なぜユーチューバーはブームしたのか?

一時期、飛ぶ鳥を落とす勢いでYouTubeを見ても見なくてもユーチューバーと呼ばれる連中の広告を見かける。

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がんばって動画を数本見てみたが…「へぇ~」程度で特別面白いとも思えない。

「テンションやリアクションで興味を引こうとしてる」以上のものに見えない。

なんでブームした?忌憚ない感想が聞きたくて人に質問したら面白いことを言ってた。

「アレは僕らの世代のフラッシュ倉庫と同じ。子どものブームがわからなくなったのは年を取ったということ」

…なるほど。一見、ネットの歴史に反した存在に思えるユーチューバーはネットでのブームの系譜をたどれば説明できるのか!

キーワードは「出オチ」と「内輪ネタ」

僕ら…20代半ばのインターネットは中学時代にフラッシュ倉庫から始まる。

リズム感と出オチで笑いを取るスタイルは子どもにもわかりやすい笑いがあった。

テレビで言えば、レーザーラモンHGや、たむらけんじ、狩野英孝辺りの1発芸・出オチ芸に近いノリ。…特に意味はないが、テンションやリズム感で笑いに押し込む芸風にイラストを添えたモノが流行る。

例として「フラッシュ倉庫の有名な作品」を2つ貼る。


かの有名な「千葉滋賀佐賀」。ラーメンズのコントに文字を当てたものだが…よくよく考えてみると特に意味なんかない。テンションに押されて笑ってしまうだけ。

もう一個はこれ


曲だけならフラッシュ知らない人でも聞いたことあるのでは?

空耳ネタはニコ動にブームの中心が移っても人気は衰えない。ニコ動の初期とフラッシュ倉庫の人気作品の共通点は「動画や芸の完成度よりも高いテンション、出オチが共有できるかどうか」と「作者自体のキャラクターがないこと」にある。

作者の代わりにモナーや八頭身が演じる作品が多い。( ゚д゚)や(*´∀`*)やなどの顔芸を活かした作品もたくさんあった。そもそも顔文字やアスキーアートのキャラクター性自体に馴染めない人はフラッシュ倉庫を楽しめなかった。

実際、私が一時期、パソコンのトップ画面を「チャーハン作るよ」という(`・ω・´)をイラスト化したものにしていたら、フラッシュ倉庫ネタのわからない母のコメントはこうだ。

「これ、何の動物?…ぶた?」

それ、大事か!?

そもそも、(´・ω・`)とか(`・ω・´)のかわいさが伝わらない人にはコレ自体が内輪ネタのようでキャラクターとしての愛着が感じられないようで、作者が借りてるキャラクターがそもそもフラッシュ倉庫を見てもよくわかんないらしい。

ちなみに、母と私のフラッシュの思い出は「バスト占いの歌」というフラッシュが当時のパソコンの履歴に残ってるのを見つけて

「何なの、これ!」

と目の前で再生させて問いつめさせるほど、子どもがジョークサイトを見ることに理解がなかった。(ちょうど中学生が面白がる下ネタだけど…まぁ、ダメでした)

ニコ動に移ってからもこの出オチ芸文化と、「匿名でネット上で共有してるキャラに演じさせる文化」はしばらく健在だった。 特に言及すべきは後者だ。

この時代までは作者の代わりにフラッシュならモナー、ニコ動なら初音ミクというキャラ(内輪ネタと匿名性)がいるからYouTuberみたいにみんなが顔を出すこともなかった。

また、人ではなくネタでつながっていたから特定の作家の世界観を見に行く形でもなかった。

変化が出てきたのは歌い手や作家性が濃ゆいボカロPの台頭。

初期は内輪ネタありきで盛り上がっていた2ちゃんねる出身者が多かったこともあって盛り上がり方が共有しているキャラクターありきであり、歌い手もあくまで顔も出さない・商業化も狙わない人が中心だった。

しかし、ニコ動生え抜きの人が出てくると共有してるキャラや既存のネタよりも自分の解釈や作風を活かしたものが出てくる。(ここからはYouTuberが出てくるまで「出オチ感」の出し方が少し変わる。動画タイトルやサムネイル、扱う題材が挑発的であり、惹きつける「クリックしてもらうための出オチ」が増える。が、中身からは子どもでもわかる「わかりやすさの出オチ」は失われる)

結果、ニコ動で人気が出た人はデビューしたり、ニコ動にしかいない人気者の存在が「ネタよりも誰がやるか」「匿名よりも特定の誰か」へと人々をシフトさせていく。

さらに色濃くなったのが「実況プレイ動画」だ。

ネタがわからなくても、実況者が面白ければとりあえず見る。逆に好きなゲームでも実況者がつまらない動画は見ない。

ユーチューバーの発明は「出オチ×オリジナル」の両立

完全にネタよりも個の力が勝ち、作者の名前や作品自体がブランド化し始める

まだ、YouTuberみたいに顔は出してないが、この段階でネタや内輪単位ではなく「自分が個人を追いかける文化」が形成されている。

ニコ動の実況者文化からさらにゲームという「元ネタのある媒体」を取っ払い「個」に特化した存在がユーチューバーだ!

「個」を重視するコンテンツは投稿者だけが面白ければいい。

ニコ動やフラッシュ倉庫のように内輪ネタを知らなくても気軽に参加できる。

初期のニコ動には「良質なコメントができないなら、コメントを打たない方がいい」という空気さえあり、投稿者も投稿者でコメントを想定した双方向のコミュニケーションがあった。

YouTuberは一方向に、テレビのようにコンテンツを作ることで、参加者に対する敷居を下げた。

かつて、20代がガキの頃にハマったフラッシュ倉庫的な「わかりやすい笑いとしての出オチ感」を出しつつも「ネット特有の下ネタや内輪ネタが見られない・わからない人にハードルを下げて提供する」ことに成功した連中だ!10代や今まであまりネットを触らない人がテレビでネタを見る感覚で、一目で分かる芸をすることに成功し、昔に比べて大衆的でオタクでなくとも(むしろオタクじゃない方が)馴染める芸風を確立した。

一応、まとめておくとこんな感じ

YouTuber誕生までの映像コンテンツの系譜

フラッシュ倉庫・ニコ動初期

わかりやすさとしての出オチ

・内輪ネタを立てることを前提とした匿名性(作者自体のキャラがない)

ニコ動(独自の投稿者の台頭)

・クリックしてもらうための出オチ

・内輪ネタから派生した二次創作的な作家性。作家性が出てきたけど、まだ顔は出してなく、媒介になるコンテンツありき。

一部のボカロPによるプロジェクト(カゲプロみたいにボーカロイドが出てこないオリジナルキャラによる世界観)

・クリックしてもらうための出オチ

・一次創作的(オリジナル)で作家性が出てくるため、他のコンテンツがわからなくても楽しめる。が、作者自身が演じてるわけではないから顔は出してない

YouTuber

わかりやすさとしての出オチ

・オリジナルのコンテンツで所見でもわかるもの。作者が顔もキャラを全面的に主張。

オリジナルだから面白いというわけじゃなく、作家という単位で人気を集めてそれでいてオリジナリティがないと商業化しにくいのよね…。

言い換えれば、「YouTuberはコンテンツが商業化していく流れを引き継ぎつつも、芸風は先祖返りさせて低年齢層を狙い撃ちしてる」んだよね…。

400万人に愛される YouTuberのつくり方

この手の本は宣伝や自慢話になりがちだけど、どうなんだろう…?

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