最近のラノベにあふれる「規格外の天才」主人公と「ハイスペックなエセ天才」ヒロインの話

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落第騎士の英雄譚を実況した所、意外と大反響だったから、もうちょっとだけ詳しく語る。

ヒロインの心理描写うんぬんについても触れているけど、どちらかと言うと1話で呆気なく完敗した「地元(祖国)では負けなしの留学してきた天才ヒロインが天才でも何でもなかったし、落第騎士の主人公の方がむしろ天才だった話」の方を詳しく語りたい。

「ラノベに溢れてる」というから

「とある魔術の禁書目録」

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

の知識もあったほうがいいけど…別になくてもいいです。

ライトノベル興味が無い人は

「どこででも寝られるというのび太くんの才能は社会にでるとむしろ最高の才能だよね」

「射撃の才能って何の役にも立たないように言われてるが、アスリートか猟師には最高の才能だし、おかげさまで劇場版ドラえもんではむしろ一番活躍してますよね」

という話だとご理解いただけると助かります。

ラノベの場合、むしろ天才と呼ばれてるヒロインの方が凡人だね〜

だって、努力してできるとか、英才教育された人って、それは「できて当たり前」というジャンルにカテゴライズされません?

有名な話として、小学生のイチローは天才とは言われなかったそうな。

みんながみんな、猛練習をしていることを積んでいることを知ってたから「なんでできるとは言われず、できて当たり前だと思われました」と本人がインタビューで答えている。

また、自分自身を天才だと思うかという問いに対しても「努力したり、理にかなったことをした結果として成功しているから天才ではない」と答えてるし、事あるたびに練習や努力をしてきていることを強調している。*1

ラノベに出てくるヒロイン…とりわけ、天才と呼ばれてるような人はこのタイプがとても多い。

幼いうちから英才教育されて、なおかつ発達が早かったから特に努力もしてない人・自分とは1度も会ったことないであろう人から「天才」と勝手に誇張されて言われる。

けど、当人としては「努力をした結果として(あるいはそういった期待と環境に答えて行っただけ)で、それらは天賦の才どころか後天的で必然的な結果だ」と思ってるわけで…。

…むしろ、天才とは「え?みんなできるんじゃないの?」と平然と言い出すようなことを特に努力してる覚えもなくやってる人のことではないのか?

僕が他人を天才だと思った例で言えば、「入学式の日って午前中に終わって暇だから教科書をもらったその日にある程度教科書を読んじゃう。それで、勉強なんかだいたい分かる」という人がいた。(しかも、その人は勉強ができないことで困ったことがほとんどない人だった)

そんなことをみんながみんな当たり前のようにできてたらもっと日本人の知的レベルは高いと思うが、当人には「え?普通じゃない?」と言われた。似たようなことを読書家で高校まではいいところに進学してた母も言ってたが…

一度でも予習をしたことがある人なら「いや、せいぜい10ページ先、30ページ先が限度だろ」と言いたくなるわけで…。

彼らほどの天才性はないが、僕も僕で「学校で着ける日記や課外学習の感想文の文字数が埋められない人」というのがわからなかった。

他人のブログ…とりわけ、オフ会のブログを見た時に「誰と会いました、どこでのみました、楽しかった」しか書けない人がわからない。

わからないから「みんな、めんどくさいから文章なんか書かないんだ」と思ってたが、ここ2年ぐらいでやっと「本当に感じたことを言葉にできない・そもそも長文が書けない人間がいる」ということに気づいた。

何度も言うが、教科書を1日で読む速読力・まだ勉強してないところをサクサク読みすすめる読解力に比べたら、僕が「できて当たり前」だと思ってたこと…つまり、多少なり天才性のあることはしょぼい!

でも、本当に努力という努力もしてないが、できてそれが当たり前だと思ってたんだからそれは才能という他ない。

この辺を描いているのが暗殺教室だ。

暗殺教室 16 (ジャンプコミックス)

主人公二人のうち勉強ができるカルマくんの方が天才だと言われ続ける。(でも、彼は努力を見せないだけで予習もテスト勉強もする)

もう一人の主人公、渚くんは「親のご機嫌伺いをしてるうちに、人の感情や考えがオーラとして読み取れるようになった」という家庭の事情で会得した技能が、「先生を暗殺する教室」ではむしろ天才的だとされている。

けど、暗殺以外には特に数値化も注目もされない技能だから、天才であることに本人は長らく気付かなかったが、努力してできることなら大体出来てしまうカルマから見れば才能だったという。

言語化・訓練・努力を経て人々から天才だと言われる才能の多くは天才ではなく、単にスペックが高いだけにすぎない。

ライトノベルのヒロインの多くは勉強ができたり、レベルの高い異能の力を持ってたりするから天才だと言われるが、そのための努力や英才教育をする環境・指導者がいたからそうなれたわけで…。

だけど、教科書をその日に読んでそのまんま塾に通ってる人よりいい成績を取ってしまう人や、特に本も読んでないくせに自分がどう思ったか・どんなことを感じてたかを言葉にすることができるから課外学習の感想文や日記だけは先生から褒められ、国語力もないくせに携帯で友達向けのメルマガを作ったら先輩や同級生の間で瞬く間に評判になったりするほうが、ずっと天才っぽい。

だって、努力と呼べるほど辛い訓練も、理論的な学習もしてないのだから。

自分や自分が見た人を天才だと言い張りたいのではない。

「天才という設定を付けてるライトノベルの多くは天才ではなく、努力家。劣等生だのレベル0だのヒッキーだの言われる人の方が(規格外で評価されてないけど、本人はそのことについて一切の努力もせず、習得している分だけ)天才っぽい!」

とここまでが「誰もが1つや2つぐらいは持ってる天才性」の話。

で、さらに踏み込んだ天才の話を少しだけ。

本当に天才な人は「努力する必要さえなく、自分が当たり前だと思ってる水位が秀でてる」ものをたくさん持ってる人で、たくさん持った結果として努力をしなくなったり、学校や世代ではなく、その分野のプロと比べて自分のちっぽけさに気づいてしまうぐらいの人だ。

自分の知ってるケースだと、小学校から引きこもりで勉強もせずに進学校の中学に入って、さらにその進学校の中学に進学。他人から見れば、その時点で天才すぎるが、天才すぎた結果、中学でいいところに入ったところで自分が何者でもない、自分よりも優れてる人がゴマンといることを早くから自覚してやる気をなくしている。

また、そのことについて「報われない努力なんか虚しい」とまで言い捨てるほど先が見えてるため、あまりにも頭がキレすぎて(見えてるものが違いすぎて)僕は何も口にすることができなかった。

天才とはそんなレベルを修練の結果ではなく、生まれつき持ちあわせた頭の回転とか想像力とかそれを培う家庭の事情(※熱心な教育ではなく、本当にささいなレクチャーだけ)でやってのける人だ。

だから、天才という世間のイメージほど天才はたくましくもないし、頂点にいて人々の尊敬を集めるとも限らない。(誰かの言ったことや評価のためにがんばれる時点でその人の天才性は低く、本当にずば抜けてしまうと人の批判や褒め言葉すら響かなくなっていく)

その意味でもラノベに出てくる周りから期待されてて応えてるヒロインは天才じゃなく、むしろ他人の評価に無関心でいられて、かつ自分を高い目標と比べて(与えられた才能程度では「自分が何者でもない」まま人生を歩んできてて、きっとそれが続くであろうということに)勝手に凹んでる主人公の方がかえって天才といえる。

学校の成績や評価という規格に当てはまらない「規格外」なだけで、規格に入ってない技能を特に努力もせずに会得してて、なおかつその使い方をガツガツと特に試行錯誤もせずに広げていくラノベの主人公たちはとんでもない天才たちだ!

レベル0でも落第生でもヒッキーでも劣等生でもおそらくはないのだ!

じゃあ、なんでラノベは優等生を規格外の天才が倒す話が好きなの?

だって、最高じゃないですか!

ありのままの自分が自分であるだけで実は他人の持ってない才能を持ち合わせていたことを、美人のヒロインや偉い人にだけ知られて愛される。しかも、自分が自分であるだけ(自覚してない時から才能)だったから人一倍の努力などのメンテナンスも不要でかつ、周りから期待されないから天才なのに、世間一般の天才みたいにプレッシャーもない!…そんなラッキーな身分が自分だった!

…としたら、いいと思いません?

外の世界の上位互換と比べられず、学園都市とか高校でだけ天才ブれる自分がすでに持ってた能力だけで美少女に愛され続ける世界ってちょっと憧れません?

しかもね、この設定のいいところは「人は誰にでも学校で評価されていない人でも「無自覚に持ってる才能」の1つや2つあって、それが学校とか親から心を折られそうな時に心の支えにしてる人達の希望になる」というところなんだ。

さっき、僕が「国語できないのに、自分が文章書いたら部活の先輩や顧問の先生まで(自分の知らないうちに転送されて)愛読されるメルマガになった」という話をしたけど、これって学校の成績からも親からも才能だと思われなかったが、友達作るにはけっこう役に立った。

また、文章に落としこむ文字が多い文だけ、人よりも考えたり喋ったりできる人間だから、「頭良さそう」とか「難しいこと考えられそう」なイメージもあった。

…イマイチどう使ってもいいかわからないけど、これがあったから僕が学校の成績がさほど良くなかったり、親と不仲だったりしてもやさぐれずにやっていられた。

大なり小なり、そういう特技をみんなが持ってると思うんですよ。

ラノベの主人公にありがちなところで言うと「とりあえずいいやつ」「正義感が強い」「女の子に優しい」「(ラノベじゃないけど)チェロがそこそこできて、女子力が高い」とか…これらってどちらかと言うと現実ではサエないポイントだけど、美徳だとほめてくれる人もたまーにいるじゃないですか?

そんな程度の「ちょっとだけ自分を認めてくれてる人」っているし、心が折れずにやっていける言い訳になってくれている部分はあると思う。

で、その「ちょっとだけ褒められる」「学校とか親から悪く言われてもがんばってればいいことある」と思わせてくれる部分だけで、自分にデレデレなそれこそ、一緒にデートしたり、相部屋になってくれる女の子がいるとしたら?

学校や親からの評価が低い人で、なおかつ人からちょっとだけ褒められるいい人さや、ちょっとした特技(もしくは自分が気づいてないけどよく褒められること)を持ってる人は「ラノベ主人公の天才性はもしかしたら自分にもあって、それがきっかけで美人の彼女がデレデレな状態で来てくれるかも」という共感と希望に浸れる。

はい、ライトノベルを読んでる人の方は確かに一部は天才的なところ、学校も親も気づいてくれてないか、めったにほめてくれてない何かを持ってるかもしれない。

だが、金と美人と評価はいるところにしかいないので、よく言えば希望、悪く言えば妄想だ。妄想だから悪いとは言わんが、共感のできない妄想は例えば女の子から、例えば評価されて報われている天才から見ると「不可解」なものだ。

ライトノベルのキモチ悪さというか、見下される所はそこにある。

悪いことではないかと思うが、前提条件が共有できない他人の根拠や論理性の乏しい希望・信仰は宗教とそう変わりません。少なくとも科学や道徳のような他人から支持されたり、検証に耐えられたりするようなもんじゃない。

かくいう私も女の子から、「ブログのファンです」とか「日記やメルマガが面白かったので、あってみたくなりました」とか言われちゃうとやっぱり全能感にひたるし、他のものがダメでもやさぐれずにがんばっていけるとか思っちゃう所がある点では、ラノベ読む人と精神構造近いね…。

それを読むとダメになっちゃうとか、(ラノベと違って現実には自分と同じような個性や才能が持った人がいてその人・その世界と争うべく)そこからもう一歩踏み込まないと女の子と発展しないことに気づいちゃったから、同族嫌悪かねがね嫌っているけど。

落第騎士の英雄譚<キャバルリィ>【電子特装版】 (GA文庫)

すげー!原作の方がスカート短い。パンツ隠れないだろ、これじゃ!!

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手っ取り早い個性を求めるリア充と、ありあわせの個性を承認されたいオタクは努力したくないという意味では割と似てると思うw

ラノベ的心境をもっとちゃんと文章にするとこうなる。

この記事に近い感じで書いたアニメ批評。こっちはもっと批判的。

*1:細かい話すると感性レベルで天才的な発言やアイデアを残してたり、シュート打ちの名人とまで呼ばれて色んな名打者の元ネタになってる山内一弘を突っぱねた上で、既存の正しい理論とはまた別に新しく振り子打法の原型を自分で作った人のだから、「努力家でかつ天才」が正しいけど、ややこしくなるから割愛

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