治りかけてきてた躁うつ病の何が辛いかを語る

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久々の躁うつ病レポートを書く。
今回は「治ってきたからこそ辛い躁うつ病の話」というテーマだ。

うつ病では治り(寛解)に近づくと自殺する人が出ると聞く。躁うつ病も「動けるようになったのに社会復帰にこぎつけられない人がたくさんいる」と聞く。その手の話は僕のところにも回ってくる。

その原因の一端を説明してみたい。

全く病気に見えないのが辛い!

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今月に入って先月・先々月よりも積極的に筋トレ/運動に励むようになった。
ここ2ヶ月間ブログが大ヒットし、以前に比べたら格段的に自炊もやるようになり、2駅ぐらい歩いても全然苦にならなくなった。

ふつうのことだが、その「ふつう」に1年かかった。でも、怪我や病気のように見た目の変化はない。

躁うつ病など精神疾患に共通して言えることは「見た目は他の病気と違って普通だから病んでるように見えない」ことだ。だから、「専門家に相談しに行くまで気づいてもらえない」「1年以上かけて治療しないと治らないほど重病になるまで処置を施さない・周りの人もおかしいと気づかず、療養できない」事態に陥りやすい

この問題は医者にかかる初期段階で 問題になることだが、病気が治ってくるにつれ、このややこしさがまた別の問題を起こす!

まず、躁うつ病が酷いと「能力の低下」を伴う。

「普段できたことが満足にできなくなり始めて心療内科や精神科に行き、うつ病だったことに気づく」人が多く、自分が病気だと認識できる手がかりとなっている。

ところが、回復してくると「能力」の低下が小さくなる。そのため、体調の揺れ幅があっても自分の得意分野や回復しやすい分野については「病気の前とあまり変わらない水準に戻って」しまうから、周りも本人も治ってるように錯覚して判断を急いでしまう

でも、これが良くない。

例えば、僕の場合だと発達障害があり、その2次障害として躁うつ病なのだ。そのため「適性の高いもの」と「適性が低いもの」で治りの早さが人一倍大きい。

IQの差が30以上開いている。下は障害者スレスレの適性しかなく、上は一流大学レベルの適正がIQテスト上混在しているそうだ。また性格面からみても発達障害特有の偏った優先度の付け方をするらしく、性格や考え方のレベルで周囲とのすれ違いが生じる。

そのため周囲から見て自分がどんな位置づけの人間なのか自分も周りの人も正確な判断がしづらく、過大評価も過小評価も全然違う人間像をかってに描かれることも出てくる。

これが躁うつ病の治療と絡まってくる時にはどうなるか。元々能力が高く、得意なことから治る。同時に、得意なところがよくなっただけでと普通の人から見たら「できすぎてる」ほどの事をやってる用に見えてしまう。

例えば、病気を治療する前は1000文字書くのもままならない僕が今では毎日3000文字×2記事をブログでまとめている。これは僕にしてみれば「戻った」だが、一般には「できないのが普通」らしい。

ブログや資料集めみたいなことは適正が高いから早く自分の水準に戻れたものの、適正がない(動作系の)能力は未だに悲惨である。

家事をやると30分でスタミナ切れ、運動は2時間やると半日~2日疲れを引きずり、たいていは寝こむ。鬱状態で全然動けない、動くことを拒んでる時もしばしば。

でも、以前に比べたら動ける事が多くなるから「お前もう治ったんじゃないの?」「躁うつ病と言い張って、休暇を楽しむ気だな」という目線を浴び、とても居心地が悪い。

そりゃ、ブログ書いたり、運動したり、料理や洗濯したり…他人から見れば、いくら真面目にやっても「病気に効く・病気を良くするためにやってる」ようには見えない!

当人である僕でさえ、気分が良くそれらができている時は「治った?」「治っているのに就活も労働もしてないのか?」と思ってはうつ状態や頑張りすぎて寝込んでしまうことを繰り返す。

ネットではよく「うつ病になって休職する・精神障害者手帳を貰えば、助かる」バカ言動を見かけるが、それを本気で思える奴がいるとしたら、かなりふてぶてしい。
僕もふてぶてしいが、さすがに「病気は治りかけてる」「病気じゃないんじゃない?」「事情は何でも無職は無職だよね」と書かれ続ければ、罪悪感の1つも感じる。

自殺するほどではないかもしれないが、一生懸命に病気を治すほど他人から「批判されているのでは?」「疑われているのでは?」と感じてしまうのは辛い。病んだことがある人や道をたどっている人には配慮してもらえるが、世間の人には健康に見えるからこそ「根性が足りない」「あいつは怠けてる」と思われ、筋違いの活を入れられたりするから、今の立場はけっこうしんどい。

先のことが見え始めると回復を喜べない

もう一個は社会復帰問題だ。

病気を機会に体力がなくなったり、体調の起伏から能力を出しきれないこともあり、就職に対して「自分が何かしら組織に貢献できる」という意識が湧かない。

悪く言えば「拾ってもらう」感じしかなく、自分自身がムリか利かない(やった瞬間に病む)し、事業所にもそれを承知で雇える所を選ぶため、「自分はこの程度」「会社側も余裕があるうちしか僕を置けない」という悲壮感が漂う。

また自分の苦い就労体験から 「一人の過激に働くことを押し付ける人が入社・上司になれば、理解のある経営者や同僚がいても労働環境は一瞬で壊れる」ことも予想がつく。

何が言いたいかというと、自分が躁うつ病で、苦い就労体験がある立場としては「いつ再発する・病むかもわからない。病まない地位や仕事に居続ける可能性も限りなく低い。そんな人間が余生を(自分の力なんて及ばないのだから)天運に任せて行きていけるのだろうか?」と途方に暮れている。

自分の置かれた達観した上で「ムリだ!俺なんか生きていけない。独自に技術を付ける・ビジネスを作るまで時間をもらうか、組織の中でどんなのが来てもやられない訓練を積んでから乗り込むかしかない」という結論に至るが、どっちもハードルが恐ろしく高い。

特に、この国では起業や自営よりも年金・社会保障制度の関係で会社に務めることを勧められる。そして、ハロワや役所にある職業訓練などを見てみても、決まりや意思決定を無視するような危険人物と渡り合える力なんか絶対につかない!それどころか、自分も周りもガツガツ働くよう押し付ける危険人物をわざと応募するような人材募集がハロワにあるほどだ!
当然、ビジネス雑誌やコラムを読んでもまともなビジネスのややりかたばかりで、危険人物やサークルクラッシャー(○○の姫)の潰し方は書いてなく「俺が悩んでるのはもっと闇の力の方で、闇に対する防衛術を教えろよ!」とかやきもきしてる。

病気を治すことにこだわっているうちはまだ「僕が生きるのがつらいのは病気だからだ。辛いという気持ちが病んでる証拠だ」みたいな言い訳ができた。
でも、良くなってきて現実的な復帰を見据えると自分の不利さの割に訓練も武器も選択肢もしょぼくて途方に暮れる気持ちだ。

もちろん、難しいだけで不可能ではない。だが、今現在の辛さ、これから風に流されながら生きていく惨めさを考えたら自殺する人の気持ちはわかるよ…僕は。

自分でも読んで見てわかりやすかったおすすめの躁うつ病の解説書。患者自身や身の周りの躁うつ病患者を理解したい人など躁うつ病に特化したものを読みたい人向け。

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もっと病んでる時に辛かったこと。基本的には今と変わらないが、もっと切実だった

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