はっきり言って雑記だから「読みたい人」だけどうぞ。
僕の個人的な「意思」を書くだけで、それに正しいとか間違いとか批評される覚えもないし、された所でただただ鬱陶しい。
だいたい、正しく生きられる人間だったら僕はこんなこともしてないし、こんなブログも多分書いてない。
でも、自分の活路と好きが不幸にもこれだったんだから、最後まで演じたい。
本当の悪意を知らない人間を見て、あまりの無垢さに涙した話
昨日、こんなのが回ってきた。
「批判と中傷の違い?」を絵で解説してみた。(∩º∀º)⊃✐☡
批判のつもりが、中傷になっていませんか?
批判は状況によっては役立ちますが、中傷はどのような状況でも、役に立たないのです。#のぼぼん (º∀º) pic.twitter.com/ltGkOQ0nHq— のぼぼん(º∀º)@ただの顔文字 (@magamitouru) 2016年3月14日
穢れを知らなすぎる…。
「批評であれば、役に立つかも」
なんて言ってる時点で、もう住んでる世界の違いを感じた。
文章でやり取りする人間の間では「批評」というフォーマットを取りながら中傷よりも悪意のあることをしてくるやつなんか死ぬほどいるし、そういう奴は無視して、ブロックしてとにかく関わらないように関わらないようにするしかない…。
また「引用」するだけして、言いたいことを「と誰かが言ってました」とか「そんなこと実際にあったのですか」といかにも学術的な態度で接しているようで、本人は意見も持たず、ただただ揚げ足を取りたいだけ…。
そういう人がゴロゴロいました。
ここにリスト作って予防を促してもいいぐらいですが…予防とはすなわち「ウイルスを体内に入れて体に抗体を作らせること」だ。
医学上はいいのかもしれないが、哲学の世界ではそれは危険なことだとされている。
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
ニーチェの名言・格言まとめ – NAVER まとめ
少なくとも、ここ2年ぐらいはともかく、2012〜2013年ならはてなIDを持つユーザーの中でベスト3に入るぐらい攻撃された経験を持つ僕だ。
そして、2015年にも三日三晩ツイッターでリプライの通知欄が鳴り止まないほど集団で攻撃されて、20〜30人の人をブロックしたことがあった。
しかも、その際に古参はてなユーザーが、ツイッターでもリプライが鳴り止まず困ってる時にはてなでも発言やエントリーにブックマークで攻撃するという二重苦・三重苦になるようなことが…まぁ、平気でされました。
僕は悪意のある人間のやり口をブログ開設以来死ぬほど体験してきてるから「やろうと思えば」同じことができる。
ただ、当時はよくても今はNGで「今やるとアカウントが消える」こともある。それこそ、「捨て垢」が必要だとか、炎上を誘導するような姑息なやり口が必要になる。
手間暇の割に得るものがないからやらないけど…そのぐらいには怪物の手口を理解しているし、今人気のアカウントが実は大昔から酷い手口で相手を貶める名人…なんてことはしばしばあって「怪物と戦えるぐらいの強さがなきゃネットなんかとてもやってらんない時代」があったことはご理解いただきたい。
最近の子は、青二才で「攻撃的」「老害」なんて言ってるけど、僕なんかあの時代からネットにのさばってる奴がいるけど、僕なんか全然良心的ですよ?
Hagex?あざなえるなわのごとし?シロクマ先生?確かにその人達も武闘派ではあるけど、まだ会話が成り立つ・ちゃんとHNが出てるだけマシですよ?
マシとは言ったが、自分を含めたどれもが怪物だと認識はしてる。
でも、それはオタクの中でも文章系の人の抱える闇でいいし、イラスト書いてる人やゲーム作ってる人には知ってほしくないんだよなぁ…。
僕は性根がもうモンスターだが、彼らには不幸で生きづらくて胸くそ悪いだけのモンスターにはなってほしくない。
僕の力の根源は今となっては闇になってしまったものだけ
僕が自分で「怪物」だと言い切れるのは、もう自分がブログ続けてる動機とか、ネットに入るきっかけがもはや「怪物と戦うこと」だったからね。
僕がオタクになったきっかけは現実逃避であり、ブログを続けながらやってることも「(自分を救ってくれた)それらこそが一番面白いから彼らに一番お金が行く・幸せになってくれる世の中じゃないとおかしい。間違ってるし、生きづらくてしょうがないからリア充と戦争してでも勝ち取る」という狂気なんだよ。
「00年代のニコ動の亡霊(と呼ばれたい)」
と自分で自分を言ってる人間だから、僕の面白いものはだいたい、嫌いな奴しかいない学校から帰って、親にグダグダ言われながら見た初期のニコ動なんだ。
これらって僕にとってはとっても大切なものだが、世の中から見たら「闇(病み)」であり、「生きづらさの末にたどり着いたかりそめの楽園」だよ。
きっと、親世代から「不健全だからそんなものはやめなさい」とかリア充から「まだそんなものにしがみついているのか」とか言われるものだ。
それは正しい。
でも、それを言われた時に「この人は僕のコアを理解する気もない人なんだな」とその人との縁を切るに値する…。少なくとも僕にとっては。
ましてや、これからスマホに人々が移行していくことで死んでいく文化だろう。
オタクとギークの本拠地であるはてなさえ、リア充・キョロ充ブロガーに蹂躙されてる 現状を見るに「看取る」段階に入ってるのかもしれない。
違うな。
オタクの中で「闇」を持ってても、「狂気」を持ってる人はいないから、「狂気」を持って「理解あるオタクを増やしていきたい」「オタクのテリトリはきっちり守りたい」みたいな矜持を持ってるオタクは少数派。
それどころか、狂気を持ったオタクは狂気のないオタクの敵として、オタクからも排除される。
だから、僕は動機で「リア充と戦う怪物」として生きることを決意しつつ、その過程は「ダメなオタクと戦う怪物」として生きることだと狂気を貫きながら学習した。
「狂気」と「闇」がなきゃ、大学生ブロガーに割って入って、リア充・キョロ充の世界の中で「オタク」の居場所をふてぶてしく割りこませるようなことをしない。
他の人がしないようなことを僕がするのは僕が狂ってるからだ。
僕がブログが、オタク記事を普通の記事に混ぜ込んでいるのは オタク人口…それも、00年代的な感性やコンテクストの面白さが伝わるものを普及できなきゃ無意味だからだ。
作ってる人はインターネットの深淵なんか知らなくていい。
でも、僕は怪物でないと自分が生きていこうとする力が湧かない人間だ。
だから、オタクに対してもリア充に対しても怪物になれる。
だから、怪物として色んな物を見てる分、ダメなオタクの臆病さと悪意、リア充のズルさと劣等感・ゲスさをよーく知ってる。
でも、それらはできれば、自分が応援しているイラスト系/ゲーム系などのクリエイターの人には知ってほしくないんだよなぁ…。
多くの人は狂ってるわけじゃないし、生きづらさが動機で生きてるわけじゃない。
でも、狂わないと生きてられない人は悪意とゲスさを飲み込んで強くなればいい。
書きながら「鍵山雛」っぽいなぁ〜と思い始めたから貼ってみる。
ちなみに、僕は雛大好きです。エピソード見るたびに目が潤むレベルに好き。
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おくすりいっぱい飲みたいな*人生まるごとエスケープしたいの☆
1年前に書いた狂気。僕が犯罪者になったら おそらくこの記事が日本中に晒されるので、闇を抱えながらも悪をなさないで生きていきます(何の話かな?)
メルマガやってるよ〜深淵が見られるかもよ♪