今に始まったことじゃないから、正しい林檎ファンは椎名林檎に関わる全ての誤解を「はいはい」と聞き流し、はるかな高みから「こいつらわかってないな」と世の中を見下して見せるのがマナーなのだろう。
特にこの手の筋違いな記事を見つけた時はね
椎名林檎はW杯テーマ曲「NIPPON」で炎上商法を仕掛けたのか
一応「音楽性への批判ではなく、NHKの担当者に問題があるのでは?と言いたかった」という旨の弁明を筆者から頂いていることだけはお断りしておく。
ただ、この手の批判に更に音楽性・人格への理解のない批判は多かった。
…まぁ、林檎ファンとしては、イチローや向井秀徳の前で見せる少女っぽい笑みや、自分で事情を説明してるだけなのに「それは私の曲じゃないですが」と思い出しながらムスッとするかわいさが僕ら林檎ファンだけで独占できるから知らない人がいたほうがいい。
だから、林檎ファンはどんな理不尽にも無抵抗を貫くべきだが、僕は敢えて林檎ファン内の暗黙の了解を破ってこの記事を書く。
よく読めば、等身大で乙女な林檎の歌詞
昨今、問題は椎名林檎さんの「NIPPON」というNHKサッカーのテーマソングだ。これについてyoutubeで動画が出回った際に「心にもないことをやっつけ仕事で歌ってる」「右翼っぽい」「大げさすぎる」という批判が相次いだ。
僕から…いや、東京事変の「母国情緒」「スーパースター」の2曲、それと椎名林檎名義の「ギャンブル」という曲の合計3曲を聞いておくと「椎名林檎はマジだし、別に特別右翼っぽく大げさに書いたわけじゃない。元々こういうアーティストだ」と思えるはずだ。
まず、アルバム「教育」に収録されてる「母国情緒」。一部歌詞の仰々しさもさることながらマーチ(行進曲)のような一定のリズム刻みながら高揚感を煽る曲。何より、見る人が見れば神経質に反応しそうな右翼っぽいと揶揄されてしまいそうなタイトル。NIPPONと同じぐらいは人を怒らせそうな雰囲気は持ってる。
でも、ちゃんと歌詞を読み解くと言葉使いやリズム感に相反し、等身大に世の中や日常のありふれた光景を歌ってる内容だ。愛国的でも国粋的でもなくもっとラブリーな曲だ。
次に、アルバム「大人」からスーパースターという曲。これはイチローに向けて贈った曲(歌詞)で、イチロー自身も椎名林檎との対談で言及されている。
ところが、問題は椎名林檎がイチローへのあこがれをありのまま書きすぎて、イチローが曲を聞く度に照れくさくなって飛ばしてしまう…というなんともキュートなエピソードがある。
冷静に考えたら「テレビの中のあなた、私のスーパースター」なんてあんなに艶やかな女性から歌われたら、天下のイチローも少年になるよ…。
でも、贈る相手さえ気恥ずかしくなるようなメッセージを本気で書いてしまうピュアさが椎名林檎の魅力だ!
NIPPONの歌詞にも日本代表を本気で応援している時のスポーツナショナリズム的に染まって必死に応援している等身大の自分を書いていってああなったのだろう…と椎名林檎ファンなら説明でき、論拠が地上波放送されてる楽曲・対談で示されてる。
椎名林檎を右翼だ、異様だと言う前に冷静に考えてみ?
自分の国旗をほっぺたに張って、「日本!日本!」と喚いている人を旗から見たら、右翼っぽいよ?
「地球の裏側まで応援を届けるぞ!」
とかわけの分からない精神論を振りかざして日本のスタジアムに入ってブラジルにいる選手を応援してる人は冷静に見たら、頭おかしいぞ?
…反抗期なガキなら「スタジアム行く前に病院行けよ」と言うだろうね。
それほど奇妙な光景をテレビで中継して「日本中ワールドカップで盛り上がってる」とか報じてる。
そのムードに対する批判もなく、椎名林檎が右翼?
いやいや、群衆に入って応援している自分や熱狂してスタジアムに見入る気持ちをありのまま歌っただけだ!
自分より盛り上がってる人を見てドン引きしたテメーらが悪いんじゃないの?林檎を右翼呼ばわりするならスタジアムに入ってる自分に対してメタ構造に「バカなことをしてるけど、ここまで来たら盛り上がったもん勝ちだ!」と林檎みたいな人を容認してやれよ!その気持ちもない人がスタジアムでサッカー見ようだ、ワールドカップで盛り上がろうだとほざくこと自体がヌルいよ!
最後は「ギャンブル」。これは「平成風俗」に収録されてるオーケストラ版が映画「さくらん」にも出て、「僕らの音楽」でも演奏された曲。(初出はもっと昔)
NIPPONの後半部の歌詞で問題視されてる【淡い死の匂い】や【あの世へ持って行くさ】という言い回しよりももっと直球で特攻隊や戦争を連想させる表現がこちら。
【灰になれば、皆喜びましょう。「愛してたよ」軽率だね。】
戦争っぽいね。戦地に例えたり、命が消えていくようなことを描写するのは椎名林檎の歌詞のお家芸の1つだから僕は違和感なく受け入れて、林檎が何年もやって来た作詞方法だ。(少なくともこの曲が出てから10年以上経過してる)
それを冒頭で出した記事では、ネトウヨが、安倍政権がうんぬんかんぬんと林檎批判を展開してたが…彼女にはどうでもいいと思うよ?
そもそも、自分の等身大の感覚・感情・教訓を掘り下げていく、個人的で目の前の事についてのことに葛藤したことを歌う椎名林檎の作風を知ってたら、絶対にその批判はおかしい。
プロフェッショナルとしての椎名林檎
(僕らの音楽での)向井秀徳と椎名林檎の対談が象徴的だが、彼女は音楽活動に対する立ち位置がとても真面目な人だ。
お客さんを意識するプロとして楽しませるために自分自身に負荷をかける人で、からとにかく椎名林檎関係の曲はセルフアレンジが多い!
同じ曲でもシングル・アルバムで違う作品(幸福論/修羅場など)、DVDとアルバムで違う作品(透明人間/落日など)、複数CDを出して別アレンジを出してる作品(林檎の唄/ギャンブルなど)があり、ファンとしては嬉しい悲鳴が上げてコレクションしたくなる音楽家だ。さらに、ライブ限定でカラオケにも入ってない洋楽や演歌のアレンジも多数。
業界に対する野心よりも「どうやって自分のカラーを出す」「自分の好きなモノを表現する」「家庭や仕事がある」か…という内向きな世界観の中で生きる人であることは多くのインタビューで語られてる。社会がどう、音楽全体がどうという話はほとんどしない。
世の中には「必死に面白くしようとしてやっと面白くなる(自分の立ち位置や意識を明確にしてる)人」と「そんなことしなくても自然体の姿がもう面白い(からこそ自由で変幻自在でいられる)人」がいる。
椎名林檎は後者だと思われがちだが、前者だ。この場合、向井秀徳のような人が後者だ。(向井秀徳みたいに「ポテトサラダ食いてえ」と歌う椎名林檎がいたら、僕は笑いこけるが、椎名林檎で笑いこけたことはなくいつも音楽として納得させられる)
椎名林檎を奇才だ、天才だという人がいるが、本人はその手の意見に対して謙虚なのは彼女自身がストイックにプロを演じたり、差別化を図ろうとアレコレ画策した結果としてあの音楽ができてる…という認識に立つからだ。
僕は彼女の作り手の姿勢を見てるととても学ぶことは多い。
人から言われた評判よりも自分の思ったこと・感じたことを大事にして、人気商売につきながらなおも家庭や自分のことに関心のほとんどを費やして、人から何を言われても自分の表現が伝わる人をきっちりと大事にする。
1ファンとして言いたい。もし、椎名林檎を語るなら彼女の少女っぽい笑みと高いプロ意識を一緒に楽しもうよ…。あんなにうぶい笑い方ができる人の笑顔を知らずに、頭ごなしに罵るのは人生損してるよ。
この記事で取り上げたアルバムの中で僕が一番好きなのは「大人」なのでアダルト。
ちなみに、全体だったら「加爾基 精液 栗ノ花」が一番好き。何をしても林檎らしく新しいものを作ってくれるところがいつも楽しみだけど、林檎カラーが最も濃く反映されてるのが加爾基なのよね…ファンの間でも「メンヘラっぽい」という声が出るほどだけど。