「脱社畜」という概念は、用法用量を守って正しくお使いください

僕が高校生の時のことだった。

自分の父親ながら、それなりの経歴と仕事への自信を見て父に

「なんで、独立しないの?」

と聞いたことがある。父の周りには独立した人がたくさんいたため、決して的はずれな選択肢でもないし、転勤族として育った僕には「1つの拠点で仕事してもらえれば、転勤も少なくて済む」と考えて、父に聞いた。

すると、父は

「会社にいたほうが楽だもん!」

と答えた。…いや、当時だってしばしば出張に出ていたし、比較的ホワイトな企業の管理職だが残業だってあった。父が窓際族だったわけでもなければ、誰かを貶めて自分だけ楽していたわけでもない。そもそもそんな性格の人じゃない。

当時はかなり疑いの目で見たね。 「楽なわけあるか?土日に残業したり、海外や地方へ出張するのが。」と。

昔も今も、僕が持つ結論は「脱社畜ブログ」のような独立志向だ。

「脱社畜」か… このフレーズはなかなか厄介だよね?独立とかノマドと断言してはいないけど、社畜という不自由な立場を脱しようとする不思議なフレーズ。

今回はその話をしてみよう!

 日野さんもホリエモンも仕事大好きだよね~

はてなブックマークではお馴染みの論争だが、 知らない人のために簡単におさらい。

まず、僕が言っている「脱社畜」というフレーズは日野瑛太郎さんの脱社畜ブログ 脱社畜ブログをもとネタにしてる。

goo辞書の国語辞典によると、社畜とは「《会社に飼い慣らされている家畜の意》会社の言いなりになって、つらい仕事でも文句も言わず働いている会社員を、皮肉を込めてからかう語。」で、元ネタは小説だそうだ。(ネットで作られた造語だと思ってたので、ここだけ意外だね)

脱社畜とはつまり「家畜の状態を脱する」「家畜という立場にいることへの警鐘を鳴らす」という立場だ。

このように、ネット上には「会社を出て働こうよ」とか「会社で働くなんて窮屈で辛いじゃないか!」と啓蒙している人がいる。ネット以外でも有名なのは「とにかく起業しなさい」としつこく言っている堀江貴文さんだね。

先日、はてなの事情を知っている知人との会話で

「脱社畜ブログの日野瑛太郎さんも、ホリエモンもみんな仕事大好き人間だよね~」

という話になった。そうこの2人は「楽になるために企業・独立した」という人種では決してない。

「脱社畜」とは言っているけど、脱労働ではないのだ!

会社を改善するか、独立・起業して「働きやすくする」だけ。

出家・専業主婦化・隠居・ニート化などとは全然違う。

僕と会話していたやつが相当なナマケモノで「働きたくない」のだが、その夢とは似て非なるものだ。(だから、「紛らわしく悪影響だ」と批判する人も要る。)

「脱社畜」することは「会社の家畜をやめる」ということだから、単純に考えれば、家畜を辞めた動物は「野生化」する。野生の動物は気楽に生きているようだけど、それは「北海道のクマ」でも「東京のカラス」でも変わらない真実がある。

完全に「脱社畜」した人は結果、自分で食料をとっていく。家畜を辞めて、野生化しているんだから!野生化ということは餌と水場と縄張りを自分で探して生きていかないといけない。

だから、家畜の方が…楽なんだ。これがそこそこ規模があり、仕事を任される企業ならなおさらだ。父の言葉を借りれば、

だって、会社のお金で海外や地方へ出張に行けるし、もう一回来たい時は再訪問のための用事を残しておけばいい。それに、変わり者がいても上司や同僚と契約しているわけじゃないから、その人をクビにすることはできない。だから、多少の窮屈さを我慢すれば、言いたい放題なのも実は会社の方だ

※何度も言うけど、こんなふざけたことを言う父も真面目に働いてます。むしろ、真面目に働いた結果としてそう言う権限がある(はず)だ!

脱社畜の意味はなんだ?

世の中には3種類優秀な人がいる。

1、会社の中では優秀だけど、独立やバックがいなくなると潰れる人。

2、会社には採用され、結果も出す。でも、会社の中では欲求不満な部分を残してしまい独立を視野に入れる人。(時代によってどちらにも転ぶような器用さがあるが、会社・独立のどちらでも大化けしにくい)

3、ほとんどの会社には採ってもらえないほどダメ人間だけど、秀でた一芸を持っていて、経営者・研究者・芸術家・学者としては優秀な人。でも、チームプレイや礼節を重んじることは苦手。

多分ではあるが、父も日野瑛太郎さんも実は同じ2番のタイプだ。我慢ができないほど苦痛でもないけれど、「社畜と呼べるほどに会社という場所は不自由だ」こともよく知っている。

でも、時代が大きく違った。父は「物入りな時期で、なおかつ管理職にもなれた。仕事や人間関係を変えれば、実力はさらに出せる。でも、稼げているから今のままでいいや」という判断になり、日野さんは学生時代から起業にしたがっていた上に身軽だったから起業した。

起業論をさらに過激に唱えるのが「ホリエモン」やひろゆきは3のタイプだ。起業しないと実力が発揮できない人種だ。でも、ガッポリ儲けた彼らが「起業しようよ!」は成功した人の結果論であり、世の少数派である「変人・奇人・狂人」のための言い分だ。普通に会社員としてやっていける人には過激すぎることばかり言う。

1の「会社員いいじゃない~」という意見と、3の「起業しよう」。このどちらにも属さないし、両方の言動を疑っている(2の)人にこそ「脱社畜」は効く。

「起業しよう」とか「がっぽり儲けよう」ということが言いたいのではなく、「会社員という立場は不自由ですね」「人間関係や会社の中にあるくだらない伝統はどんどん疑ってみましょうね」という立場だ。

「自分が不自由であることを自覚する」ことがすごく大事だが、言い方が難しい。

僕のように、ブラック企業にいて目にくまができた奴しかいない地獄からの「脱社畜」だけが世の中の基準じゃない。世の中には「なんだかんだで、流されていればお金がもらえることが楽。だから会社員」という人がいる。

その人に「でも、あなたの会社・あなたの仕事のこういう文化は変ですね?」と囁くのが脱社畜ブログというブログの面白さだ。

即効性はないけど、じわりじわりと自分がしている仕事や生き方に疑いを持ち始める。

2の「会社でも独立でもやっていけるけど、会社では能力が出しきれない人」が脱社畜という選択肢を視野に入れ始める。

僕のように地獄しか知らないような人が「あそこは地獄だ!死にたくなかったらさっさと逃げろ!」と違う。日野さんの言い方はソフトで、余裕があるから普通に会社で働いている人でも「僕の働いている会社もブラックなのかな?僕は社畜なのかな?」と葛藤させるから、あのブログはすごい。

もちろん、「脱社畜」は仕事が好きじゃないとできない。

野生化してしまった以上、食べ物がどこかから出されることはない。結果が出ないと仕事を終われない立場になるため「楽になる」とは違うし、そう思って欲しくはないんだけどさ。

あれ?建前上、「脱社畜と言うけど、労働からは抜け出せなくて辛くなってるよね」という皮肉記事を書くつもりだったのに、あとあと読み返してみると「脱社畜の正しい用法用量」みたいになってるね?

どうしよう。はてなの事情を知っている知人に「内弁慶に言いたい放題言って、ブログでは思いっきり土下座外交してんじゃねーよ!」とか怒られそうで怖いなぁ…

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