血の流れた人間を「クローン」呼ばわりしたくないけど…ぼくら昔からいる人から見れば、ブログカレッジ出身は「クローン」と呼んで差し支えないぐらい没個性的。
そして、その親玉が「ブロガーはモテない」とか「YouTuberの方が面白い事してる」とかいって言うほどには昔からあるブロガーの文脈を踏みにじって、
参照:モテないし才能がないからブロガー辞める。俺はメディアクリエイターだ。
しかも、彼がブログサロンから「クローンみたいなWackなブロガー」を量産してくるからもうたちが悪いのさ。
文体がねぇ、デザインにひねりがねぇ、みんながサロンで真似をする♪
そんで、終いには死ぬほどブログデザインが没個性的で、やぎろぐやkeitaのイベントなんかやっちゃう人が誰とも違う僕の日々とか名乗っちゃうのが、もう笑えない。
いやね、SEALDsっていう学生の政治団体も「絶えず考え、行動し、自分の言葉で声を上げ続けること」なんて言ってるが、テメーらごときが自分の言葉なんか持ってるほどの教養もクリエイティビティもねーよ!大学生どもが!!
ヘイトにあらず。
むしろ、あるがままの事実として「クリエイティブなモノを作るために様々な勉強や試行錯誤をした人間ほど、個性を名乗らない。なぜなら、個性は一度真似を通り、型と基本を学び、そしてその先でも残り続ける手癖やエゴ」なのだから。
昔の人はこれを、「守破離」と呼んだ。
この辺は僕よりも高学歴振りかざしてブログやってる人ばかりだから、語るのも野暮かも知れない。しかし、あなた方の態度を見ていると、どうも受験が終わってから酒・金・女に溺れて白痴の域に達したまま金だ金だと言ってるから今一度言わせて欲しい。
あなた達がやってることはまだ「型を守ってるだけ」に過ぎない。
ブログサロンとかに入っちゃう初心者ブロガーが参考にしてるものを読ませてもらった。
ここに書いてあることはどれも「型」であって、個性を引き出すものじゃない。
そして、この型を守っただけでブログが伸びただの、3ヶ月で2万アクセスだのとほざいている人を見かけて、虫酸が走る。
しかも、これが「文章の型」ではなく、「ブログデザインの型」だけをいきなり覚えて、同じようなデザインのサイトが増えただけ。
文章は「型」にすら至らないままのブログが多いものだから、覚えた型すらも『拙い文章を書くブログはこういうデザインを取るよね?』というネガティブなイメージの象徴になり始めてる。
人は僕のブログを「青二才文体」なんて呼ぶけど、ヒトデ祭り以前の人は文体があったぞ?何かしらのオタクで影響を受けたものがあり、本を読んだりしてたから。
読まない方の僕ですら、高校2年の時に編入先で自分の偏差値よりも低いクラスに入れられた悔しさから編入テストの時に点数が悪かった国語の成績を上げるために1年で紙の本(できるだけ小説)を30冊読んで基礎を作った。
そこにネット文化と好きなロキノン音楽をちゃんぽんしてこの文体ができてる。
本30冊は昔のはてな民なら四半期もあれば、全員やってた数字だが今の子は多分それもクリアしてない。
だから、文章がプレーンで癖がない口語や説明口調の延長でしか書けない。
でも極めつけの無個性さは「デザイン」だ。
デザインが無個性になるかというと…「参考にしているデザインが同じだから」以上に、「付け加えるもの」がないからだ。
RC2以前のニコ動のためなら死ねるし、その亡霊ですけど?
個性がないとはテーマ性…意識の高い人の言葉で言うと「ミッション」がない。
例えば、僕のブログのPC版サイドバーには「フリーゲームレビュアーのリンク」が貼られてる。これは「僕のブログからフリーゲームを盛り上げていこう」という理念からやってることだ。
そして、これは昔かたぎのブロガーさんならまとめだろうが、個人ブログだろうがどこだってやってた。
「ネットニュース盛り上げていこう」
というところなら自分の好きなリンクをガッツリ張ってたし、
「このアニメ・ゲームを盛り立てたい」
という人は、旬や時期がすぎれば廃れてしまうようなブログパーツをアニメ終了後だって張ってる。
スマホ版だってDLsiteのバーを貼ってるけど…あれ、ほとんど収益出てないよ。
DLsiteを普及して同人系クリエイターやフリーゲームの有料版がもっと世の中に浸透して欲しいから、僕が貼ってる。
このブログはクリエイター支援とか、内省的な性格・生活をおくる若者や主婦の方々にとって居心地の良い場所であろうと言う努力は常にしてる。
恋をして初めて生きる意味を知るの
今、私の奥で夢が明日が始まる
(守りたい人がいて 岡崎律子)
僕が黎明期のニコ動に人生に折れそうな心を支えてもらったあの日あの時から「僕が力を持ったらその力は彼らのために」とずっと思ってきた。
僕は彼らの亡霊だし、亡霊と呼ばれてこそ本望だ!
だから、あの時の世界を支えてた人達・ネット文化/オタク的なコンテクストを愛して育ってきた人達が報われるようなものを書いてる。
そもそも、昔の人ならみんなやってた。
でも、最近の子はサイドバーもスマホも何も貼らなくなった。
自分が好きなモノを語らなくなった。
売れるようなグルメだけはあいも変わらず語ってやがるが、もっともっと自分の人生を揺さぶったものを「がんばって語り続けよう」としなくなった。
影響を受けた作家やアーティストの言葉が文体に反映しなくなった。
文体がない、好きなモノがない、画一化されたデザイン。
これをクローンと呼ばずになんと呼ぶ?
To answer power with power, the Jedi way this is not. In this war, a danger there is, of losing who we are.
力に力で応えるのはジェダイのやり方ではない。この戦争は我々が何者かを見失うほどの危険がある。
そうなんだよね。
ただ、一匹のクローンを見せしめに炎上させて、潰しても何も解決しない。
かつてのはてな村はそうやって自分達が何者か、何がはてならしいかを見失った結果、古参は発言力を失った。野蛮な古参に運営は味方されず、淘汰された。
同じ轍を踏まぬために、今回は対立点を明確にしておきたい。
ブログを伝える中身を発掘できない人がやれ、ブログカスタマイズだ?
やれ、ブログサロンに参加しようだ?やれ、お金儲けしないと意味が無いだ?
そうじゃないだろ!
ブログで伝えたい事に「自分」があってもいい。だが、伝えたい自分が何が好きか、ブログを見ることでどんな気持ちが、どんな知識が満たされるか?ちゃんと考えてる?
はてなには昔から「自分メディア」な人はいた。
でも、その人が語った時にきっちりとした世界観がある人、
その人が語る「好き」があって、その好きのために尽くし続ける人
その基礎があった。これがないからサロン上がりの大学生ブロガー達はクローンであり、肉であり、Wackなんだ!
P.S
3月8日(明日)、学生ブロガーのオフ会に行って、八木とkeitaくんのトークセッションで質問してやろうと思ってるんだけど、僕が書いているもの以外で質問したいことがあったら書いておいてね。
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ぼくが好きなはてなブロガーで打順を組んだから、打線に名前を名づけて欲しい
もし、「個性とかはてな的ってなんやねん?」と思ってる人がいたら、ここにいる11人のブログを巡回してみてね。
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