オフ会で2回ご一緒したブロガーさんの記事を読みました。
【現代社会】健康を捨ててじわじわと社畜として馴染む – 流線を描く煙(リンク先削除済)
このタイトルや内容を読んだ時に、ワタミ創業者「渡邉美樹」氏のこのコピペ(テレビ番組で放送された内容の書き起こし)を思い出した。
ワタミ社長「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。
途中で止めてしまうから無理になるんですよ」
村上龍「?」
ワタミ「途中で止めるから無理になるんです。
途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』
んですよね?」
ワタミ「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」
村上「?」
ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上「一週間」
ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
村上「・・・んん??」
ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。
『無理』という言葉は嘘だった」
村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。
その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
村上「それこそ僕には無理だなあ」ワタミ社長「途中で止めるから『無理』になる。止めさせなければ『無理』じゃなくなる」
一見、非常識な発言ではある。
一方、追い込まれることで成果を出す人もいるから全くのインチキとも言い切れないのが、倫理的に難しいところ。
しかし、自分が躁うつ病になってから、自らの病気について調べたところ、
「躁うつ病の初期症状でこういうのあるよ?」
と、言えるようになった。
「みんながみんなそう(躁)だ」とは言い切れない。
しかし、経営手法や、マネジメントだともてはやされる前に、
「やる人を間違えると、相手に精神病を抱えさせることになる」
というリスクや、暴力性をもっと理解してほしい。
そして、経営者が成果だと思ってるものは単に、断末魔を見るほど追い詰められた人間が火事場のバカ力でもがいているだけだってことをもっと知ってほしい。
特に金使いが荒くなったら要注意
冒頭で引用したふくろさんの記事の中では、ハードワークで「躁状態」に陥っていく人間の恐ろしさが語られている。
もし、以下の記述に覚えがあるならば、「躁」や「ワーカーズ・ハイ」である可能性を疑ったほうがいい。
私生活での正常な判断ができなくなる
友達との予定を忘れてしまったり、冷蔵庫にノートパソコンしまったりしてしまうのですが、それよりも一番厄介なのは「金銭感覚が狂うこと」(略)余裕があると思ってばんばんお金使ってしまいます。外食もワンレベル上の方で味も覚えられないくらい疲れている時にドカンと高いもの食べたり(でも感動も癒しもあるのだよ・・・・)、服を買ったり、髪を切ったり身だしなみを整える時間もないのでもう無限メガザルしてる感じ(略)捨て身じゃ済まされません。そのぐらい自暴自棄です。
ハードワークしてた時期の僕もそうで、お金なんかたまらない。
しかも家にいないから消費(ストレス解消)が食事や酒に向かってますますカネがかかる。
ついでに、自分が過酷な労働をこなしていることから自信過剰になって、大口を叩いてしまったり、なんでもできると思い込んだりするようになっていく。
実際、ブラック企業の中には気恥ずかしくなるようなハッタリを平然と言ったり、お金についてもイケイケな人がいるが…それは性格ではなく、躁うつ病の「躁状態」である可能性があり、注意した方がいい。
そして、躁うつ上の躁状態で陥りやすい症状は次の通り。
・ハイになって疲れにくい
・活発になってよくしゃべる
・金遣いが荒くなる
・過度に楽観的で自信過剰な発言
などなど。
処世術といえば処世術かもしれん。
性格や気分の問題でそう振る舞いたいときもあるだろう。
だが、これがいつもの姿ではなく、気分に波があり、落ち込むと体が動かなくなり、頭痛・不眠・食事が摂れない・マイナス思考に陥る場合は本当に躁うつ病の危険もあるので診断をオススメしたい。
躁うつ病にかかる人自体はそれほど多くないそうだが、躁うつ病の人が過労に順応しようとするあまり自分がそうだと気づかないまま、浪費して借金を重ねたり、精神を患ったりするほど頑張ってしまう会社の中での風景だ。
そうなってからでは取り返しがつかないから、知った上で対処する人が増えてほしい。
特に生真面目に周りに馴染もうとしたり、負けず嫌いで続けてしまう人が躁状態を基準に自分の体調や立ち振舞いを考えて病気を悪化させると…通院したら年単位の時間がかかった…ということもあるので、自分の実力が上がったからできているのかはよくよく考えた方がいい。
病気と診断される人は少なくても、病気になる人にとっては最も深刻な場面であり、そこで冷静になれるかどうかが先の人生を左右されかねないのだから警告を発したいのだ!
ふくろさんの記事「健康を捨てじわじわと社畜として馴染む」…このタイトル通り、会社員としてのテンションに馴染んだ結果、躁状態になって躁うつ病の発病・特に躁状態が主体のものに発病する人のは20代でなることが多い。
逆にうつ主体のものは年配者が多く、わびしさや喪失感が原因となるそうな。
「生きていくには働く必要があるが、死ぬほど働いたら人は死ぬ」←だから知識をつけてほしい
だからと言って、働くなとも言「え」ない。
いいところ・楽な職種に努められたら、それがベストだが狭き門だからそれも…言えない。
だから、大半の人は仕事で無理をしたり、長い時間働くのは仕方がないこと。
それは会社の仕事を覚えるためであったり、自分の事業を成功させるために四六時中仕事以外のことができないほど忙しくなる・生活が荒れることはある。…そうやって大人になったりできないことができるようになったりすることは…ある。
だから、無理をするなとも言わない。
でも、その時に忘れないで欲しい。
「その無理は自分の力以上に続かないし、無理をいつまでもできない。ひょっとしたら自分が思っているほどできてないかもしれない。…最悪の場合、そういう病気はあるし、がんばればがんばっただけ負担を強いられる環境かも知れない。がんばると同時にどこかで疑って、周りを見て、無駄な努力や搾取に付き合わされてないか、キチッと確認してほしい」
と自分自身を疑う・省みることを忘れないで欲しい。
もちろん、体力を付けて無理ができるようにもすべきだし、無理をできることも才能や能力の高さだと思う。
だが、何より自分・他人・その場の空気感など周りのことが「異常」である可能性を考慮し、それを判断する尺度や視野を持つ努力を怠ってはいけない。
おかしいと気づいたらバカにされるとか、メンツがどうとか、勝ち負けだとか…そういう見栄で判断を濁らせちゃいけない。
ベストや先行きも大事だけど、緊急時にはそれを無視してでも逃げる勇気・汚名をかぶる覚悟がないと、年単位で、ヘタしたら自分の一生を犠牲にすることだってある。
躁うつ病にかぎらず、精神疾患は治らない。
良くなるけど、完治はせず、ずっとつきまとい、無理をすれば再発だってする。
そんな一生残る傷を背負わせる仕組みも、そんな中で働かないといけない人も少しでも減ってほしいものだ。
特に若くして子どもの泣き声で精神が滅入ったり、自分の意思よりも体に制約されて仕事ができず生計が立たない、行動範囲が狭くなって出会いも少なくなる。
そんな制約を受けて生きる人は可能な限り減らしてほしいものだ。
気になった方はもっと書籍を読んで掘り下げてほしい。いろんなことがわかるはず!