僕自身は友達いなかったし、そもそも経済学に期待した時期もあってまじめに授業受けて、興味がある授業・やる気のある先生であれば質問もして試験に挑んだクチだからカンニングなどの不正行為は1度だってやったことも、考えたこともない。
そもそも、他人が書いた答えがあってる可能性より、俺が書いたほうが正しいと思ってるぐらいには、同じ点数に収まる人よか頭は良かったし…。
要領は悪かったからテストになるとミスするか、時間足りなくなるかという失敗はしてたけどね。(高校入試の時から一貫して入学先での成績は上位。大した学校行かないけど、勉強はそれなりにやる僕は真面目系クズだった)
僕のように試験をまじめに受ける人に配慮してか、慶応は思い切ったことをした。
慶応大の定期試験で「すべての時計」持ち込み禁止 「スマートウオッチ」念頭にカンニング防止策発動
…高校までなら僕も賛同できる。でも、大学の試験でそこまでカンニングを防いで、まじめに試験を受けさせてふるいにかける意味ってあるのかな?と正直思う。
そもそも、大学の試験は「みんなが勉強さえすればクリアできる簡単なテストをカンニング禁止の部屋で正当にクリアする」という考え自体がおかしいんじゃないか?
そもそも大学以降のゴールは机の上にないんじゃない?
まず、今の高校生は半分以上大学進学する。
だから、「勉強しろ」「勉強しないとどこにも受からないぞ」という僕が横浜の事象進学校で受けた脅しめいた教師たちの叱咤激励はあながち間違ってない。
自称なりにも進学校だったから、ほとんどのやつは就職せずに進学してた。
「とりあえず大学」という時代だった。
生ビールのような感覚で頼んだが、飲み干した後のダメージはウォッカであっても、とりあえず大学に行ってほしいと言う親御さん・先生(もとい高校)・学生を確保したい大学の思惑が一致し、気がついたら三流大学だの、奨学金だという名前のウォッカを頼み、自己責任の建前で請求書だけを手渡される時代だった。
…僕らの時代とはそうだった。
僕の当時より進学率があがった今はもっと試験!進学!とビールのように当たり前のようにウォッカを出されてるんだろう…。
それだけ多くの人は進学する以上、定期テストは試験の準備であると同時に、内申点を決める「試験」とも言える。
ゴールとする試験が人格や勤勉さではなく、学力を問うてる以上学力を測るために試験があり、測るために邪魔になるものを取り除くべきだ。
…だけど、大学の試験の位置づけは?
ゼミでの推薦や研究が就職/進学に直結する理系ならまだ「試験はカンニング禁止」「試験をパスしなかったら留年」と厳しくする方針は必要だろう。
それを徹底してやるのが東京理科大で4割は留年するとさえ言われる。
だけど、文系学部の場合、そんなに試験が大事か?
大学での勉強を話すことを求められるのか?
ゼミの先生や大学からの推薦があるのか?
試験と卒業後の進路が直結するのか…?
…大学院に進学するならともかく、就活も公務員試験も大学の授業とは別の試験対策が必要な現状で、なんで大学の試験をそこまで厳しくやる必要がある?
カンニングは良くないが、スマートウォッチで共有してクリアするというチーム戦は「授業のノートを分担して写し、グループでシェアする」のとそんなに変わらないのでは?
だいたい、大学院に進学したいほどの人ならその場でノートを共有してパスしたとしても、目標のための勉強に授業が必要ならきっちり出るのでは?
定期テストを付け焼き刃で突破する以上の勉強を自らするのでは?文系で大学院進学はそれほど多数派の進路でないため、他人がハッパをかけたり身につくように応援する必要すらないのでは?
定期テストの時の付け焼き刃な感覚で突破できてしまう程度のテストしか用意できないなら大学院の学歴なんて犬の餌にでもくれてやったほうがいいのでは?*1
もっと重症なのは就活だ。あれなんか、大学の授業の結果なんかほとんど配慮しちゃいない。
配慮してるんだったら、なぜ成績よりも就活でなぜ何度も面接させたり、エントリーシート書かせたりしてる?中学生でも解けるようなSPIで簡単な計算などで早さでふるいにかけたりする?
「総合的な判断」などとぼやかしてるが、就活では授業の成績が決定打になって落ちることより学歴という大学入る前のことか、面接でのやりとりか、小中学生レベルの読み書きなりの方が決定打になって落ちることが多い。
つまり、大学の定期テストと文系学生の進路は直結していない!
文系の場合はほとんどの学生は就職するが、就活を通り大学やゼミの推薦も理系ほど強くないから定期テストもゼミもそんなにがんばらなくてもいい。
現にがんばってないし、がんばってないくせに就活ではその要領のよさ・場を乗りきるうまさが成功を呼ぶことさえある。
かくいう私も試験真っ向勝負が一番楽で就活のように他人が基準のない中で決まる試験は苦手だし、泣かされてるものでね…。
試験を真面目にやるかどうかは大学のように「ゴールと直結してない」試験ならそれはもう「生き方の問題」でいいんじゃないかな?
もし、大学が本当にテストに取り組んでほしいならゼミで推薦した人材が就職できる/試験を少しパスできるコースを文系でも作るか、試験につながってるものにすべきだろう。
就活にしても、大学生の質にしても現状の問題は「それらを上げることとまじめに授業を受けた学生が報われる構図が一致しない」ということにある。
自分の進路に必要な人がやればいいんじゃないかな?(僕がいた経済学部は公務員試験も大学院の進学も全部同じところにあったから「とりあえず、授業真面目にやればどこに行きたい時でも役立つよね」と思って受けてた。)
こう言っちゃ悪いけど、就活でいい結果出したいなら、サークル入って遊びながら百マス計算を日課にする方がいいのでは?
これがサークルにも入れないオタクならオフ会出たり、コスプレできる程度に見た目に気をかけるかしたほうがいい。就活の末期の方とか僕も含めてブサメンがどうしても多くなってたし、ブサイクの理由の1つは手入れに興味がなく、わからんことだったから「見た目について興味を持つ」のは就活には役立つんじゃないかな?
それでもなお、受け答えが変わってる/バカ正直すぎる発達障害の場合は就活みたいな面接がものをいう場所では苦労するからなるべく「就活しない選択」を目指す方がいい。
なんにせよ、就活氷河期がもう一回来るらしいからね
「武器をとれ」「就活の対策をしろ」というけど、ここからして生き方の問題。
高校時代の進路を「中生の感覚でウォッカを頼まされた」と表現したけど、大学での進路はもっと選択肢も自分で在学中にやれることも選択肢が広がってるから武器も戦う相手ももっと選んでいい。
大学の試験は成績より姿勢や生き方を自分に問う場所で、その答えの先にある進路もまた、その時に示してる姿勢や生き方の向こうにあるんだから…。
この「フェアな暗殺者」とはイチローが本人役で出演した回。
この「フェア」が、晩年のイチローをも言い当ててる!
ドキュメンタリーで「苦しい時にこそ姿勢・生き方が問われる」と言い続け、不調の時でも決して甘いボールを待つような真似はせず、全盛期同様相手の決め球・他の人が手を出さないような難しいボールに挑み続けるスタイルを曲げなかったフェアな人だ。
そんなイチローさんにあやかって真面目にやる必要がない、実はゴールとつながってないかもしれない試験をまじめに受けてる人に「それは生き方の問題だ」と引用した。試験とつながる進路に行けば報われるし、まじめにやり続けたことがその時に褒められなくても、その姿勢を貫いた自分のことは誇れている。
ただ、僕は興味のない授業では手を抜いてたから、イチローさんほど偉そうなことは言えず、僕の生き方は「自分の好きなこと・勝ちたいことには必死になろう」というものなんだけどね。
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