全盛期の清原和博伝説は細かい数字まで掘り下げないと伝わりにくい!

 

最近、DMMのCMで無冠の帝王振りをネタにされたり、薬物事件で週刊誌で引っ張りだこになってる清原さん。(誤報だった、仕事激減したそうな)

僕は全盛期の「きれいな清原」が活躍してた頃には野球のルールどころか野球というスポーツの存在さえ知らないほどの子どもだったから、いい印象がない。

「番長」と呼ばれる巨人軍・オリックスにいた「キャラクターだけはムダに立つイカツイ野球選手」のイメージしかない。そして、いかついおじさんが引退後はいかにもなスーツで登場するからもはやヤクザにすら見えてくる。

特にオリックスの頃の清原は目も当てられず、「なんでこんなに試合に出ないヤツが人気なんだ?」と謎で謎で仕方なかった。

だけど、ツイッターでこんな意見を頂いた。

そこで調べて分かった驚きの事実は、野球ファンの20代前半・10代(そしてこれから先、野球ファンになっていくであろう人達)が疑問に思っていると思うので、ブログにまとめた。

ホームラン数もすごいが、清原の場合は「そこ」じゃない

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打撃三冠(打点・本塁打・打率)に関わるタイトルを持ってないことから清原が「無冠の帝王」と呼ばれることがある。

どのぐらい「帝王」かというと、通算のホームランの数で歴代のすべての選手の中で5位、打点でも6位という打撃の持ち主。

ちなみに、4位より上は王貞治・野村克也・門田博光・山本浩二。3位の門田博光さんだけはプロ球団の監督をやってないから馴染みがないかもしれないけど、清原と同じぐらいホームランを打った選手はWBCの監督をしたり、何年も色んな球団で監督をできるぐらいの選手であり、清原も本来ならそのぐらいの待遇を受けて然るべき実績はある選手なのだ。

つまり、清原を評価する時に、DMMのCMに出てる安っぽいタレントさんだと思っちゃいけない!落合博満よりも、張本勲よりも、長嶋茂雄よりもホームランをいっぱい打てる人だと思わないといけない。(キャラからは想像もつかないけど)

しかもだ!清原の凄さは「ただホームランが打てる」だけではないということ。

大一番で打てる勝負強さ

特にオールスターや日本シリーズに強い。オールスターではMVPの多さで歴代一位。

広角に打ち分けてられる

525本塁打のうち、左スタンドに257本、中スタンドに112本、右スタンドに156本。

どの方向にもホームランが打てる(晩年にもライトスタンドへの見事な流し打ちを披露している)

・ああ見えてチームプレイ主義

ずっとホームランを狙っている打者ではなく、得点するために手堅く犠打やヒットを狙うなどチームの勝利のための打撃を心がけていた。(特に高校時代と西武時代には監督からそれを賞賛する声が残っているほど)

「525本しか打てなかった印象」の正体の1つがこのチームプレイ志向にある。

「清原が最も調子よく打てた時期に(他の強打者に比べると)ホームラン狙いをしなかったから」

というのが大きな理由である。

ちなみに、原因はあと2つは故障と死球の多さ。

巨人移籍以降の清原は怪我が多く、試合出場数が安定しなくなってる。(それでもホームランは打ってるけど、出場機会が少ないから記録は伸び切らなかった)

清原といえば、三振とデッドボールがとにかく多い選手!(※いずれも歴代最多)

そこまで打率が高いわけではないものの「当たれば長打。しかも勝負どころほど打つ」という投手にとって相手にしたくない選手だったので、デッドボール覚悟で内角狙いされることが多かった。

敬遠ではなく「デッドボール覚悟の内角攻め」の理由は清原が在籍したチームは西武であれ巨人であれ、「清原クラスに打てる打者が控えていた」から、敬遠しても別の強打者と戦わないといけなかったから。(西武なら秋山やデストラーデなど、巨人なら松井秀喜や高橋由伸など選手層が分厚かった)

そのため、泣く泣く勝負することになるのだが…その時に長打が打ちにくい内角攻めや、変化球の多用という形になるから、なおさらホームランが打ちにくかった。

最強の高校生と言われた清原さん

清原の何がすごいか?と言うと、「超早熟」というところ!

どのぐらい早熟かというと1年目からできあがっていて、高校時代からの活躍とかも絡めて「最強の高校生」と未だに言われるほどの即戦力ぶりだった。

どのぐらい即戦力だったかというと…

ホームラン 31本

打点    78打点

打率    304

が、1年目の成績だ。

 

わからない人のために相場を説明しておくと…往来の名選手でも新人時代はホームラン10本とか、そんなもの!(王貞治も松井秀喜も、1年目の本塁打はせいぜい10本。)

イチローみたいにブレイクするまで調整期間があった選手だっている。(※ただし、イチローの場合、2軍にこそいたけど、2軍時代から2軍で首位打者)

一軍にほぼフル出場で1年目から即戦力として活躍している選手の方が野手では珍しいし、まして1年目から活躍する選手は名選手でもレアだ。

ちなみに、「最強の高校生」が高校生だった時の高校時代には「甲子園通算本塁打13本」という有名な成績がある。(ちなみに、高校通算だと68本だそうな…)

ここでも清原の面白いところは「高校通算であれば清原より打つ選手はいっぱいいるけど、清原ほど勝負強い高校生はいない」のだ!

じつは、「高校通算本塁打」には公式戦以外のホームランも含まれるため、「普段狭いところで試合をする学校」の方が数値上は多かったりする。

そのため、高校通算本塁打が多い選手でもプロで大成しない選手もいる。

ただ、清原のすごいところは75%が公式戦のホームラン(だから記録に残っている上、チームの勝利にも貢献してる)ところ。

清原和博さんの高校時代の公式戦の通算本塁打は何本ですか?

加えて、甲子園通算では2位の桑田・元木の記録を倍の差をつけての1位。(KKコンビと言われる桑田だけあって「投手でありながら、打撃もできる」桑田さんもすごいですね…)

高校1年生からすべての機会に甲子園に出られて、しかもそのすべてがベスト4以上というチームに所属してたことも大きいから単純な比較はできないかもしれない。

だが、1大会でのホームランでも5本という記録を持っているほか、1試合3本という記録も持ってるので「清原が打てたのもあるけど、PL学園が強かったから打数が多かっただけじゃないか?」という批判は全くの無意味!

1試合でも1大会でも通算でも全部記憶保持者は清原!さらに、大半は公式戦のホームランで高校通算本塁打を形成してるため、甲子園に行くにも清原の働きが大きい!

ちなみに、高校に入る前は投手だったため、甲子園で大量得点を取ってしまった試合で、投手として登板させてもらったこともある。

結局、その試合は29−7。(7点のうち5点は最終回に清原が投手として出てきて、しかも審判から「真っ直ぐを投げろ」と一喝された回に取った点。事実上の「お情け」)

その試合は全国規模の高校野球の大会では唯一の毎回得点という記憶的な試合。

毎回得点 – Wikipedia

ちなみに、「ストレート投げろ」と一喝した審判の話は面白いから貼っておきます。今の野球からは消えちゃった文化なので一読する価値あり。

「まっすぐ放れ」清原を一喝した名審判

高校時代・西武時代と清原がいたチームは強く、巨人でもそれなりに強かった上に優勝こそできなくても(高校時代には清原の次に甲子園通算本塁打が多い元木大介を便利屋ぐらいにしか使わないほど)人が揃っていてプロ在籍中は一貫して話題の中心にいた。

オリックスの時だけは清原自身もそれほど打ててない上にチームもさほどついてないが、仰木監督からの誘い・メジャー帰りの中村ノリとの合流など、話題は作り続けた。

一貫して清原あるとこ話題ありだったため、引退直前の黒くていかつくて、後輩をいびっている割には(若い人から見ると)そんなに打つイメージもなくなっても、人気は衰えなかった。

どのぐらい人気だったかというと、清原が引退宣言をした一日でオリックスの全選手が一年で売り上げる分の清原グッズが売れるほど売れた!

引退試合にはイチローや桑田が見守りに来て、試合前には王貞治から花束を受け取り、試合後にも北川・金本らから花束を受け取り、忘れもしない長渕剛がトンボを歌いはじめて黒くていかついコンビがドームの中心で…という一大イベントになるほど。

引退してからの評判の悪さ、濡れ衣を切れられた待遇がウソのような選手人生だよ!

今じゃ、DMMのCMでさえ「会場に入れてもらえない可哀想なお兄ちゃん役」になっちゃったけど、実は監督やってるか、松井秀喜みたいにヒーロー扱いされて然るべき人気と実績を持ってる人だからね…。すっかり伝わらなくなっちゃったけど。

 

・関連記事

オリックス時代の同僚にして「ヒールな見た目な割に実は子煩悩のいい人」繋がり。

仰木監督・オリックス繋がり。清原みたく属したチームが強くはならないけど、記録もネタも提供するという意味ではこの人もすごい!

清原とは監督と選手繋がり。 タイプが違うけど、人気の輪の中心にいたという意味では共通項が多いかも。

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