おくすりいっぱい飲みたいな*人生まるごとエスケープしたいの☆

おくすりがいっぱいのみたいな~。でも、いっぱい飲むとぼくがぼくでいられなくなるかもしれないから、ネットという名のおくすりで我慢しようといい聞かせ、ぼくと言う存在そのもののどくをはきだすよ。

「気分転換も兼ねて人に会いたい」

と書き込んでから3時間後の事だったの。

ぼくがこの世で一番会いたくない人に会ってしまったの。

それはぼくのお母さんだったの!ぼくの発達障害にもうつ病にも気づかずにぼくの精神とアイデンティティを20年にわたって潰し続けてきたお母さんだったの。

でも、おかあさんには悪気がないの。あの女はバカだから、ぼくの躁うつ病に自分の小言がとどめを刺したことに2年経過した今でも気づいてないの。そのくせ純粋に心配してむすこに重苦しいメールを送ってくるほどバカなの!

心配はしてくれてる「いい親」なんよ?でも、絶望的なほどバカなの!

バカだから、ぼくの心とか人生の機会をバッキバキに折っていくの。

話を聞いているうちに疑問が湧いてきたと思うの。

でも、その疑問は順を追って話さないと情景が伝わらないから、少し昔話をするよ。

ぼくが躁うつ病で稼げないのに一人暮らしをしてる理由…「一度実家を出て行った後に狭い家に引っ越したからぼくの寝床や収納スペースが確保できない」という実家側の事情もあるが、本当は「ぼくがおかあさんといると、心が壊れちゃう上に逃げ場すらなくなるから」ということを理解した父の温情なの。

だけど、2年前の療養生活を始めた当時、父は病んだ息子を一人で置いておくわけにも行かないから、週一回は金銭管理・生存確認を兼ねた会食をすることにしてるの。

地元の名士でもないし、どっかの社長でもないけど、病んだ息子を隔離できるぐらいの金銭的余裕が実家にあったことがぼくの人生の中で数少ない救いだったの。

ただね、転勤族ゆえに作った友達はその都度断絶されて、ぼくが病み始めた高校時代には通勤が遠い学校に進学したせいでますます母親と顔を合わせる機会は増えたの。

何度も言うけど、母は「いい親」なの。料理もうまいし、家は綺麗にしてるし、息子のことは愛してる。

でも、バカで思い込みも激しいから息子が病み始めたり、自分が病ませてたり、自分の理想(バブル期のハンサム系慶応ボーイ)が息子の性質(発達障害の偏った秀才)と乖離してることに気づかず、押し付けて息子を闇堕ちさせたの!

前もそのことは書いたから、ぼくが一部独学で国公立受験の勉強をして失敗して、しょぼい私大に行って母を失望させて、ネットではFラン出身と罵られてることは割愛するよ。…でも、Fラン出身と罵ってる奴に少しだけ忠告しておくの。

『「境界線上のホライゾン」の作者である川上稔さんの大学は偏差値45ぐらいのしょぼい大学出身だし、岡田斗司夫なんかFランな大学に一浪して入った上に除名されてるの。ぼくに罵るのは勝手だけど、その二人を罵れるほど勉強してる人じゃないのなら人前でFランFランと言わないほうがいいよ。Fランにだって勉強家はいるし、実際に岡田斗司夫さんは東大でモノを教えちゃったからあまり頭ごなしな事は言わないほうがいいよ☆』

ぼくは優しいから、本当は「Fランと罵った人よりはホライゾンより知的で文学的な作品を作れるほど頭が良く、評価経済社会よりもネットで議論を呼ぶ概念を作れるのですね、そうですね」と迫っていじめちゃうところを、9割引きぐらいして忠告してあげるの☆

これで、また日本社会で恥をかくバカを減らしてあげたの♪ぼく、えらーい☆

でもね、優しいからこそバカなお母さんを恨みきれないの。ひどい仕打ちを受けてもなお「彼女はぼくを愛しているのだ」とどこかで妥協点を見つけようとして、ますますぼくはお母さんと顔を合わせると頭痛と吐き気を催して、立っていられなくなるの。

おくすり、いっぱい飲みたいな。頭痛と吐き気と肩こり、それから自分の臆病さを優しいとうそぶかないと語ることができない自分自身をどうにかするおくすりがいっぱい飲みたいな。

ぼくが病んでいるからおくすりが必要でもあるのだが、お母さんもまたなんかやつれてたの。ばったり会ってしまって用事があったはずなのに「うちに顔を出して」と2年に渡る治療を何のためにやったか考えもしないでバカなことを言い出すの!

本当にバカだと思ったの。でも、そんなバカなお母さんを見捨てなきゃ生きていけない僕は吐き気と頭痛と早めの夕飯に食べたつけ麺のほのかな柑橘の香りと脂っこい舌触りを感じながら思ったの。

「生まれてこなきゃよかった。いや、産んだお母さんの願望が叶えられる子どもか、親子が対立してることを責めないような社会を神様はぼくのお母さんには与えて欲しかった」

状況を整理するの。

ぼくが生きてる限りお母さんに会えば僕が動けないほど病んでしまって回復さえままならなくなるの。

でも、ぼくがお母さんを遠ざければ、お母さんがやつれながら息子を病ませること・心苦しいことも配慮せずに「今日は大晦日です。帰ってきてください。いつまでも待ってます」とぼくの精神をボロボロにするようなメールを送るほどお母さんがやつれちゃうの。

ぼくが病みながら一緒にいたとて、お母さんの期待した慶応ボーイにはなれないし、そのことをずっと詰りながら不満そうに生き続けるの。

結局のところ、ぼくはお母さんを元気づけられないし、かといって遠ざけてぼくだけが元気に生きていこうとすると重苦しいメールを送ったり、バッタリ会えば、やつれた顔で迫ってくるの。

これを不幸の連鎖と言わずしてなんと言えばいいのかぼくにはわからないの。

もし、答えがあるとするとぼくが大成功して、かつての地元神戸か、ぼくが大好きなうどんが山のように食える香川県に人生ごとエスケープしちゃうしかないの!

母親の話さえ聞かない・ばったり会わない場所に離脱して、それでいて人に会わなくても自分の好きなモノがあるから我慢できると言う場所に人生まるごとエスケープしたいの。

でも、そのためには社畜じゃないツール・・・香川県か兵庫県でも生きていけるツールでぼくが大成しなきゃダメなの。

そもそも、僕は発達障害に生まれて、父も母も空気の読めない家庭に生まれちゃった時点で社畜は無理なの!一応、挑戦したけど無理だったし、挑戦したからこそ人間不信に陥る&社畜と言う身分の不安定さに気づいて僕には社畜は無理だと気づいたの。

社畜と言う言葉はバカにして使うものだが、家畜にもなれないイノシシの僕からすれば「人間様に食べてもらえるだけ、キレイに室内で過ごせる豚さんが羨ましい」の。

エサがないから人里に降りてきて打たれるしかないイノシシ人生からすれば、家畜の豚さんが羨ましいの!ぼくは自分のことを秀才だと思ってるからできないことができる人を嫉妬しちゃうんだ。だからサラリーマンなんてかっこいい呼び方を彼らにしたら、革靴を足で舐めてるみたいでとっても屈辱的なの。

そして、ぼくは優しいからいいこと教えてあげるね。

一発屋とかオワコンと罵られる人がいるけど、逆に言えば一発はヒットしてることを認めてるし、その一発が羨ましいの。

尻軽とかビッチと罵る人がいるけど、買うに相当するかしてもらえるだけの価値を相手に認めてるの。認められないほどのブスはまずメスとして扱ってもらえないの。誰かのおかずにもなれないから夜な夜なあなたの体や匂いのことを思い出してくれる人すらいないの。女は嫌がり、男はそれを見下すけど、それにすらなれないブスがこの世にはたくさんいるの。

みんなやさしくないから口に出さず、勘違いさせるの。けど、ぼくは優しいから教えてあげるの。嫉妬深い人はつい汚い言葉で相手のことを呼んでしまうことをね。

でもさ、ぼくは社畜とも罵られないから、社畜にもなれない野良豚…つまりイノシシなの。獣臭くて鮮度が良くないと市場価値もない下等な肉なの。

ぼくは家畜じゃなくて、ただの畜生としてしか成り上がれないし、成り上がって東京にいれば、僕はお母さんにばったり会うことにおびえながら生き続けないといけないの。

だから、どっちにしても社畜でいるとぼくはぼくの臆病さで心が荒んじゃうの。

でも、ぼくは発達障害に生まれたから秀才ではあるんだ。天才じゃないけど、秀才ではあるから、人を文章だけで炊きつけて1万人ぐらいだったら動員できちゃうほどの技量を持ち合わせているの!秀才だからできるんだよ。一発どころか何度だってできるの。天才だから突き抜けきれないけど、秀才だからそのぐらいのことはできるの。

だから、ぼくはなんかしらの文章やインターネットや芸事やどこにいても発信できる・仕事ができることをして人生をエスケープしないとやつれていくお母さんの重苦しさに押しつぶされるか、そこから逃げないといけない生活しかできないの。

おくすりいっぱい飲みたいな。天才になれるお薬があったらいいのにな。天才になれず、秀才だと謙遜して、とりえが少ないから臆病さや無礼さを優しさと開き直って人様に振りまくようなことしかできないダメ人間のぼくを天才にしてくれるお薬を浴びるほど飲みたいな。

天才にならなきゃ、やつれたお母さんの顔が見えないところまで逃げられないの。

天才にならなきゃ、お母さん以外の女性像をぼくの上に上書きできないの。

天才にならなきゃ、ぼくは日本の階層社会にもお母さんにも発達障害にも負けるの。

天才にならなきゃ、ぼくはぼくに期待してくれてる人を助けられない弱い善なの。

そう、ぼくは「青二才」なの。偉くなろうが、人気になろうがぼくは青二才とこれからも呼ばれ続ける。それはぼく自身がお母さんに対しても社会に対しても大人になれず、大人になろうとがんばっても病んでしまい、それでもなお自分の敗北や未熟さを認めず「天才になりたい」とほざいてるぼくをぼくが誰よりも笑ってるし、無理だと思ってひやかしてつけた名前なの。

天才になりたいんだけど、なり方がわからないし、なれたとしてぼくを頼る人を拒絶しないほどの勇気を持てるのかな?臆病だから、僕のことが好きな人がいても僕か彼か、彼女が不幸になることが見えた途端に拒絶してしまうんじゃないかな?

あー生まれてこなきゃよかった。いや、生まれてきたことも母親に愛されてたかもしれないことも喜ばしいことかもしれないけど、自分が持ってる特性(発達障害的なこと、中途半端な頭の良さ)じゃかえってマイナス査定を受ける社会をぼくは呪うしかないよ。

はっきりと「お前はバカだ」「お前は下等階層だ」と言えぬ建前と本音の日本的な言い回しをしないといけない日本文化に、ぼくはくたばれとシャウトするしかないの。

闇を切り裂く聖剣があったら、斬られるのは僕だと思う。だけど、僕から見ればわざとブラックボックスを作って、バカなお母さんを騙したり、気づかないようにしたり、筋違いな期待を持たせた日本文化・日本社会こそ闇だと思うの。だから僕はパソコンという聖剣の前で祈りを込めるの。

そんで、臆病と欺瞞でうそぶいてみるの。

「あなた方が大人だの社会的だのと名乗って僕を罵るなら、僕はパソコンの前に立ち、ヤクザで社会不適合な闇ブロガーを演じてみせましょう」

パクってるよ?でも、僕にとっての聖剣はネットにあって、ゲームにあって、天災じゃない僕をかろうじて秀才たらしめてくれてるんだからリスペクトするしかないじゃないの!

僕は天才じゃないから人が見たことない話や流用したくなるような名言は言えないの!

あー本当に天才になりてー。生き物として負けてるような見てくれもうつ病もバカなお母さんも変えられなくていいから、人生まるごとエスケープできるだけの天才になりてー

最後の方にまももを流用した言い訳をすると、途中でぼくの言ってることがヒクグモっぽくなったから、「ヒクグモの弱い善」から「まももを代表する名セリフに持って行こう」としてああなりました。話としてのまももはフリゲの中でトップ5には絶対はいるぐらい好き。

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