3日かけて自分のブログ(日本語)を訳して、英語の文章を作った。
公開はしてないが、「ゆくゆくは英語版も作ってみたい」という気持ちがあって、自分のブログ記事を訳してみた。
それを終えたので、そこでの教訓を書く。
英検3級もあれば、英訳でなんかしら作れる時代
僕は大学を卒業してからも、年に一回ぐらい英語の勉強がしたくなる。
そこで去年までは英語のニュースを邦訳してブログ記事に上していた。
今年は邦訳よりもハードルが高い英訳に挑戦し、いくつかの発見をした。
1、テーマ選びから訳しやすい・にくいの基準が違う
邦訳の場合は「英文法に忠実で、口語表現やスラングが少ないものが訳しやすい」ということで、ニュースサイトのものを辞書ありで訳せば、高校1年で英検3級を取ってから英語力が進歩してない僕でも意味の通った日本語にできる。
僕が勝手に「できる」と言い張っているのではなく、僕がでたしょーもない(いわゆる、Fランと呼ばれる)大学の英語の授業は、本当に「ニュースや条文を訳す」授業ばかりだった。
一方で、YouTubeなどのコメント欄に書かれた英語は、ニュースのように理路整然としていないし、辞書にも載ってないスラングもあるため、訳せないものが含まれてる。
だから、入門者・英語に明るくない人が英語の勉強をする時は、「ちゃんとした文章が載ってるニュース・政治的な条文」などがやりやすい。
もちろん、独学でやれば有段者から見ると「間違ってる部分もあるけど、だいたい合ってる」「あってるけど、意訳に違和感」など、不格好な部分もあるが、ニュースがどんな内容で誰が何を言ってるかはおおよそ分かり、達成感の得やすい題材だ。
でも、これは英語を日本語にする時の話。
日本語を英語に訳す時は「ニュースやテレビでやってることを訳せばいい」というわけでもない。…ということにぶち当たった。
日本語を英語にする場合、向こうにはない概念のものが多くあるから「これは英語にある文化なのか?」「訳したとして伝わるのか?」と考えこんでしまう。
例えば、「お酒のあとに美味しいシメのラーメン」「日本の就活事情」など。
前者はいわゆる「シメ」の文化だが、そもそも英語のシメとは?
いや、新しい概念であることを前提に「シメ」とか「お酒のあとに美味しい食べ物」という概念から説明しないと本題に入れない。
後者についてはあからさまな認識の相違。
アメリカ人はすぐに転職する人が多いから、日本人みたいに一番目の企業がどこだったに必死になる理由がよくわからない。
いや、日本人から見てもよくわかんないけどさ…。
男女観や宗教観、政治制度の話なども日本と英語圏の国にはそれぞれ違いがあるからどこを基準に違いを説明しながらわかってもらえる文をつくるかを考えないといけくなって、そのための付け加えが必要になる。
2、邦訳の4倍以上時間が英訳にかかる
今回、邦訳では使用しなかったグーグル翻訳を使い、英訳に挑戦した。
しかし、それでもなお邦訳でかかった時間の4倍を費やし、三日間英語とにらめっこする羽目になった。
邦訳でグーグル翻訳を使わなかった理由は「訳してもらっても直訳すぎてよくわからない」「訳してもらった日本語を見てかえって混乱する」ということ。
英訳にグーグル翻訳を使用した理由は「わからない単語や語順を並び替える時のタイピング/辞書引き作業を一部省略できるから」だ。
翻訳機を使った僕がしたことは「翻訳機が僕の言いたいことに合わせた英語を表示してくれるような日本語文を考える」という作業。
日本語文はザクザク変えていかないと、英文法通りの語順にもならず、また英語なら複数ある表現のどれを選べばいいかがよくわからないから。
「見る」だけでどれだけある?
「聞く」も3つぐらいあったが、どれを当てはめる?
中学英語で出てくるネタだが、この類の使い分けを考えるのがめんどくさい。
ましてや、予備知識が乏しい英単語だったら、「どうするんだよ、これ。」と作業が止まってしまう。(3で説明)
また、訳し方がまともなを見つけたのに、
「英語の用途が狭すぎて、日本語文の表現とはズレる」
そこを如何に日本語のニュアンスに近づけるかで悩む。(4で説明)
だから、日本語力が問われる。(5で説明)
3、英英辞典が使える英語力が欲しい。和英には限界あり。
途中までgoo辞書を使っていたせいもあって、「これはどっちだ?」という時に辞書を見てもイマイチ理解ができない事があった。(後半に受験の時から使ってる電子辞書を充電してジーニアス時点を導入してからはこの手の迷い減った)
当時のことをツイッターで書いたので見てもらいたい。
日本で言う評価ってrate(査定する・みなす)であって、evaluate(財産・資料・能力を評価する、見積もる)であることが多いよね…。能力うんぬんというよりも手続きや便宜やリスクを減らすために線を引く感じ。
— 三沢文也 (@tm2501) 2015, 4月 3
いや、本来なら「rate」を使うのはおかしい局面だけど、僕が日本的ニュアンスを汲み取ると「建前上はevaluateと言い張ってるけど、これはrateだよね?」と。いう話が多すぎるわけでして。というよりも英語がわざわざ使い分けてる意味がわからん。評価するを意味する単語が多すぎる!
— 三沢文也 (@tm2501) 2015, 4月 3
上は翻訳機に打ち込んで出てきた2つの英単語で悩んだ僕が、ああでもないこうでもないと思考してる様子だ。
英語には「評価(する)」という言葉がとてもたくさんある。
そして、たくさんある英単語を用法に応じて整理しても3つに大別されて、日本語ならしなくてもいい「使い分け」を考えないといけなくなる。
僕が愚痴ってたら、まとめてくれた人がいるので、もっと興味がある人はそちらを参照していただきたい。
僕の疑問を解決してくれたのは、彼が英英辞典を使って調べてくれたからだった。
英英辞典の方がより細かく類義語との違いを説明してくれるので、よりしっくり来る回答が得られるそうだ。
しかし、基礎的な英語力がないとそもそも、英英辞典使えないのが悩ましい所。
4、日本語の言い回しが抽象的過ぎて、具体化しないといけない!
次に、僕が詰まったのは「人材」という言葉。
日本人は労働者でも、会社の人的資源(従業員・社員)でもなく、人材という言い回しを好む。
下手すると、「人手」という言葉にさえ「人材」の意味が入ってくる。
「人手不足」「人材不足」というが、日本には労働者になり得る人は足りてるが、今はネットやハローワーク経由で沢山の志願者を集められる。
だから、日本語で言う「人材不足」は英語で言う労働者でも人的資源でも(厳密には)ない。
そこで、当てはまる日本語を考える時に和英辞典は便利!!
繊細な使い分けを考える時には不向きだが、日本人の言いたいことを英語向けに言い換える能力に長けている。
英語で「人材」という時、日本語の意味合いを残すと「能力のある人」「才能がある人」という言い方になる。
「人材」=「(条件を満たした)能力のある労働者・被雇用者」
なので、英語にする時には、その意味をよーく考えないと出てこないのだ。
邦訳なら日本語のほうが大雑把だから、これを考えなくてもいい。
でも、英訳は広い定義の日本語を狭い定義の英語に切り分けてはめ込む作業だから大変になる。
5、英文を作るのに、日本語力が問われる
もう気づいているかもしれないことだけど、重ねて言いたい。
日本語文を英文にする場合、日本語力…特に、「同じ意味で言い換えられる日本語、具体的に細分化できる日本語を考える力」が試される。
受験英語は邦訳中心だから日本語力じゃなくて、暗記力と文法力しか問われない。
でも、英訳は当て溜まる日本語をいくつか考えないと言いたいことが表現できない。
暗記力だけではなく、言い換えや文脈にあった言葉を当て込む読解力が必要になる。
…ちなみに、これは英語をしゃべる能力ともまた別。
日本にするプロセスをすっ飛ばしたり、英語に慣れて英語だけで考えたり、反応したりできるスキルをつけていくこととはまた別物。(英語同士で喋っている分には日本語上の概念・言い回しなんか関係ないし…)
6、日本人は受験英語に呪われすぎてる
この記事を読んでいて「考え過ぎでは?」「神経質すぎるのでは?」と思う人がいるかもしれないが…自分で英語やってみ?
よっぽどできる人、成功した(通じた)経験のある人以外はこんな感じに答えがわからず、あるいは求めすぎて手探りになるから。
英語を学ぶ・英文を作るのに受験英語や英語テストでのトラウマが「これであってるのかな?」「あれもこれも調べないと…」と考える原因になり、英文としてかっちりしたものを作らないと落ち着かない一因になっている。
英語というハードルを飛び越えるはずの教育が受験英語という架空のハードルが高く立ちふさがっている。結果、「英語=神経質な照合作業」になる。
結果的に、「英語ニュースぐらいなら真面目な高校生・一般入試でどっかしらの大学には入れた人ならだれでも読めるのに、英語に関わらないように逃げまわる」という不思議な国民性が形成されてる。
「英語ができる=TOEICや英検で履歴書にかけるクラス」という日本人特有の文脈(英検3級はできて当たり前だから書くと笑われる)が英語嫌いと英語を考える時に難しく考えすぎてしまうジレンマを作り出してる。
それが英訳をすると如実に出てくる。
だから、自分でも驚くほど高校までに学んだ「ネイティブから見たら硬すぎるような受験英語特有の英文」ができないと落ち着かないようになっていた。
「英文らしい英文に訳せる日本語文」なんかしゃべる人は日本語としては硬すぎるし、その硬すぎる日本語文を見て「受験英語に囚われているんだなぁ〜」と改めて思った。
もっとフランクに英語を書いてもいい、しゃべってもいい、できると言っていい土壌がないと英語を学ぶこと、英語でなにか作ることのハードルは下がらないんじゃないか?
日本人として大学受験までを真面目にやってしまうと「受験英語」という宗教に無意識に染まってしまう。
受験英語が大嫌いな僕でさえ、受験英語みたいな文章ができないと「正しい英文」と思えないように頭が作られてるのはある意味病的!怖い!
その他、個人的に英訳してて気づいた教訓
・「自分が英語をするのは嫌いだけど、英語という知識は好き」という層が僕の周りには多く、英語に関する検証・考察ツイートに反応する人は多かった。受験英語の宗教から解き放たれると日本人で英語読む人は増えるかも…。
・4時間かけて英語の疑問を解決してくれる人がブログの読者から登場した。これがすごく嬉しかったし、身近に英語ができる人は意外と多そう…。
・研究/雑学好きな人は関係代名詞を習った段階で受験英語から決別して、翻訳をやったらいいと思うし、翻訳が英語勉強の1つのスタイルになってもいいと思う。関係代名詞まで言った理由は関係代名詞はマジで便利。訳した文章を見ると、関係代名詞がやたらと多くなった。(受験の時に覚えたイディオムは全然覚えてないのに、それでも邦訳・英訳どちらもできたので、アレはいらない。宗教の聖書を一言一句やぎのごとく食べるようなもの)
英語やんないとなぁ〜
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去年僕が書いた、和訳記事。後半部の意訳は完全に遊んでます。
そもそも、勉強ができること自体が日本では評価されてないのでは?
受験ができることと勉強・学問ができることは違うのです。