ドッジボールについて「規制すべき」だとか「銃乱射事件と結びつける人もいる」と述べている人がいる。
参照1:ドッジボール、学校での強制参加を禁止にするべきでは?|勝部元気のラブフェミ論
参照2:ドッジボールはいじめなのか?(谷口輝世子) – 個人 – Yahoo!ニュース
この手のことって今に始まったことじゃない。
むしろ、教育関係の話で「苦手な子がかわいそうだから、いじめに繋がるから規制しなさい」と言うものはよくある話と言ってもいい。
有名なのが学力テストの順位を公表するかどうかというやつ。
「全国学力テスト」成績公表、何が問題になってるの? | THE PAGE(ザ・ページ)
とこんな感じに、何かにつけて規制したり、子どもよりも反対する言論人や教職員が暴走しすぎた結果として、それらの風潮を皮肉った都市伝説が生まれるんじゃないでしょうか?
「手をつないで一斉にゴール」が全国各地で大流行している!? – Imaginary Lines
記事を読んでもらえばわかりますが、都市伝説だそうです。
「徒競走で並んで一斉にゴールする」のが、ゆとり教育や最近の若者の軟弱さの象徴であるかのように言う・テレビなどでネタにされることがあるけど…ほとんど実在しないそうです。
ドッジボール批判で述べてることが球技したことある人の間では普通
僕だって、「ドッチボールの安全性には問題がある」という意見ならもうちょっと真剣に取り合っていた。
しかし、安全性ではなく「義務教育で全員参加させられるには野蛮なスポーツ」「運動が苦手な子の恐怖心を…」という意見については…バカバカしすぎて、失笑を禁じ得ない。
勝部元気さんは球技をやったことがないのか?
球技なんてものは、テニスや野球のように体に当てないものであっても「ボールを怖がらない(恐怖心を克服する)」「体で止める」のが基本中の基本だ。
それに、サッカーやバスケットボールのように体ごと当たっていくスポーツの方がドッジボールに比べて遥かに怪我が多いようです。
参照:ドッジボール ケガの実態から考える(内田良) – 個人 – Yahoo!ニュース
それに…よくよく考えてみてくださいよ?
あんなにルールが臨機応変に変えられて、大勢でも少人数でも遊べて、設備などの準備やコストもほとんどかからない球技が他にあります?
「子どもが自分達で遊びやすい球技」だからこそドッジボールは普及したのでは?
…しいて言えば、サッカーとハンドボールは臨機応変にできるけど…ドッジボール以上にあからさまに運動できない奴とかハブられている人がキーパーをやらされることになるだろう。(※おまけに、経験者と未経験者・運動が苦手な子との実力がもっと開きやすくなるから絶対にオススメできない)
複数の球技をかじってる人・部活動で道具にお金のかかるスポーツを経験してる人ならこの辺の話はおおよそ同意していただける「一般論」だと思うんだけどなぁ〜。
みんなどっかしらで割を食うのが「学校」って場所じゃね?
僕が勝部元気さんとちゃんと議論しようすると、きっとこの手の返事がくるだろう。
「違う!体育やレクリエーションの時間に全員参加で行われることや、休み時間に遊びの定番として半強制的にやらされること(参加しないと仲間からハブられること)が悪いんだ。」
…それ、勉強でも何でも学校ってそういう所じゃね?
そりゃ、大人になれば比較的得意な(絶対にやりたくないことを避けた)仕事/趣味だけしていればいいよ?
でも、「学校が未完成な人間・進路や将来を決めてない人間にまんべんなく色んな刺激を与える所」である限り、苦手なことや自分が割を食う時間は避けて通れないのではないだろうか?
それは運動かもしれないし、給食を残さず食べないと遊びにもいけない環境かもしれないし、苦手な算数の授業かもしれない。
問題はそれらを規制することよりも、「どうやって乗り越えるか」「どうやって関わらないようにするか」ではないのか?
発達が早い子どもなら「周りより自分が頭がいい時、それゆえに生じた問題にどう対処するか」もここに含まれる。
学校なんて大なり小なりそういう場所だよ?
集団で同じことをさせる限りは何をさせても問題は生じるし、集団生活から逃れられる仕事につく人なんか世の中でも少数派だから「集団生活の訓練を学校でさせる」事自体の意義は否定できない…。
だから、こそ大人がやるべきことは「障害そのものを取り除くこと」ではなく、「苦手なものや割を食う場面で、いじけたり、レールを踏み外しすぎないようアフターケアーや障害に対するヒント・選択肢を提示すること」じゃないの?
頭ごなしに障害を取り除いたり、「健全化(笑)」してやることが教育的だと履き違えてるボンクラが増えすぎてるから書かせていただきました。
君たちの最大の敵はそういうボンクラだからな?
本業は恋愛論だそうです…つくづく救えない。