若者がデスクトップPCから離れてるらしい。ノートPCを使う人が最大勢力には変わりないのだが、スマホの高機能化のせいかパソコンを使う時間自体は減少している。
“若者のパソコン離れ”が急加速? 利用時間が1年で約3分の2に減少
スマホ使ったことないからざっくりとしかわからんが、ガラケーと違って、動画やSNSにも弊害なくアクセスできるため、「ああ、一般の人ってそんだけできれば十分だよね~」と納得してしまう。
僕よりも若い…今学生・10代の連中は僕がはじめて持った電話とメール以外に不自由なガラケーの姿とか「歴史」だもんな。僕が「マルサの女」に出て来る肩にでける携帯電話を見る時と同じようなリアクションするんじゃない?
「アレですね(困惑)メカニックでカッコいいですよね(社交辞令)」
…ええやろ?軽量化も不十分で液晶画面がちっさいからスマホみたいに壊れへんし、ボタンも液晶じゃないから打ちやすい!
でもな、動画はおろか調べ物にさえ通信が遅くて金かかるガラケーが主流の世代はパソコン信仰強いねん。リアルタイムの通信なんかせーへんから、ガラケーじゃカーナビ代わりの昨日もないからオッサンの車にはカーナビが積まれてるか、コンビニとかで売ってる地図が必ずと言っていいほど入ってるわ。
今回は珍しく僕が「オッサン」の立場で、「離れていった若者」を語る記事や!
今までは若者ポジで話しとったけど、今日はオッサンポジで語るわ。
長文書いたり、オフィス使わないならパソコンなんかいらん
結論から言えば、「消費者が必要でないものは車でもパソコンでも離れる」のは当たり前であって、車離れもパソコン離れも「役目が終わったから文化的な愛着のない世代は無理をしてまで買わないことに何の不思議もない」と思う。
が、「文化的な愛着」というのがややこしく、必要な機能だけの下位互換を作っても、何かと理由をつけて消費者が移行しない時期が「○○離れ」の初期にはある。
昔からある会話を書き起こしてみよう。
「携帯電話、何に使うの?」
「電話とメール。(※60過ぎてる人はメールさえ使わない)」
…実際に、高齢者向けの携帯電話はもはや子機だし、本当に電話とメール…それとせいぜいメモ機能・録音機能程度しかない安価な携帯電話が山のように昔からあった。
通信会社の大小にかかわらず、ショップに行けば最新機種以外の(初期費用が)0円のちゃちい電話は必ずある。
露骨に0円の電話やショボイ通信会社の電話を使ってるとそれだけでダサく言われてしまうため、若い人でみんなが携帯電話を持ってるのが当たり前の世代には最新機種が売れたりもするけど、実際のところそんなに大したことに使ってない。
これと同じニーズはパソコンにも存在する。
「どのようにお使いになりますか?」
「メールとインターネット…あと、たまにワードやエクセル。」
…10代の場合、この「たまにワードやエクセル」がなくなる。さらに
「インターネットというと何に使いますか?」
「SNSや動画を見ることが多いです。ネットサーフィンってほどじゃないんですが、調べ物に少し…」
とこんなもんだ。しかも、携帯と違って人に見られるものでもないため、機種によるかっこいい/かっこ悪いが少ない。それはデスクトップはもちろんのこと、ノートでさえ機種による貴賎がさほど言われない。
一部ではMacならカッコいいと思ってる人がいるが、エンジニアでMacが多いのはあくまで実用性の問題で、文系にはちっとも関係のない話。(勘違いしてる人がいるけどね)
オーバースペックといえば、携帯電話にもパソコンにも当てはまった問題だが、ややこしいのは「みんなが持つものだから単純にスペックが低くて安いものというわけにもいかない」と言う人が一定数いること。だから、安くてもダサいとダメ。
でも、コストを抑えて、なおかつ機能も満たしていて、それでいてカッコいいモノが出てきたら?
それがスマホだ。
大多数の「大衆がパソコンで満たしたい機能」は長文を書かないのであれば、100%スマホで事足りるうえに、スマホで済ませることをダサいとも思われない。
ならば、パソコンを使う人は長文を読んだり書いたりする人、技術の必要な開発や制作をするエンジニア、PCゲームや音楽・画像を山のように保存するオタクなどでない限りはスマホだけで済ませる人は多くなる。
良くも悪くもパソコンがオタクや何かしらの作り手・業務用の道具になっていく時代が来てるようだ。
また、僕のように「安価な携帯電話と、安価なパソコン」と使い分けてた人もいるが、月々の料金だけならガラケーもスマホも変わらなくなりつつあるので、今後もスマホ人気と、ガラケー・デスクトップPCの後退は続くのでは?と考えている。
スマホが活字離れを起こす?若者の強みを喪失させる?
1つだけ老害っぽいことを書いておくと、スマホの画面で今までのような長文のブログ・長時間の動画を見るのは大変だから、「若者の活字離れ」はもっと深刻になるのでは?
もちろん、「携帯電話以外で活字を読めばいい。パソコンでブログ/ニュース、図書だって紙も電子書籍もあって選択肢が多様化する」のは否定しない。
だが、電子書籍やタブレットの普及率なんか決して高くなく、スマホを持ち歩く以上移動中に片手で操作できるスマホのゲームをする人が増える(若者にかぎらず、むしろオッサンがパズドラをするのを最近見かける)のは仕方ないのでは?今、読書や情報収集の時間をきっちり確保して取り組むのは大変では?
もちろん、世代論で紋切型にせず、「頭の悪い人は頭が悪く、頭の良い人・努力する人は常に努力してる」のが普遍の真理だ。
実際、競馬新聞しか読まない老人、休日になってもパチンコに行くような大人もいて彼らが若者よりも文化的で知的かといえば、決してそうでもない。
ただ、問題に取り上げておきたいのは未成年の世界観はどうしても学校と友達の間で流行りのものへ偏る。偏った結果、新しいことをする時、家にパソコンがない、活字を読む習慣・体力がついてないのは彼らにとってはしんどいことじゃない?
僕が大学生以降、毎日ブログを更新したり、膨大なニュースやつぶやきを読めるタフネスが付いたのは学校での読書以外に、家から遠い学校に転校した際に得た往復1時間の読書時間のおかげだ。
大したものは読んでないが、量を「読む」体力を付け、その読んだ感想をメモってた習慣は後々にブログでレビューを書く際に役に立った。
スマホではなく打ちやすいガラケーで友人向けに文章を配信したのも後々ブログを書く上で役に立ったからこそ言いたい。
今のスマホの打ちにくさはテキストや文字を読み書きする能力を育ててくれないのでは?
そうなるとブログや文章を読み書きする技術をもった人が今後生まれにくくなるのかな?ライターまがいのテキスト関係だけならいいが、パソコンに触れる機会が減ることで事務能力に関わる能力・開発やツールに関わる機会・より長編の深いコンテンツ(大容量のゲームや動画全般)に触れる機会がが減ると、学力だけではなくデジタルな時代に生きてる強みさえその世代からなくなってしまうのでは?
あくまで「今の傾向が続けば」の話だが、教育やサービスに携わる人はもっと深く考え、先読みした何かを考え始めたほうがいい。また、今後の動向を注視したい。
離れたことを揶揄する流れがあるが、「人が離れるということは技術が失われる危険がある」ことをもっと知ってほしい。
理系離れだけはその心配をしてるが、車離れが起これば運転できないペーパードライバーが増えるし、パソコンで長文を読み書きしない人が増えるとテキストや書き物を作れる人が減ったり、もっとITの技術に関わる人材が増えにくくなる。
その事の危機感は「○○離れ」の話とセットで議論されるべきだ。
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