L型大学とは大学の存在意義をわかってない人が抱く妄想である!

 

「冨山和彦」という人がしたトンチンカンな提案が話題になってる。

中身は【大学を「グローバル(global)で通じる人材を育てる」G型と、「ローカル(国内)で仕事に就くための教育を行う職業訓練校」L型に分けて、徹底的に特化させよう】という提案で文科省の会議で出たそうだ。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf

何が問題かというと、L型大学で教えることが別に大学で教わる必要のないことばかりで、それを「実践力」などとのたまう所だ。

例えば、法学だと道交法や大型免許取得を教えるべきで、文学・英文学の授業では海外からの観光客と話す英会話と歴史うんちくを教えるべき…と述べた。

読めばわかるバカバカしさだが、釣られてやろうか。

ただ釣られてたら僕がアホっぽいので、もうちょっと中身のあるものを書くよう心がけながら…。

「中退1流・留年2流・卒業3流」の真相

早稲田大学で言われる俗説だが、これはあながち嘘でもない。

実際、留年した人の中にあのノーベル賞候補者の村上春樹さんがいたり、中退した人の中に半沢直樹役で時の人となった堺雅人さんがいたり…。

これは早稲田だけではない。起業家や芸術・科学技術で興した人には中退した人・留年してる人がかなり多い。ネットで有名な人だとホリエモンだったり、ヤマカンだったり…高学歴なのに留年・中退して仕事を作った人はたくさんいる。

もちろん「学校サボらないと…。」というわけじゃないが、実際にYahoo!もfacebookも学生生活の遊びの部分から生まれた技術であり、ビル・ゲイツは名誉学位扱いの実質的な中退、スティーブ・ジョブズも中退して(けど、その後の人生を変えるきっかけは大学の中で見つけて)できた産物である。

日本人で「イノベーション、イノベーション」と連呼するような人が求めてるイノベーションは意外と授業の外にあることが多い。(ただ、Googleだけは大学の授業あっての成功なので、大学の授業がイノベーションの役に立たないとは言わん)

大学という場所は日本でもアメリカでも「機会」だ。モラトリアムという言葉が示すように、自分がやっていくまでを考える時間。それを未来に借金をしてまで買ってる。

それが実用的な職業訓練だったり、締め付けられたクラス制だったら意味が無い。

たしかに、今現在の大学で学べる「教養」や「学術的な知識」に実践力は乏しいし、あまりにも放任すぎるから「もっと勉強しなくて大丈夫か?」と思う人もいるかもしれない。

だが、放任でなおかつ自分の想像力の外にあるものへアクセスできる多様な授業があるからこそ、考えや選択肢が広がっていろんな活動を興す人・自分の適性を考える人がいる。

大学から中退した人・留年した人の方が評価される俗説がある理由…それはそこに適正があると気づいた分だけ「己の適正にも気づけず、ただなんとなく大学を卒業したやつよりも優秀だ」という意味が含まれてる。

それがわからない人が大学のことを論じないでほしい。

実践力の賞味期限は短い

ここまで書いても

「でも、大学時代に起業したり、派手な遊びをやらかす(ために、大胆なアイデアで企業にこぎつける)のは高学歴が中心で、低学歴な人は少ないよね~」

と言う人がいる。…せやな。

だけど、だからといって「イノベーションを起こさない低学歴は文化的な教養を広げる教育はせず、大型免許と観光客向けの英語だけ教えて現場で働かせればいい」と言う意見は違う。

そもそも、「実践的な現場を前提にした教育」は賞味期限が短い。

例えば、ドライバーを提示してるが、都内にはどれだけのペーパードライバーがいる?中学・高校・大学と英語の勉強をがんばったり、英会話を取り入れた授業をした人で英語が使えない人が現実にどれだけいる?

資格を持っていることや実践的な訓練をさせてもそれを仕事として続けて行け無かったらそんなものはすぐに錆びる。しかも、資格の勉強は資格の勉強に過ぎない。はっきり言ってしまえば、高校までの「明確に与えられたものだけをやる勉強」と職業訓練校と化したそれは何も変化がない。

よしんばそれを習得しても現場で挫折したら何も残らなくなる。挫折の体験は残るかもしれない現場に入らないと活かせない仕事にはその程度の価値しかない。

そもそも、現場だ・即戦力だとほざくのはけっこうだが、大量雇用する産業は20年置きぐらいで大きく変わってる。

農林水産業から始まり、炭鉱、土建、製造業、そしていまは接客だ。それぞれに必要な技術も違えば、下手すれば適してる人柄だって違う。

で、会社や組織ありきの能力なんか何も残らない。

その時々の苦労に応じて人間が成長することはあっても過程で得られる成長は高校生までのものと一緒で「L型大学で努力してよかった」なんてものはさらさらない。

職業訓練校になれば大学の勉強と違い、「自分から課題を見つけ、資料を探し、発表する」という企画から調査、発表までの一連の流れはを学ばない。大学で学ぶ過程は学部を問わず一生モノだが、大学が職業訓練校になると多くの人は自分から考えていく自発性をますます失う。

大学で一番価値のあるものは時間、その次が大学生という肩書があるからいられる場所(付随する設備と講師、大学生であることを理由にできるコネクション)…そしてその後が授業だ。

そこら辺をわかっているのが、netcraft氏の言い分なんだ。

対談 第一回 三沢文也様(はてなブロガー) | 株式会社参謀本部

この参謀本部という会社は精神を病んだ人・業界未経験者でも積極的に雇う変わった企業だ。

「沢山は働けないけど、働きたい人」を雇うことでコストを下げることが目的であり、同時にそういった人の中にいる学歴のある人・多感な人を発掘して仕事を通じて登用していくことで仕事を回しているという。

病んでしまって、組織の中で仕事をする体力・集中力・なによりも機会を失った極限の状態でも「何かを学ぶための課題発掘・調べる・実践する」という大学で習った過程は活かせる。

日本には大卒後ドロップアウトしたり、高学歴を活かせずワーキングプアに成り果てた人がたくさんいる。でも、その人を雇い入れる中間的な仕事(病んでてもできる・経歴の黒さがハンディにならない仕事)が少ない。

大卒が多くなった社会だからこそ生まれた財産なのにその財産を「頭でっかちが増えた」「小粒な奴が増えた」と発想転換できず、昔の基準で悪く言う人が多すぎる。

かくいう僕だって、躁うつ病だ。まとまった勤務をこなすことができない。

でも、「病んでても毎日ブログを続けて小遣い稼ぎをするところからリハビリしていく」という中間的な就業に近いことはしてる。もちろん、お金目的だけではない。

だけど、今書いてるブログを毎日毎日組み立てる技術も、大学での授業の体験が活きてる。自由な時間に遊んだ経験が話題発掘力として活かされてる。そして、それがささいではあるが、お金になることがわかったことで大学での段取りや体験が病んだ後でも活きる一生モノの体験であることに気付かされた。

僕の大学には中退してジョブスのような人材になったやつは残念ながらいないようだ。しかし、何もなくなった時…健康も訓練も仕事も全部失った時に役に立つものは教養と好奇心…そしてそれを活かすアカデミックなプロセス過程と余暇を過ごす発想力だ。大学自体のカリキュラムよりもむしろ、大学という場所の風土がそういった力を授けてくれる。たとえ、Fランであってもその事が人生を救ってくれることがあるからこそ僕は大学という場所は必要であり、もっと評価されるべきだと言いたい。

それこそが世界に、自分に…イノベーションを起こすんだ!

スティーブ・ジョブズ I

「スティーブ・ジョブズみたいな人材が日本に必要」という割にはそういう人がジョブスから程遠い管理教育、減点法の評価を好むよね~あのメカニズムがよくわからない。

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