たいていの創作物は足し算よりも引き算の方が難しい

 

こんなつまんねーゲーム、久々にやったぞ!
とシャウトしたくなるゲームに3日もかけてしまった。

ただ、技術力ならすごくよくできていた。
なんと「キャラの初期能力以外はすべての要素をカスタマイズできる」というかつてない自由度の高さを誇るゲームだ!

名前や容姿はもちろん、しゃべり方も「幼なじみ」「丁寧語」「中二病」など好きなように変えられる。
技はアイテムを使えばいくらでも変えられるし、持ってる武器も然り。

…でも、つまんなかった。

自由度が高くなればなるほど、キャラクターに愛着が湧かなくなり、ゲーム上のキャラが無機物的で記号的に感じられた。

愛着のないキャラクターを操作する時間は敵にやられようが、合成などを理由に素材として投げ込もうが何の関心もわかなかず、ただ苦痛だった。

しかも、これだけキャラを無機物に取り出したり、いじることができるにもかかわらず「冒険中に死んだ仲間の仇討ちを手伝うことで世界を守る話」だから、ストーリーとゲームの仕様が矛盾した違和感でゲームに対して前のめりに楽しめない。

面白いものを詰め込めば面白くなるとは限らない

何度でも言うけど、技術や題材はすごく面白い。

・「片道勇者」のような(かなり似てる)アクションRPG
・「テリーのワンダーランド」方式でいくつもの世界を自在に旅ができ、また冒険にでかけた先で仲間を増やせる
・幾つかのフリーゲームで見かけるようなキャラクリエイト要素

これら「みんなが大好き」が詰め込まれたゲームなんだけど…つまんなかった。

理由は単純に「やりすぎて、冗長に見える」ことが大きいと感じた。
いいことを言っていても順番やレトリックが洗練されてないから、作者が魅力に感じた部分や分かち合いたい部分をキチッと伝わらず、とにかく淡々とゲーム内の乱雑なカスタマイズ要素とゲームを進めること自体に価値を感じなくて苦痛だった。

内容と同じくらい、どうやって的確な分量で言うかが大事

関係なさそうに見える話だが、自分も1年〜2年前に書いたブログをいくつか直してみた。
直して感じたのは「言いたいことは今の僕から見てもそこまで変わらないが、もっと短い言葉でスパッと言えたし、その方が伝わったのでは?」という自分のブログへの冗長で退屈な印象。

僕が下手な時、うまくいかない時の文は「言いたいことを最短距離で言い表そうとする語順」「必要最小限の情報」でないことが多い。
頭の中で浮かんできたものを順番や例え話を頭に浮かぶまま書き連ねるため言い分が正しくとも、テンポよく読みすすめることができない。

僕はブログを良くも悪くも話し言葉のようにブログを書いていたため、いらない例え話や語順のおかしい部分を残したまま文章に残ってしまうことが多い。
それでも、伝えたいことに対して文字数や例え話が多くて、面白い・つまらない以前に読みづらい・不要な部分が面白いところを薄めてしまっていた。

読んでいるのが身内ならまだいい。
問題はブログでもフリーゲームでもその多くは「自分のことを知らない人がプレイするから、何も知らない人にも伝わるような仕様にしないと伝わらない」ということ。

目の前にいる人に説明するのと完全に自分のことを知らない他人、それもブログを書いてから何ヶ月も経った後に当時の自分の書いたものを見る人にはとてもその時々の例え話や話題性を配慮したジョークはわかってもらえない。

作る方が人からの評価や数字などにこだわらないなら別に内輪に伝わる、その時に読んだ人だからわかる書き方でも良い。

だが、フリーゲームもブログもその時々のネタとしてではなく、ずっとオンラインには残り続け、評価され続けるから、一時のブーム以上の評価をえ続けたいなら、自分の好きなものや気になるものばかりで作ってはいけない。

作品に触れる人がどんな人で、その人が触れるため、伝わるためにはどうしたら良いかを考えて「つまり、こうだ」とシンプルに伝わる部分を用意しておいてあげないと多くの人から評価を得続けるのは難しい。

好きなものや目の前にある自分が気になっているものを積み重ねていくのは確かに大事なことだ。それさえない人は自分の力で文章や話、創作を積み上げていくことはできない。
ただ、ある程度自分で話やネタを積み上げられるようになったら人に伝わりやすいようにその中でも一番好きなもの、自分の言いたいこと、自分がわざわざ人様に見せるものを作ってでも伝えたい感情を選べるようになったほうがいい。

選んだ上で、伝わりやすい順番・見栄えのいい形なるよう並び替えたり、いらないものを削ぎ落としたりとシンプルに見えるための「引き算」が必要になる。

世の中にはどんなモノであれ「みんな大好き」を詰め合わせたであろう作品は多い。
ところが「みんな大好き」を詰め合わせたものでもみんなに好きになってもらえたものは意外と少ない。

そうならないためにも引き算は大事。
みんながラーメン二郎やデカ盛りの定食を食べ尽くせる胃袋があるわけじゃないのだから、伝わる分量に収めないと…。も敷くはその分量を食べさせるだけの美味しさや食べられる人だけが触れられるようなゾーニングをきちっとしなきゃ。

本当に好きなもの、言いたいことに目を向けてもらうためにいらない部分を引いてしまう潔さが作る以上、作ったもので評判になりたい・自分のことを知らない人にも作品を手にとってほしい・ブームや時事ネタで終わらないモノを出したい人には必要だろう。

だんえた3

話題に出してたゲームはこれではないんだけど、ローグライク系でした。

ローグライク系というジャンル自体は好きだし、作業っぽくゲーム自体をこなし続けていく作品も幾つかやってる。

ただ、キャラに愛着があったり、ストーリーを攻略するという楽しさあってこそ楽しめてる自分にとってはゲームの仕様ばかりを突き詰め、ストーリーがおまけ程度の(ストーリーを成立させるための不自由さがない)作品は辛いんですよね…。

あわなかったという僕自身の問題もあるだろうけど…それでも分量の割に物足りない感じがしてしょうがなかった。

◆関連記事:おすすめゲームとか創作論

フリーゲーム「片道勇者」を何十往復もしてしまった。
やりこみ要素が多くて面白いゲームといえば、ぼくはこれをおすすめしたい。

創作は掘り下げてなんぼ。裏付けやこだわりなく書こうとしてんじゃないよ。
システム面の工夫も大事だし、言いたいことをシンプルに伝えるのも大事。一見逆のことを言ってるように見えるかもしれないけど、真髄がどこにあるかを理解しておくとシンプルにしても力強さをが残るような作品を作りやすい。

 

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