よく意識が高めな人や、「私、イケてます」オーラをビンビンに出してる人や、何かにつけてお金のことを頭ごなしに批判したがる若者が陥りがちな理論として、こういう文言がある。
物にお金をかけてはいけない「8つのワケ」。経験にこそ価値がある!
経験と物への投資が対立軸足りうるかが、僕には全くわかんない。
ある種の「お金への嫌悪感/特定の趣味…オタクや洋服趣味などインドア派への見下し」にしか見えない。
奴らのためにディドロ効果を語りたい
誤解がないように述べておくが、僕はこの記事でいう経験…つまり、アウトドアや旅自体を否定する意図はない。
「オタク趣味は好きだが、オタクが嫌い」ならぬ「旅や足を伸ばして出かけるのは好きだけど、意識が高くてアウトドア=正義だと思ってる人は苦手」という立場だ。
実際、年に一回は海岸沿いをキロ単位で歩きながら海に浸る時間を作るし、お金があれば山にも地方にも行きたいし、むしろそういったことが気軽にできる地域に住みたいと思っている僕にとって東京は住んでるだけでストレスの塊である。
山賊ダイアリーとか猟師ブロガー「ちはるの森」にあこがれてるよ!単に地方民になった人よりも、本格的にアウトドア通り越した野性味に憧れている。
参照:猟師になりました。あと、炎上のこともちょこっと。 | ちはるの森
それでも、僕は「物への投資」を見下す人とは相容れない。
むしろ、物への投資を推奨したいぐらいの立場だ。なぜなら、物に投資する事だって立派な経験であり、人生が開けることだと考えているからだ。
例えば、現在の話。
僕みたいなデブのオタクが、小物や部屋着に前より少しお金をかけた。(元がかけなすぎて擦り切れてるのをちょっと新調した)
すると、その感動のあまり「今までがみすぼらしすぎたから、ちゃんとせねば」と思い、洋服が買えないのを食事や体格の問題だと思うようになってから食事するのが馬鹿らしくなり、筋トレもきっちりがんばるようになった。
結果、人から「痩せたね」と言われ、履いていたズボンもゆるくなるという喜ばしい悩ましい悩みができた。
…これだって、立派な経験だ。
あるいはオタク知識がなかった時の話。
知人に同人ショップに連れられて紅魔郷薦められた。そこからガッツリ東方作品をやりこんでいって、シューティングゲームとか同人作品に興味を持つようになった。今ではゲームのことを多く書くブログほど熱中したため、精神を患った僕の貧困を少しばかり助けてくれる収入源であり、ゲームがきっかけとなった人脈や新しい出会いもある。
…これだって物がなかったら起こりえなかった経験だ。
どちらも、きっかけは消費であり、金額云々ではなく「今までより少し良い物」を持つようになってから変化したことだ。
僕のようにゲームでも小物でも理想ものが手に入ると他のものもガッツリ変えてやがては自分の好みや行動まで変えてしまうことを、マーケティング用語ではディドロ効果なんて言ったりするらしい。
ディドロ効果とは、生活の中にこれまでとは違った、理想的な価値水準、雰囲気、イメージ、ニュアンスの物がもたらされた際、新たに入り込んだ理想的な物に適合する様に所有物のトーン&マナーを統一させていこうとする購買行動心理のひとつ。
語源となったのは、以下のエピソードであるとされている。
フランスの思想家、デゥニ・ディドロ(Denis Diderot)という伯爵が、知人から贈り物として緋色のガウンを貰い、それをとても気に入った。
しかし、書斎を見回してみると、高品質なガウンに対して、調度品が貧相であるように思えて来たため、ガウンに相応しい高品質な椅子や本棚を新しく買い揃えていったという話である。
飽きっぽく、そして多趣味であれ!
品質=値段でもないが、ケチるばかりでいい物を吟味することも無ければ、気になる未経験の物に手を出す行動力を出さない人は外れもしないけど、自分の習慣や変化を変えてしまうほどの「経験」はない。
もし、色んな経験をしたいならなにか1つの趣味に走るよりも「服なんかに大金を叩くやつの気が知れない」「アニメばっかり見てるなんてガキっぽい」などの固定観念をちょっと緩めることから始めるべきだ。
たしかに、僕も持ち物をブランド物で固める人の気が知れん。
だけど、キレイな服に袖を通したら気持ちがいいとか、イケメンや小奇麗な女性と会う時の後ろめたさが軽減されるといった「おしゃれしたほうが気持ちいい/やれるものならやってみたい」というぐらいの気持ちは持ち合わせてるはずだ。
泣ける作品にも巡り会いたいし、自分だけのお気に入りの服やお店があることに満足したいし、海にも山にも行きたいし、外でしか味わえない食事なんかもしてみたい。
お金をかけるだけ、1つの事を極めるだけが趣味や経験じゃないし、ましてや自分の欲求でもない。ちょっとでもしたい・興味があるということに素直に手を出して行くことがマンネリせず、それでいて経験を積むことになる。
ミーハーだにわかだ言われそうだが、案外そうでもない。
その都度勉強して「カッコだけ真似た人」「それが好きな自分がかっこ良くて他はダメ」にならなかったらほぼ歓迎してくれる。余程のマニアや道を極めた偏屈な古参でなければ、同じ趣味の人が増えること、趣味について色々聞かれることは歓迎してくれるものだ。(そもそも、偏屈な古参だけになったジャンル・ジャンル内のトレンドはほぼ廃れていくから、あまり相手にしなくてもいいわけで…)
大事なのは「道を極めること」や「極めてる人のふりをすること」ではない。
「少しでも興味のあることにちょっとづつ入ろうとする好奇心」と「一人では敷居が高い・楽しみきれないことに巻き込んでくれる友達の存在」だ!
これは趣味であれ学問であれ健康であれジャンルを問わない。
実生活の経験値はRPGのように数値を積み重ねていくものではなく、むしろ受け手がその都度楽しめるかどうか…つまりは「空腹は最大の調味料」のような話ではないだろうか?
ハングリー精神なんてつかれることは言わないし、経験を投げつけて空腹に投げ込むのも僕は賛成できない。
でも、自分が刺激や経験について感じてる「お腹すいた」「最近同じものばかり食べてるから、今日は違うものを食べたい」という飢えやマンネリ感に耳を澄ませて、新しいものを取り入れられる人は一度した経験を大事にできる人ではなかろうか?
僕がディドロ効果 について知る切っ掛けになったマンガ。絵柄で好みが分かれるとこだが、テーマにしてる話や雑学については安心して読める良作。
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経験繋がり。知らない所、めったに行かない所に行くのも経験だよ。