※このゲームはスッキリしません!
あまりにも難解すぎて「ゲームをゲームとして楽しみたい人」にはオススメできません!
それでもいい人だけ、どうぞお楽しみください。
「ヤツ」からの挑戦状
…はてなでは長い付き合いの「ヤツ」から僕に1つのゲームが投げられてきた。
このページにダウンロードも紹介も全部あるので、興味のある方はこちらからどうぞ。
早速ゲーム画面を見たが、正直なんのゲームかわからなかった。そのゲーム画面は次の様になっている。(ホームページに載ってるゲーム画面に関する画像から3枚掲載する)
始めの2枚は見当がつくが…どう見ても「同じゲームに見えない」のだ。
最後の1枚なんか、なんだこれ?もう、ゲームとしてのジャンルすら検討つかん!…ボイス付きではあるみたいだが、ビジュアルからはジャンルが想像付かない?
「ヤツ」が持ってくるゲームだから、単に「面白い/人気があって人に薦めたくなるゲームではない」ことはもうわかってた!
だが、いくらなんでも「やる前にジャンルさえ説明されない」のはやりすぎだ。同時に「なぜ、説明しない?」とも思った。
いや、プレイし終わった僕に言わせてもらえば、もう説明されてて嘘もついてない。
少なくとも僕はこんなゲームをやったことない。多分、殆どの人はやったことないと思う。いや、アレはそもそもゲームだったのか?
PCだからこそできる2ウィンドウ使うゲーム
パソコンだからできる演出があるゲームを作る人がいる。
有名なのは「いりす症候群!のゲーム画面の外で何かが起こるやつ」「I wanna be the gayのニセのエラー画面を使ったトラップ」だが…このゲームにもそういった「PCだからこそできる・映える」演出がある。
それが「画面を2つ使ったゲーム」という構造だ。…いや、厳密にはプレイは1画面なのだが、もう1画面使ってプレイする。
それを踏まえた上で、どんなゲームを知るためにホームページのトップに掲げられた言葉を見てみよう。
夢を見るということ
ゲームを好きな今の自分に
ゲームに夢見る未来の自分に
ゲームが壊した過去の自分に
1画面は…確かにゲームだ。1枚目や2枚目の画像にあったような見たらなんとなくジャンルが予想できるどこにでもあるようなゲーム。完成度は高く、難易度調整も絶妙だが「どこかで見たことある説明書なしでおおよそプレイできる」ゲーム。
もう1画面はそのゲームを管理する女の子で、ゲームを案内したり、今プレイしてるゲームがどういうものかを考える女の子。
彼女だけはボイスもあり、表情もあり、終始登場する。クリアの段階ごとに違う台詞で話してきたり、クリアできないところで手助けしてくれたりする。
このゲームに明確なジャンルが存在しないのはこのゲームにはあらかたのゲームが詰まってるから。
リソース管理SLGであり、難解なノベルゲーでもあり、もっと色んなゲームを内包している。
内包されてるゲームを通じてゲームとは何で、自分がゲームを通じて・ゲームにそそのかされてどんなことを考え・実践してるかを考えたり、見つめなおしたり、指摘されるゲームだからジャンルなんかない!
ジャンルがないのは「操作方法やストーリーなどでカテゴライズできないから」であると同時に「ゲーム自体が唯一無二で他にこんなゲームは存在しないから」という理由が大きいだろう。少なくとも、似ているゲームの存在を挙げることができない。
このゲームの最大の凄さは消費の仕方を変えたこと
これは僕の視点だが、このゲームの最も大きな違和感は自分自身が「ゲームの登場人物になってる」ということ。
それは「主人公としてクリアに導く」という意味よりももっと深い意味で。
正確に言えば、3枚目の画像の女の子に話しかけられる時にゲーム内の決まった名前ではなく「君」と話しかけられ、本筋と関係ない自分の持論やできごとについて語る。
そして、それがまた舌足らずで垢抜けない感じの幼くて生意気なオタク好みな女の子で、「無邪気な色気」で小難しいことを語ってくる。
現実に女子のコミュニケーションは男子のそれに比べて、親密度と距離感が一致しない。少しでも心を許せば手をつなぐし、その気がなくたって好印象なアイコンタクトや近い距離でしゃべる。その「本人はきっと気がないのだろうが、男にはキュンとくる距離感」を維持してしゃべる不思議なキャラだ。
1つの画面では「主人公に変わってゲームをクリアに導くだけ」だが、もう一つの…女の子は本当に自分の目の前にいるように話しかけてくる。知った間柄のようなゲーム仲間のように「ゲームとはこうだよね?」「でも、ゲームとはこうじゃないか?」「もしも、こうだったらゲームとはなんだろう?」と。
哲学的といえば哲学的だが、そういった話はRPGやギャルゲーの中で長ーいテキストとして出てくれば、それはもう早送り!
でも、それを聞かせるために時には近づいて、時には突き放してゲームを僕の隣でやってくれる友達のように彼女は接してくれる。いや、ゲームに詳しい「姉」か。
このゲームはその「ゲーム好きで気むずかしく、ところどころそっけない姉」にゲーム関する持論をああでもないこうでもないと聞かされるゲームだ。
きっとそれは大半の人にとって退屈であり、どうでもいいことかもしれない。
だけど、それだけ難解なゲームを最後までプレイさせるために1つ1つの難易度調整や演出・ゲームをプレイして感じるであろうこと(メッセージ性・受け手への意識)が綿密に練られた高度なゲームでもある。
序盤に「アレはゲームだったのか?」と僕は書いたのだが、それはこの演出ゆえに「他人を操作している」「操作して何かを成し遂げた」というゲームならではの感覚が薄いことにある。その感覚はとても新鮮であると同時にスッキリしない。だから、多くの人に薦めにくく、魚の肝や肉の脂のように口当たりとして残り続ける。
僕からはこんなところだ。
丸一日もあればできるので、貴重な休暇をゲーム好きの彼女と過ごしてみて下さい。
僕が思う「エヴァをゲームにするとこんな感じ」がSCE2だと思った。
やたら哲学的な問いかけをしてくる女性に(プレイヤーがシンジくんとして)アレコレ言われながら考えていくさまが。
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