マイルドヤンキーについて調べてみると、地方民への偏見や見下しが見て取れる
マイルドヤンキーについて調べると彼らを悪く言う記述が多い。
タイトルからもわかる通り、この記事もかなり強い物言いで彼らを批判している。
Wikipediaが参考にしている文献でさえ、この有り様だ。
ざっくり言って、マイルドヤンキーの特徴は以下の通りです:
- 生まれ育った地元指向が非常に強い(パラサイト率も高い)
- 郊外や地方都市に在住(車社会)
- 内向的で、上昇指向が低い(非常に保守的)
- 低学歴で低収入
- ITへの関心やスキルが低い
- 遠出を嫌い、生活も遊びも地元で済ませたい
- 近くにあって、なんでも揃うイオンSCは夢の国
- 小中学時代からの友人たちと「永遠に続く日常」を夢見る
- できちゃった結婚比率も高く、子供にキラキラネームをつける傾向
- 喫煙率や飲酒率が高い
半分ぐらいの項目は「あれ?生まれ育った土地で一生涯過ごす地方の人なら普通のことでは?」という内容だが、なぜかそれを「マイルドなヤンキー」と呼び、ほとんど「地方民あるある」に当てはまる人達のことを悪意のある言い回しでまとめられている。
マイルドヤンキーという言葉をはじめて出た本「ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 」の筆者の定義もひどく、筆者の名前が入った画像にはマイルドヤンキーはこのように定義された。
無理のある分け方だ。
特に、変なのはこのエリート層。
世の中で、いわゆる「エリート」と言われている人達は果たしてITリテラシーは高いといえるのだろうか?
もちろん、最先端のものに常に詳しい人もいる。しかし、エリート層の中には保守的で、ITリテラシーにも新しい価値観にも疎いような人もたくさんいる。
SNSやスマートフォンへの順応性を見てもいいし、海外から来た新しいビジネスや仕組みへの捉え方を見てもいい。
「エリートがITリテラシーが高い」と言える根拠はなに?
おかしいのはエリートだけじゃない。
オタクの分け方も酷い!!
頭ごなしな偏見以外の何物でもない。
オフ会や同人誌即売会・ネットなど見ず知らずの人と会う機会が多いオタクが「友達を新規開拓しない」は大嘘。
オタクが言う「コミュ力低い」はオタク以外や異性に対するコミュ力が低いだけ!!
普段考えて生きている人なら0コンマで見破れる嘘で他人を言うんじゃないよ…。
B層・草食系男子…エリート達の「見下し系造語」にご注意!!
マイルドヤンキー以外にもこのように悪意のある言い回しで他人をカテゴライズして回る「見下し系造語」はいくつか存在する。
例えば、B層という言葉をご存知だろうか?
元々は小泉政権下で、郵政政策について宣伝することになった広告会社が作った言葉だが、これが「日本をダメにしたB層の研究」という本で再び話題になった。
その「B層」の定義は「見下し」の要素でできていると言っても過言じゃないほど酷いものであったため、B層を定義して国民に宣伝したことが「国民を愚弄しているのでは?」といった質問も出た。
どのぐらい酷いかというと…こうだ。
知能指数という曖昧なもので区別されてもなぁ…。
そもそも知能指数は知能指数だから、努力しないと仕事や趣味で大きな成果を上げることもない。
発達障害かどうかを調べる時にIQテストを何時間かける精神疾患者ならすぐ見破れる嘘だ。それをドヤ顔でウソの図を作って「あいつはバカだから一生騙される側だ」とか言える愚かしさに閉口する。
いや、この資料がまかり通る小泉自民党は、構造改革の利益が1%の人にしか行かない(残りの支持者はだいたい騙されていて、バカだから騙していい)と定義してる時点で、「1%の人のために政治するなよ」と言いたくなるね。
でも、今回の問題はそこではない。
問題は、B層もマイルドヤンキーも広告会社・マーケッターから生まれた言葉であることだ。
そして、マーケッターの造語には統計的な根拠が無く、筆者・名付け親の偏見や見下ししかない。
その流行語、「ヘイト」「差別」の類かも
そのくせ「いるいる」と感じさせるふんわりした定義でまとめ、表面的には流行る。
冷静に考えれば客観性も論理性もなく「ぼくがかんがえたさいきょうのヘイト(よく知らないけど不愉快な奴を攻撃してやろう)」でしかない!
草食系男子に代表される女性向けメディアに載る「○○系男子」も同類。
「こういう人は嫌」「アイツならあなたも落とせるんじゃない?チョロそうだし」とふんわりとした内容で人の感情を煽る。
でも、多くの場合根拠はなく、あまり相手のことを知らなくても「この手の人は見かける」(それも昔からいる)と共感できるような相手。
それだけ観察・考察・調査が浅い。
だから、頭ごなしな造語の多くは役に立たない!
役に立たないどころか、やんわりとヘイトや差別を助長している言葉もあるから、安易に使わない方がいい。
しかも、B層とマイルドヤンキーでは筆者や情報を読む層を「エリート」や「A層」に置いてあること、相手のライフスタイルを毒のある言い回しで語ることからより「見下してますよ!」「チョロいヤツラだから搾り取ってやりましょうぜ」と言いたげな所に嫌悪感や背筋の寒さを感じられる。
うーん、背筋が寒いのは僕だけではないようだ。
「マイルドヤンキー」が、広告代理店が、ヒットや不調の理由が分析できない、広告が刺さらない時の言い訳に使うのに便利な言葉だから流行ってるのは、間違いない。 クライアントに「そいつらを徹底的に調べて理解しよう」とは思わせない、ホワイトカラーの選民意識丸出しのネーミングが巧みだなあ。
— 岡安モフモフ@アーガイル (@shields_pikes) 2014, 11月 30
広告が刺さらない・自分達のふんわりとしたイメージでは実態が推し量れないから「あいつらが悪い」とレッテル貼りで攻撃。
なるほど、「若者のクルマ離れ」もその構造だ。
今も自動車免許を持つ若者は多いが、昔のように「無理をしてでも車を買う人」が減った。収入や住んでる場所を考えたら当然だが、自動車業界は「若者のクルマ離れ」とマスコミ達を使って、消費者を攻撃。
売れもしないものを売っておきながら「買わない奴が悪い」と居直る人達が多いせいで、2015年には「お説教広告」なる言葉までできた。
ものを売る相手を悪意のある形で、見当違いにカテゴライズしているのに、売れなかったら社会のせいで、バカ(だと見下している連中)のせい?
いやいや、そういうときこそ「自己責任」でしょうが!
幸せならマイルドヤンキーの情弱でもいいんじゃない?
「あいつはバカだ」「今の若者は」と言ったお説教広告・レッテル貼りの造語は相手にしないことが望ましい。
彼らの口車で、ふわふわとヘイト・差別に加担してはいけない。
よく考えてみて欲しい。
マイルドヤンキーと呼ばれる地方の人達はむしろ、「マイルドヤンキー」と見下されるような状態でも幸せに生きているなら、それはいいことじゃないか。
ITリテラシーが低いとか、所得や学歴が低いと批判されていたが、ネットも学歴も所得も幸せに生きるための道具でしかない。なくたって幸せに生きられるならそれでいいじゃないか!
人は「適したツールを選んで幸せになる」のであり、ツールの奴隷になるのではない。
どちらかと言えば、「自分はエリートで勝ち組だ」と公言してないと自分の幸せが維持できない彼らの方が、肩書や価値観の哀れな奴隷ではないだろうか?
マイルドヤンキーのITリテラシーが低い、スキルに関心がないというが「幸せになるのにITやスキルが必要がない」だけ。
僕には郊外…ずっと生まれた場所・友達とノイズを入れず、楽しく暮らしていけるマイルドヤンキーの方が、都市で誰かを悪く言わないと幸せも商売も成り立たないエリート様よりも幸せそうに映る。
僕が小学校の時に田舎に住んでたこともあり、彼らを侮蔑的な目で見ること自体が「東京で消耗してる人の嫉妬」に見える。お金や地位やちやほやされる承認まで手に入れても、昔の友だちや風景が恋しい人間の嫉妬。
自分が幸せならそれでいいんじゃない。マイルドヤンキーでもオタクでも。
そこに対して「あいつらは流行に疎くて田舎の貧困層で、俺達は流行最先端でエリートで富裕層で」とろくなデータも、基準もないのに言う方がどうかしてる。
しかも、他人に悪い意味での名前をつけて、偏見や差別を生み出す原因を作るのが立派な仕事として成り立っているとは…本当にどうかしてる。
興味のある方はどうぞ。読む前からバカバカしいから誰も買わないと思いますが。