精神科という場所を的確に表しているのは化物語のこのセリフではないだろうか
助けないよ、力を貸すだけ。君が一人で勝手に助かるだけだよ、おじょうちゃん。(化物語/忍野メメ)
ムダだ!と半ば怒りに任せて吐き捨てたが、これは精神科に行くなということじゃない。
「過度な期待を捨て、多少疲れること・煩わしいこと・時間のかかることだと感じるまでは相当時間のかかることだと割り切らないと精神科通いは辛い!
その辛さを目の当たりにしてると『ムダだ』とキレたくもなる。」
この認識を持たねば精神科通いなんかやってられないし、実際話が伝わらなかった時に無駄に感じる。
そこを明文化しておかなきゃ通ってる人の辛さも伝わらないし、これから通う人でも精神科に行くことでのストレスをもろに食らわなくて済むのではないだろうか?
病んでる時ほど医者に会いたくないのが精神疾患
僕は定期診断で、精神科医に行ってきたよ。
訳あって、僕が精神的にげっそりしてる理由を説明しなくちゃならなかった。
げっそりの理由:おくすりいっぱい飲みたいな*人生まるごとエスケープしたいの☆
僕は「絶対に理解できないから、説明しない」と拒否したが、話さないと診断にならないと言う成り行きになって、『僕が母親に会っただけで2年間がんばって治してきたものが一瞬で瓦解して、5日ぐらいはほとんど何もできなかった話』をした。
「理解できない」と言ってる通り、医者からは無頓着な返答として「お母様にも言い分があると思う」という趣旨の話をされた。
…ええ、それは知ってる。
少なくとも母は私を病ませてることに無自覚であること・悪気などない事・そもそも病んでいる事実も未だに認識できてるか疑わしい。
認識の非対称性ゆえにまともに話なんかできないわけだ。
あたりまえのことが、人は分かり合えない。
分かり合えない以上は距離をとったり、黙秘する権利を認め合わないといけないわけ。いや、それすら認めなくてもせめて「余計なことを言わないこと」ぐらいは礼儀だよね?
…どっちかがある親だったら病まなかったんだけど。
精神疾患なんか病状自体が人にわかってもらえないことの連続。
医者によっては意図的に無頓着だったり、無頓着を装うことで冷静な会話ができてたりすることもあるから「悪い」と言い切れないところも含めてしんどい。
特に、個人的なトラウマなら、なおさら理解されぬことは多い。
母親は何も害をもたらす気もなくそれどころか世間一般的には好意的にさえ取られることを言ったのに、僕は心が病んでしまった。
それは社会常識から見れば理解しがたい現象だが、僕にとっては5日寝込めるほどのトラウマなのだ。
見当違いな善意ほど怖いものはない。
こんな人間との生活を20年もやってたら、人の心なんぞ壊れるよ…。
母親に対してトラウマを感じるきっかけとなったできごとの例
・試験に落ちて一番怖いのは親のヒステリー。高校受験では滑り止めの学校をボロクソディスられたり、大学受験では余った成績証明を盗み見されて辛い中がんばってる僕にご自慢のヒステリーで襲って来る。
・試験勉強期間、長い試験の後も「痩せろ」「顔のニキビが」とか関係ない話で気まぐれに説教してくる。
もっとひどいと「お前がその試験に受かるわけがない」などと罵られたことも…。・発達障害の変人の僕に慶応ボーイ的だったり、おおよそ30年前ぐらいの自分のリア充してた大学時代と同じ生活をするように求められて、自分のライフスタイルを会ったこともない他人と比較されて貶められたり…。
・その他。「夢のお告げがあった」とか朝から大事な日にわめき散らしたり、自分がわかることがわからないと「そんなことも分からないの!」とキレられ…
「良かれと思って」「相手にも言い分が」と言って、人のヒステリーや暴力じみた暴言が正当化される。
暴力やお金に訴えたら、人間関係なんか解決するかもしれんよ?
でも、そうじゃないでしょ?
だから、善意とか相手の気持ちがとか少なくとも精神科医という生真面目な患者を相手にしてる人は言っちゃいけないよ。
「やはり、そうか。お前達はそれを良いことだと思っている。 しかし、それは押し付けた善意だ。悪意となんら変わりない」(コードギアス反逆のルルーシュR2より/ルルーシュ・ランペルージ)
善意だと知った上でもおもいっきり傷ついたり、相手が汲み取ってくれないのに自分だけがそれを考えて壊れていく人がいる。
僕の葛藤はそれだよ。
治療のために聞くのはともかく、わかりもしない奴がいらぬ講釈を垂れるな!こちとら何年もその狭間で病んでんだ!
本当に「抗鬱剤を貰いに行くためのルーチンワーク」だと思わないと精神科通いはやってられない。
精神科医が病んでる時にむとんちゃくな発言に俺はげっそりさ!
精神科医は人生レースのレールから外れた人をレールに戻す「ジュゲム」
精神科の嫌な所は時間かかることより、カネがかかるより、何よりも「別にそいつに話したとて何か解決するわけじゃないし、なんかわかってもらえるわけじゃない」ってところよ!
言うなれば、マリカーにおけるジュゲムさんみたいなもの。
負けてるレースでもとりあえず、コースアウトしたやつを戻そうと拾いに行く人。
だけど、他人ごとだからすぐにコースアウトしそうなところに戻したり、ジュゲムさんに中途半端に拾われたがために、またコースアウトしそうになるような「必要だし、役に立たないわけではないが、問題点を理解する必要のあるキャラ」である。
医者は現象面で「病んでるかどうかを診断して、薬を適量渡して、それが正しく飲まれてるか、薬の相性は大丈夫かチェックする」と言う立場であって、別にカウンセラーでもなんでもないんよ…。
ただ、薬は効果あるし、薬をもらっていることや治療を受けていることは自分が躁うつ病だと証明できることに繋がるため、医者に有用性がないとは言わない。
が、通院自体で消耗する時も多い!こちらが過度な期待を捨てれば、有用性がないわけではなく、医者という役割をちゃんと把握する必要があることが悩ましいのだ。
僕は根本的に偏屈すぎる。おまけに、世間的なモノをマイナス思考で表と裏で見てしまうからいくらプラスのことを言っても、それを信用できない。
敢えて突っぱねようとしてるわけではないが、世間一般とは異なる思考・合理・症状で動いてる人の気持ちなんぞわかるわけもなく、わかんないなら踏み込まない形でしか優しさなんか発揮できない。
いや、わかったとしても、その人と僕がずっと一緒にいられるわけもなく、僕らの辛さがわかる方に世界の基準が変わらない。変われるなら人は病まず、病んだ事自体を悩むこともない。
その事実に直面するから病んでる時・何かの努力が砕けて「精神医療なんてムダだ」「薬で治っても悩みは解決しねーんだから、同じことに悩んで再び病むだけ」と気づきながら病院に通うのは、もはや荒むしかない。
誰が悪いという犯人探しではなく、ムダなことの中で生きてる自分自身やそんな僕がムダだと思ってることを周りの人も気づいてか、気づかずか一緒にやってることをただただ呪うしかない。
精神が病んだ人が行く病院のはずなのに、なぜか病んでる時の方が病院に行くとつかれる…実に本末転倒な場所だ…。必要なことなんだけどさ
躁うつ病の話を中心にしてる本です。もっと詳しくアレコレ読みたい人は良かったらどうぞ。