「病んでる人」と性的欲求のキケンな関係について

 

言いにくい話だからあまり言わないようにしてきたが…正直なところ、躁うつ病になってからというもの性的衝動がすごく強い時がある。これは僕個人もそうだし、躁うつ病の兆候の一つとして性欲が乱高下する…という現象は実際に起こる。

本当に性欲が強い人、下ネタが好きな人もいるため、周りから見ている分には意識されにくいことだが…男女問わず、妙に性欲が強くて近くに異性がいると甘えたがることが…ある。いや、経験したことがある。

病んでる人同士が病んでる時に一緒にお酒なんぞ飲んだ日には本当に何が起こってもおかしくない。いい意味でも悪い意味でも距離が密接になる。行為とか合意とかそんな理由ではなく、本能的で衝動的に頭と体が一致しない形でお互いがお互いに依存したり、甘えたり…という現象が起きる。

「なぜこんなめんどくさいことを書くか」だが、それはこの記事が出回っているからだ。

風俗をやめた話 風俗をやめた話

要約すると「風俗通いしてた男が、自傷行為として性的行為/性的なことを綴ることにのめり込んでいる女に出会った時、何も言えない自分が情けなくなって辞めた」という話だ。

この人が特別バカだとは僕は思わない。なぜなら、知らないまま性的な欲求や行為に対してアグレッシブであることが「イケてる」とでも思ってる人は多いから。

「心と体のバランスが崩壊すること」の意味

導入から言えば、性的な記事だと思った人も多いかもしれないが、この記事の趣旨はむしろ「病んでる」という現象についての解説だ。

躁うつ病を患ったことをきっかけに僕が体験したり、周りからタレコミを頂いたり、自分で調べた話をもとに「なんでこんな得体も知れないことをやるの?」という普通の人が思う疑問を解説していきたいのだ。

中でも「病んでる」をそんなリストカット癖や、セックスへの依存症などの「メンヘラ系」より、科学的で客観的にお墨付きをもらった形が「精神疾患」という現象だ。

精神疾患や精神病という言葉を聞くと、知識のない人が持つ偏見は2種類ある。

映画に出てくる狂った人をイメージするか、病気として扱わず怠け者呼ばわり・変わり者呼ばわりするか…そのどちらかであることが多い。(※少なくともうちの母がそうだったため、僕は当初精神科に行くことに二の足を踏んでいた。病んでいることが明らかであったが、診断が出た途端に、母のように理解のない人から「理不尽な差別を受けるのではないか?」と恐怖したのを覚えてる。)

私がブログで(躁)うつ病や、精神的に滅入っている時の世界を書く理由は「偏見を和らげ、少しでも正しく理解して考えてくれる人を増やしたい」と考えるためだ。

そして、「精神病患者が発狂して危害を加える」なんてほとんどの場合は偏見や得体のしれないから生まれる恐怖である。オバケが怖いというのと同じようなレベルの話だ。

「何がどうこわいかわからないけど、ただただ怖い」と人はいうが、知らないことから生じる恐怖だ。知って対策をする・構えることができれば和らぐ恐怖だ。

だから言いたい!精神疾患の弊害は人に危害を加える事ではない。

精神疾患の怖さとは自分が生きていることを実感する防衛本能/生き物として危機を感じることで生じる生存本能が過剰に働き過ぎて、心と体のアンバランスが自分の体や心を自ら締め付けていくことだ!

やってることはどう見ても「自傷行為」と呼ばれる心や体に傷を残す行為である。でも、たとえそれがリストカットであっても、それは「傷つける目的」ではなく、かえって「生きることを意識した上で行う行為」だという。

直接傷つけない場合も同じだ。人からは「怠けてる」「やる気が無い」「以上だ」と言われる行為も、体や脳の仕組みとしては「防衛本能で生きるためにやってます!」というから精神疾患とは不思議な病気である。

いくら自分が心がけても、食欲・睡眠・行動全般への意欲…もちろん性欲も全てが乱高下し、体調によって自分の能力や気持ちが別人のように変わってしまう。

少なくとも、僕が患っている「躁うつ病」とはそんな病気である。そして、精神的に病んでいる状態になると何かしらの偏りは出てしまうが、あくまで自分の意志ではなく体が必要以上に飢えたり、拒絶したりした結果バランスがずれていくのだ。

かまってちゃんとその他精神疾患の違い

とは言え、僕も勘違いしてた時期があるから言いたい。今回、記事を書くきっかけになった女性は精神科に行って、自分の体験を赤裸々に告白してピルではなく睡眠薬をもらうべき「患者」だが、セックス依存やリストカッターの中には「かまってちゃん」と呼ばれてる人も自傷行為には走る人人種に混じってる。

(いつもブログに出てくる人じゃない)看護師の方によれば、これはこれで病気だそうだ。

コメント欄にある病名で検索し、Wikipediaを読んでみたが…卒倒するほど長いので、興味のある方だけ「境界性パーソナリティ障害」で検索してみてください。

そして、躁うつ病の人(僕以外の人の証言・行動なども含む)やその徴候がある女性はこのかまってちゃんこと境界性パーソナリティ障害に対して嫌悪感を感じる。

根本的な違いはなんだろう?

それは行為が他人に対してウケるかどうかをを基準としている人だ。

平たく言えば「同情を買いたい」とか、「ちやほやしてもらいたい」の部類がかまってちゃんの特徴で、精神疾患の場合はそんな他人の気を引くなんて余裕はない。体に引きずり込まれて本気で迷惑している人であるため、かまってちゃんを最も嫌うのはむしろ病んでいる同性であることが多い。

特に女同士の場合は、空気やオーラで戦うほど…酷いことが起こることもあるため、絶対にかまってちゃんこと「メンヘラ系」と、「深いうつ状態を伴う精神疾患」はフィルタリングして同じ席に居合わせないように回避しなければならない。(実体験であり、戒め!)

病んでみるとその嫌悪感はわかる。

「好きで病んでる」「病んでいることを自分の武器・アイデンティティとして活用している」人間なんて、そのことに本気で困っている人からすれば、ヘドが出る。たとえ病気だと言われても理解に苦しむ。(うつ病などに対してそう思っている人はいるかもしれないけどね)

そりゃ、チヤホヤされたり、悪く言われない「処世術」なのかもしれない。だが、それは病んでいるのではなく、病んでいるという特権・利権を手放したくない人間の選択であって、「病んでいる人生しか歩めない人」からみれば、あちらはあちらで違う病気だとしてもそのことに対する自覚がない・自覚があっても病院に行こうとしないでそこから離れられない人を見ると…どうにも受け入れがたい。

そりゃ、お水なサービスを利用したり、軽いお付き合いをしてみたい人(男)にはメシのまずくなる話であり、どうだっていいことなのかもしれない。

でも、「さそりの毒は後で効く」と歌の文句にあるように、本当はメンヘラなんてお人に関わるリスクはよく理解して、覚悟して選択しないといけない。

もちろん、関わるなとは言わないぞ!そこまで差別する気はないが付き合い方を考えないと自分だって相手に依存したり、相手の依存をひどくすることにも…繋がることがあるのよ?

だから、この区別や議論はもっと膨らんで欲しい。

病んでるなら病んでるで適切な治療を受けて欲しいし、そういう人物を作り出したり増長させないための措置があるなら、それもまた広まってほしいと僕個人的には思う。

病んでるという予兆に「性欲の傾き・歪みがある」なんてあんまり言われないけど、それで本当に悩んでいる人や、それを病気だと認識しないからややこしいことになっている人が世の中にはたくさんいるのを見てモヤモヤして書いた。

躁うつ病の説明に特化した本。わかりやすいし、包括的にいろんな立場の人にむけて書いているのでオススメ。

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