「同性愛は異常」←そうだったとして、何?

 

最近、月一で行ってる「Wifi環境があるお風呂屋さん」のサウナの中でニュースを見てたら、このニュースがやってた。

「同性愛は異常」とやじ=岐阜県議、ツイート問題質疑で (時事通信) 

<「同性愛異常」やじ>自民岐阜県議「深くおわび」役職辞任 (毎日新聞) 

発言の内容を責める気はない。

この岐阜県の議員が言うよう「差別的意識でなく、同性愛を認めれば少子化が進み、国も地方も成り立たなくなる」という心配や言い分自体は部分的には正しい。

現にテレビでも「同性愛では子どもが生まれない」という趣旨の発言を中心に取り上げているため、「確かに若者に子どもを産んで欲しい政治家・年配者はこういう考え方になるのもわからなくはないな」と思った。

むしろ、問題なのは「公人・政治家が差別的な発言をすること」にある。

これは同性愛にかぎらず、ネットや表現の規制でも、経済政策で特定の職業に「農業なんてGDPの1%だ」とメディアを通して「この人達を排除・制約してもいいよ」と権力を持つ人が煽ることが不適切なんだ

ところが、テレビやインターネットの声を聞いていると「同性愛者は異常」発言自体の問題を指摘するばかりで、その発言の何が不適切なのかを理解してない、報じてないことが多すぎる。言葉尻を聞いて「カンジ悪い」と思った人や、少数派の同性愛者にどう思うか聞くばかりで、本質的な問題にタッチした発言はほとんど取り上げてなかった!

…僕の知る限り、2ちゃんねるが問題になってネット規制だ何だと言われてる時から十数年ずっと「個人的な感想」と「規制すべき」を切り分けられてないんだよ…。

 「個人的なキモい」と「選択する自由を認めないこと」は全く違う

同性愛者が異常という人がいる。たしかに、「異常」ではあるんじゃない?自分は男性に性愛を抱かないし、男からモテたいとも思わないし。

オタクをキモいという人がいる。まぁ、そう言われてもしょうがない奴もいる。

女性とは思えないほどゴツいスポーツ選手を見て「あんなの女じゃない」という人・ネタにする人がいる。…失礼な話だとは思うが、わからんでもない。

逆に、めかし込んだ女性・チャラい男性を低俗だ、バカっぽいだという人がいる。…でも、それってあなたの感想ですよね?

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本人の前であったり、他人に影響を及ぼすテレビや政策を議論する場で言わなければ、別にそのぐらいのことは言ってもいい。

居酒屋で、喫茶店で、内輪で、家族の食事で…自分が受け付けないものの陰口が出ることについて、僕は何も悪いとは思わない!

公人や経営者など人から見られる立場でないのならツイッターやブログに自分が不愉快だと思うものについて書いたっていいと思う。

…でも、これが「規制しろ」とか「排除しろ」になると話が変わってくる。

「同性愛者が異常」と「異常だから同性愛者の結婚を認めない」は完全に別物。

「オタクがキモい」と「オタクは犯罪者予備軍だから、排除しよう。色んな法律で規制したり、見かけたらヘイトしよう」も当然、別物。

「スポーツでゴツくなった女性なんか女じゃない」は感想だが、「だから女性の大会出場も、女性チームのリーグ開催も認めない」は抑圧を伴う。実際、男しかできないスポーツが昔は多かったし、その関係で同じスポーツでも女性限定になったら極端に選択肢がなくなるスポーツはあるのよね…。

問題なのは前者と後者…個人的な感想と、他人の選択肢を奪い取ることの区別がつかないこと。

たとえ、異常であったり、世の中で少数派であっても、選択肢は認めてあげるべき。

それが自分にとって大事じゃなくても、それがないと生きていけない人や認められることで生きやすくなる人のことは支援すべき。

「ただ認めることで誰かの生きづらさが解消されるなら…」という優しさを持ちあわせて欲しい

わかりやすく説明するために同性愛のマイノリティ感、虐げられている感じをオタクや女子のスポーツ事情とかに例えた。

でも、さらに深刻なのは病気が絡んでいるパターンだ。

例えば僕の場合、躁うつ病持ちであり、世の中の1割未満の発達障害者でもある。

ほかの人が当たり前だと思ってるライフスタイル押し付けられたらとても生きていけないし、苦手なこと・順応しがたいことを押し付けられ続けた結果として精神を病んでしまった。

うつも発達障害も多数派から見れば「異常」だが、「自己責任だ」と何もかもを押し付けられて生きていけない。

運良く適職・理解者に恵まれた生活を送れればいいが、そうでもしないと生きていく権利が認められない社会や国家とは1つの職場や家族に負担を押し付けてる無責任な連中ではないのか?

自分が責任逃れするメソッドとして使われるから、この記事を読んだ人はこれだけは覚えておいて欲しい。

「自己責任」「異常だ(から認めない)」と口走る人間は、自覚の有無に関わらず、自分に非があることや他人が悩んでいることを背負い込む気がない「優しくない人」だ。しかも、優しくない上に多数派の人間であることで、少数派として生きる・生きざるを得ない人の選択肢を断ち切ろうとする場合、その人は少数派にとって敵でしかない!

岐阜県の議員さんが「異常だと思う」という感想を述べてるのか、「優しくない多数派」なのかはあの発言だけでは区別しづらい。

ただ、自分に関係ない権利・不愉快なものを排除してもいいという考えは「優しくない多数派」として恨みを買う。

他人の権利や選択に対しておおらかな社会を築こうとする人が増えないと自分が弱い立場・少数派になった時、必ず「優しくない多数派」にぶつかる時が来る。

別に、同性愛を迫られた時に「僕はノンケです」と拒否してもいいし、「僕の知らないところで幸せになって」でもいいさ。

でも、そんな感想を抱く僕でさえ政治信条・イデオロギー的には「その方が生きやすい人がいるなら認めるべき」「選択肢は広い方がいい」「男同士のカップルを見つけたらその人達には幸せになってほしい」というスタンスも明確にしたい。

P.S.

「同性愛を認めると少子化に影響する」という主張には明確な異議があるのよ。

それはアメリカなどの中絶禁止の思想よろしく、「望まれない結婚や子育てを強いてもパートナーも子どもが不幸になるだけ」ということを配慮してない。

強引に型にはめることを押し付けて、順応できなかったら自己責任と言い張るのが政治家ならそんなの税金泥棒極まりない。育てるのが大変なわけです。

性のタブーのない日本 (集英社新書)

昔は男色もありだったし、春画もアートだったからねぇ…タブーだらけになっちゃったけど。

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