恋愛本としての論理的な正しさがすごく皮肉な形で証明されてる本だ。
理論自体は正しいけど、その理論を作者が振りかざした途端に「諸々の理不尽や自己矛盾、不都合な真実を受け入れないといけない本」である。
ブラック・ユーモアとしての二村ヒトシ作品
二村ヒトシさんの「なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか」という本を読み終わった。
書いていることはとてもまともだと思う。
ところが、同じ作者が男性向けに書いた「すべてはモテるためである」と比較すると女性に擦り寄っていき、女性を洗脳しようとしている言い回しで執筆されていたため、生理的に受け付けなかった。
著者自身もその点は認めている。
実際、文庫本になる過程で本を読んだ女性と対談をしたり、自分の文章を読み返して壮大な自己陶酔に(曰く「いい本を書いた」ぐらいのつもりだったそうだが、読み返してみるとインチキ自己肯定だったと)気づいたという話してる。
薦めてくれたid:ao8l22さんはイクニファン*1という『最も頭のよく、なおかつこじらせたオタク』の一角だから、この本自体の「自己矛盾的」で「洗脳的」な側面を理解したうえで推薦してくれた。
作者自身が作った言葉や概念を振りかざして女性に擦り寄って、受け入れてくれた女性に崇拝された後、矛盾で作者がすぼんでいくところまで含めての面白さを理解したうえで推薦してくれた。(逆に言うと、かなり闇の深い御仁なのかも…)
彼女がもう一回本を勧めてくれた時、それが二村ヒトシさんの本以外だったら読もうと思う。*2
でも、意外と洗脳に気づいていない女性が多いからおっかない!
問題なのは本を推薦しているフェミニスト(上野千鶴子や彼女との共著で参加しているような連中)や、読者との対談のために顔合わせている二村さんのファンだ。
1冊目との態度の違いや、言い回しの違いを見ていないのか二村さんに妄信的で過大評価をして、少しでも意に反する発言をされると自分の期待を押し付けて「そんなこと言わないで下さい」と本人の発言やあり方に絶大な期待と崇拝を寄せる!
その時に面白いのは、二村さん本人は本来なら世の女性達…それも、最もモノを言う女性であるフェミニストが最も迷惑しているはずの「ヤリチン」なのに、崇拝されているということ。「ヤリチン」は悪く言ってるのではなく、作中で本人が認めちゃってる。
実際、二村さん本人にヤリチンな彼氏について相談した人には女性ではなく、彼氏の方を肩入れしたり、同情したり、本人とは全く関係ない社会論をこねくり回し始めたりして弁護して自己正当化しようとする場面がそれぞれにある。
関係を持ってしまう女性曰く、ヤリチンの自由さ(無責任な感じ)が憎らしくもうらやましいのだという。
タイトルにもなっている「愛してくれない人を好きになるのか」が、よりにもよって「自由奔放で無責任(愛してくれないと感じる部分)自体が好きだから」というなんともブラック・ユーモアなオチで決着してしまう。
いや、ここは本書の表現を借りて
「(迷惑だと思ってる彼に)心の穴を埋めてもらった体験、埋めてくれる期待感があるから」
とでも言うべきか…。彼が好色なら、それは「心の穴」だけなのかが非常に疑問だが。
対岸の火事ではない!?オタクはモテるとヤリチンに鞍替えする
この本の指摘の中で、うちの読者に関係のある部分はここではなかろうか?
実は対局にあるようで、表裏一体なのがオタクとヤリチンだという。
共通しているのは「量をこなせる自分にナルシズムを覚える」という生態だそうな。
「アニメのことをいっぱい知ってる・いっぱい見てるオレ、かっけー」
「いっぱい女食い散らかす・その過程で女の子が求めてる事を言うように練習した結果『なんでそんなにわかってくれるの!』と言われるオレかっけー」
が作者に言わせると「自己受容できてないから何かで補充する」ところがとても似てるそうな…。
だから、モテ始めると「もっと知ってる・認められてる『オレかっけー』になりたい」と女性をターゲットにオタクをする…それがヤリチンだとかそうでないとか。
この本、僕が「洗脳っぽい」と言うのは、ありとあらゆる人や趣味に対して「自己受容できてない」「ありのままを受け入れないままインチキ自己肯定してる」といった作者の批判が連発されつつも、同時にあとがきには「100%自己受容できてる人間なんてこの世にいません」とムチでしごいたあとにアメを与える。その一連のあからさまな洗脳の手口で読者を一喜一憂させながら心ごと掌握して崇拝させていく。
しかも、細かい部分にもその手法は応用されている!時には女性に優しく理解者であるように振るまい、時には女性のできない部分や落ち度に問いかける(この時、男性相手に書いた前作とは異なりあくまで作者からは女性を責めない。だが、自分で罪悪感や後ろめたさを思い出させる)ように本の中でアメとムチをいい塩梅で与える。
そこに野球部やブラック企業など男社会っぽい徹底したアメとムチで相手を飼いならしていく光景と重なるものを感じた。僕のように体育会系ホモ・ソーシャルを経験して「人間はこうやって洗脳する・一体感を錯覚する」と体に教えこまれた側から見れば、他人がそれにハマっていく光景とセットで描かれているさまは社会派ホラーだよ!
男から見れば、あるいは前作と比較して読んだ人間から見れば論理の正しさよりも洗脳の手法としての怖さを感じる今作が、あからさまな洗脳だ。にもかかわらず、頭のいいはずの女性がそれに気づかずに作者に盲信していくから尚更恐ろしい。
実際、フェミニストの急先鋒としても、東大の教授としても有名な上野千鶴子…つまりは日本の女性論的な学問の権威がだ!洗脳か宗教みたいな手法であるこの本の裏表紙に
「この優しさ!男なのにどうしてここまで知ってるんだ!」
とか書いちゃう始末。
嘘だと思うなら書店でも図書館でも行って確かめてみ?「女ってちょろいなぁ〜」「フェミニストってジェンダーの話してる割にわかってないんだなぁ」という気持ちになって、自分を束縛してた「社会」から開放された気がしてとても気分がいいよ。
単純に恋愛論として読むなら、「すべてはモテるためである」の方が参考になるんじゃないかな?まぁ、これも多少なり洗脳の手口で描かれてるから不愉快ではあるけど。
内容は正しいけど、自分定義の言葉を乱用したり、洗脳の手口で「ムチを与えたあとに、ムチに耐えられた人にだけアメを与えてて名付ける」という本だから、その辺を用心しながら読まないと、かえって「(無責任かつ自由奔放な人達にとっての)都合のいい女」に飼いならされかねないのが、とてもおっかない!
僕のブログを読んでる女性達を見てると、この本はあんまり読んでほしくないかな…。
それはいい気分にならないか、いい気分になったら危険な本だから。
きみの孤独わかってるようなすごい話に出会っても、すぐに神と思っちゃダメさ(マニュアルにはめてるだけかもよ!)
林檎もぎれビーム!
と歌の文句にもありますよね♪
まぁ、僕の女性読者が一番気をつけて欲しいのは岡田斗司夫なんだけどねぇ…。
ちなみに「オタクとヤリチンは表裏一体論」を最も証明してるのは岡田斗司夫で、自分と関係をもった女性とツイッターの秘密のアカウントでリスト化して批評してたそうな…。
オタク趣味・女性それぞれをコレクトしていく感覚が二村さんの本で指し示したこととかっちり一致している。しかも、岡田さん自身の仕事が最近その両方に手を出してる(スキャンダルを開き直って商売の信用に変えちゃってる)ところまで含めて「何だこりゃ」という感じだよ!
男って怖いさ!
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*1:ウテナファンを標榜し、ユリ熊嵐の記事ではライターの仕事なのに、1オタクの暴走としか取れないような愛あふれる記事をエキサイトに載せている
*2:二村ヒトシさんの本が嫌いなのではなく、読んでいて疲れるから。大学まで一貫して慶應義塾出身という潜在性を持っている人物だけあって頭の回転が速い。
でも、自分の頭の回転に酔ってその場しのぎのハッタリを連発したり、自己矛盾しかねない厳しい理論を他人に押し付けたりする自己欺瞞を連発して、しかもそれを200ページほど読み終わったあとに「この理論はおかしかった」「正しいには正しいけど、あまり幸せになれなかった」と懺悔するのが恒例になってるから、読後感の「なんなんだよ」感が酷い