなんだけど意外と報道関係者はそういう特集を組まない)。

企業や学校に入ることについて大きな勘違いをしている人が多いので言っておきたい。それらは機会だ!選択肢だ!彼らが守ってくれるのではなく、食らいついていくものだ!与えられることを待っているやつは見え透いていて、みんなから見限られて最後には締め出されている。…それが「誰かと一緒に働く」ということで、「誰」を大事にして自分のやりたい仕事をやることだ!

 自己犠牲と縁の先にあるこそが「夢と狂気の王国」

この映画で繰り返し強調されるのが「人間同士の縁や繋がりがなかったら、今の自分・今のジブリはなかった」という話。

「縁とか運」という不確実で曖昧な関係を何年も何年も存続した結果としていい仕事・好きなことをする事につながっているという種の話を宮崎駿も鈴木敏夫も映画の中でしている。

ジブリスタッフの言葉を借りるなら「自分を犠牲にすることができる人でないとジブリで宮崎駿の下で働けない」という話である。お互いがお互いのためのために連帯関係で、犠牲関係になっている。

そりゃ宮崎駿がワンマンでストイックで気難しいイメージ通りの人で、「彼とやりあえる人じゃないとジブリでやっていけない」のは間違いない。でも、宮崎駿にだって自分の作品をきっちり作りこんでヒットさせる・社内のアニメーターを育てる責任があってやってる。その相互犠牲の関係があるからお互いに仕事として成り立ってる。

世界最高峰のアニメ制作会社だからと言って特別なことのように見られるが、長く続いているどこにでもある会社で、人間関係で当たり前に起こっていることを大事にしているだけのことなのだ。この映画の斬新さは「平凡な一企業としてジブリがどういった人間関係と相互的な犠牲で成り立っているか」を主軸に撮ったことだ。巨匠でもアニメーターでもない宮崎駿像・ブランドとしてではなく、コミュニティーとしての一企業のジブリを映画として撮ったことだ。

ジブリだけではなく日本中のどこにでも「夢と狂気の王国」はある。むしろ、映画を見てからこのタイトルを見て感じたことは「夢=狂気=自分が尊敬する人と一緒に仕事をして、自分だけ以外のためにも仕事を達成していく」ということだ。

宮崎駿のような奇人・変人に限らず、人と仕事をすることはどうしても100%うまく納得してもらえることはない。求められていることにテストのような明確な正解は存在しないため、それを聞き出してその人に順応しないといけない。自分の技術や仕事を(あこがれの)上司に褒めてもらえるのは夢であり、自分以外の人の基準に従属することは狂気なのだ。

当たり前のことなのだが、色眼鏡のある解釈・誇張で見られがちなことでもある。それを清濁両方を描き出すようにここがけている点がこの映画の立派なところであり、単なるジブリファン・アニメオタク以外でも楽しめる深みだと僕は言いたい!

事前に岡田斗司夫さんの風立ちぬの話を「岡田斗司夫ゼミ」で見ておいたおかげで、宮崎駿さんの言いたいことがすんなりと理解できたので、参考資料として貼らせていただきます。

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