最近の若者は「年をとらない」「成熟しない」というが、それは若者だけの話かい?

こんなつぶやきを見つけた。

…それを見て、僕は思った。

…ちなみに、「最近の若者」でかつ「大人のくせにアニメを見てる人間」だから悪く言うつもりはない。

それどころか、どっぷりと娯楽にハマれる思春期にハマったものを大事にしていくのが自然とさえ、考えている。

抑圧すれば、表面上のいい子を演じてみたり、その時に楽しみたかった趣味を我慢するかもしれないが、お金や自由ができた時にそこに走っていくのは当然だろう。

それを「若作りうつ」と揶揄するような本を某大物ブロガーがだしたものの、Amazonで平均して☆2つという爆死を遂げたことがあったり、有名なマンガ家が「最近の若者はおとなになってない」と言うが…それはほんとうに最近のことか?

私から見れば、

いつまでもいつまでも東京オリンピックをやりたがる政治家たちも、

監督としてはそれほど優秀でもない長嶋茂雄に現役時代の記憶を重ねる野球ファンも

もう定年過ぎだというのに夜の街に繰り出して、率先してカラオケを楽しむブラック企業時代の上司も…

僕から見れば、「おとなになってない」人達である。

むしろ、20代や30代と違って「個人的な趣向」では済まない。

お金や権力を持ってしまった分だけセピア色の思い出で、政治的・経営的・あるいはナショナルチームの行く末までをも左右してしまう分だけ、年配者がおとなになってない(思い出と決別できてない)とたちが悪い。

 じゃあ、なんで子どもの趣味から卒業しないの?

批判的に現象だけをつきつけるのは簡単だが、こういう話ってなぜなのかをちゃんと語らないとただの若者批判・老害批判になるから、キッチリこの話をしておこう。

若者時代の文化からシフトしない・延長でしか楽しめない3つの理由

1.一番感受性豊かな時期に見たもの・基準が確立されてない時期に見たいいモノは一生モノ

自分の場合だと中学時代に見た鋼の錬金術師と、高校2・3年の時期に知ったニコニコ動画(やその時期に出回ってたアニメの本編)が面白い娯楽の基準になってる。

一番強く、それでいてそれがベースになってモノを判断するため、そこから外れた時代の文化は面白く感じないか、「こういうのもある」と少しトーンが落ちた楽しみ方になる。(マイルドヤンキーと呼ばれる年齢層が90〜00年代のJ-popが好きなのも同じような感覚だと考えられる)

基準になる作品の決まり方としては…親から与えられてきたものよりも、友達や兄弟と言った年齢の近い人から薦められたものの方にハマると、そちらに大きな影響を受ける。

あるいは、親からも友達からも助言されず、自分で見つけた面白いものを後生大事にする。他人の影響ではないオリジナリティ・自分の基準で判断したものは「自分のものだ」という所有権がより強く感じられるためだ。

これは「俺のパンツを一緒に洗うな」のような思春期・反抗期っぽい心情もあるだろうけど、それだけでもない。

2.学生のうちじゃないと自分の趣味や文化にどっぷりとハマれない

仕事して拘束時間が増えたり、生活費のこと、部屋のスペースのことを考えるようになると、金のかかる・場所をとるような新しい趣味が開拓しにくくなる。

開拓できてないから、カラオケに行っても自分が学生時代に流行った曲ばかり歌うし、最近の作品を見る機会がない(見る機会があっても、マニアックに掘り下げられない)から少し前の作品を好きだという。

子どもができ、その子どもが見てる番組を一緒に見たり、思春期を迎えたりすると「最近のトレンドを子どもが教えてくれる」という形で流行をもう一度追いかける形になることがあるけど、独身の場合はそうは風にならない。

オタクになるような人は中学生〜大学生のうちにきっかけになる作品や社会現象を体感して趣味にどっぷりと浸かった人が大半だ。

おじさんになってから急にハマろうと思っても紹介してくれる人の存在がないと難しい。

3.「大人の趣味」はお金がかかるし、子どもの趣味とは楽しみ方が違う。

具体的に「大人の趣味」って何かを検索すると、アマチュア無線〜温泉巡りまで色んなものが出てくる。

「大人の趣味と呼ばれる」ものの傾向としては

・健康的で実用的な趣味が多く、子どもの趣味のような刺激は少ない。

→ランニングやヨガ、読書や瞑想など。

 ・片手間でできるものが多いため、「これが趣味でいいのか?」という娯楽も…

→料理や工場見学、写真や温泉(めぐり)など。

・資金や予備知識を必要とするため、誰にでもできる趣味とは限らない。

→アマチュア無線や裁判傍聴、女装・男装や熱帯魚の飼育など

参考:【大人の趣味 / 習い事一覧】人生を充実させ、かっこいい大人になる方法 

参考:大人の趣味探しナビ。趣味掲載数101件

ここから導き出せることは子どもの趣味と大人の趣味は別腹だということだ。

別にアニメばっかり見てる人が月に一度、スパに行くことについて「オタクだけど温泉めぐりも趣味です」と言ってもいい。(※僕自身の話。)

ハイエース乗りこなして、車の中でEXILE聞いているマイルドヤンキーの家の本棚には村上春樹があって、平日の仲間と会わない夜は村上春樹を読んでるかもしれない…。

参考:女性をモノ扱いするチャラ男の部屋には村上春樹の本が置いてある不思議 

別に趣味なんかいくつ持ってもいいし、マニアックにやる必要もない。

近場の日帰り温泉巡りを温泉めぐりが趣味と言う僕みたいな奴がいてもいいし、地方の秘湯にまで通じている人が趣味だと言ってもいいのよね…。

ヘタすると、近所の日帰り温泉すら開拓しないで一箇所の風呂屋に通い続けるような人がそれを趣味だ、日課だという場合もあるし。

これ、オタク趣味も同じこと。

確かに造形が浅い人がああだこうだとわかった口を利くこと自体に「腹が立つ」という意見はわからなくもない。

だが、アニメオタクでも深夜アニメを全部見るのはムリだし、自分が興味ない分野は知らないものだ。

昔のオタクは本数が少なかったから、「全部見る」という選択ができたかもしれないけど、今は10年で3〜5倍ぐらいの多さになってるから、一人で全部見るのはムリなんですよ…

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視聴率から振り返る「テレビアニメ」の歴史 | ビデオリサーチ

おとなになるとどっぷりとハマる気力が学生時代ほどない。

そして、よりお金がかかる趣味、趣味としての歴史が長い「大人の趣味」は深夜アニメの本数のように「1人では全部チェックしきれないぐらいサービスが提供されている」ことが多いから求道的にもハマれない。

結果として、大人の趣味も取り入れながら、大人の趣味では満たされない情熱や中毒性、あるいはバカ騒ぎできる要素を子どもの時から持ってる趣味で補うという形になる。

いつまでも同じものに熱狂する人を見て「あの人達は大人になってない」という人がいるが、それは違う!

大人になってから獲得した趣味・普段片手間にやってる趣味では、思春期の時に感じた熱量やその時に集めた造形がないから、時々「自分の得意分野」「子どもっぽい趣味」に帰りたくなる時があるのだ!

普段、日課にしてる温泉やヨガをしてる様子なんかは報道されず、子どもな趣味が爆発する所ばかりをテレビやニュースで報じられるから

「いい年こいたおっさんがコミケに行くなんて」

「子どもでもないのにハロウィンやクリスマスに仮装する子どもっぽい大人」

なんて話になる。

それで、終いにはあれですか?

若作りうつ社会  」なんて新語をしたり顔で作って、「社会」なんて新しい時代の話であるかのように煽りながら本まで出してしまうブロガー(笑)まで出てきて、本の帯には「熟成消失時代」なんて煽り倒してる。

いやいや、人は自分が老いを感じたり、気力の低下を感じたり、味覚や趣向が変われば、自然と熟成しますよ。

小学校の頃に子どもに混じって鬼ごっこしてた母親がスポーツクラブでヨガにハマって「あなたも運動しなさい」とか煽っているのを見て「老いたなぁ」と僕は思った。

あるいは、自分がガッツリ系のラーメン屋さんよりも自分で自炊した厚揚げステーキと、ふりかけの定食にありがたさ感じた時、「あんなに学生時代は外食したかったのに、今は外食分を節約して使いたいことができた」という自分に熟成を感じますよ。

人間の原型は中学生・高校生の時にできてるんです。

大人になってない部分があるのは人の感性や基準の原型が子どもだからです。

その部分を残しながらも、自分の知識や体力や資金や人脈に応じて、新しい物を取り入れたり、古いものにかける時間を減らすということが「大人になる」ということなんです。

若作りうつじゃないんです。むしろ、若作りだと思われるような心のふるさとに帰る時間がないと人は病むのです。

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

散々コケにしたけど、きっと面白いかもしれないから読んであげてね♪

僕は人からの贈り物じゃない限りは読む気もないです…はい。

・関連記事(ネットでよくある論争に対する僕の意見)

手書きでもデータでもいいけど、就活自体が何を求めてるかわかんないからそもそもどうがんばればいいかわからないよね…。

この世の真理か、それともネットオタクの妄想か…。

ティーンはラノベのどこに共感しているんだろう?という話。

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