最近、2年来の付き合いの鈴木こあら さんが本を出しました。
おめでとうございます。(余ってる楽天ポイントで買いましたよ〜)
その鈴木さんが、場所とコーヒー代だけでブログを教えてくれる機会があった。
その時に「ブログのリライトをもっとちゃんとやったらいいよ〜」という話が出た。
そこで、自分の記事を年代別に幾つかリライトしてみたところ…面白いことに気づいた。
2011年以前の青二才さん
ブログを5年もやってると…最初の頃の記事を見て
「こんなクソ記事書いたのは誰だ!!」
「わたしだ!!!!ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
と悶絶したくなるものです。
見つけ次第削除してます。
リライトでどうにかなるレベルじゃありません。
2012年の青二才さん:軽度なシド・ヴィシャス化を起こしている
この年、動けなくなるほどの頭痛に苦しんで躁うつ病へと堕ちていく。
この年の文章は…軽度のシド・ヴィシャス化を起こしている。
シド・ヴィシャスというベーシストはベースが「弾けてなかったのでは?」とか、末期の方はライブは立ってることも、歌うこともできなかったそうな…。
それでも、そのパフォーマンス・存在自体がカリスマ的だったのよね。
シド・ヴィシャスじゃないが、2012年の僕の文は「断末魔の叫び」として凄みだけでアクセス数やバズを引き起こしている。
でも、文章としては体をなしてない。ただただ、「オレがオレが」という自意識だけが先行しているだけ。何の話をしても結局オレ。
逆に言うと、体をなしてない人間がその「凄み」だけでアクセスを取ってた。
こういう他のブロガーはブログの歴史の中で2012年の僕ぐらいだと思う。
普通ならば、文章力・知識・戦略があり、地道に人気を獲得していく。
だけど、青二才は違う。そのすべてがない代わりに狂気だけで、ヒットした。
逆に言うと、狂気が伝わる人にしかヒットしないし…未来の自分が読むと「嫌な思い出しかない」から、消したい気持ちしかないのよね…。
天才的だとは思うけどね。
2013年の青二才:自意識こじらせ系作風が完成形に。
雑味はある。腕前もまだ足りない。
しかし、「自意識こじらせ系の文章」としては…完成している。
2012年の得体のしれない生死が差し迫っていた事もあって、「狂気」は2012年の方がすごいのよ…。(狂気は死に近づき、不幸になればなるほど濃ゆくなる「死のエネルギー」だから、アレ以上濃ゆくなったら多分死ぬ。死ぬギリギリでやめた。)
狂気がなくなった分だけ「文章としての体」をなしているから、リライトはできる。
しかし、情報としては弱い。
書き物としての賞味期限がすごく短い。
つまりは「ナマモノ」であり、それも3年後の今読めば「鮮度がよくないナマモノ」でしかない。
だから、文章力・情報という保存料/加工を駆使してリライトする意味がでてくる。
2014年の青二才さん:情報路線に舵を切りながらも、こじらせが残る青二才さん
週刊フリーゲームを開始したのがこの年。
ネットで調べたことや自分の体験をきっちりと記事にしようとするから…「ネタ」が面白い。いや、本当に面白い。
でも…文章力が細かいところでまだワキが甘い。
出す必要がないのに「オレがオレが」な自意識を、出したがるから…自分で読むと
「あー誰だよ!!こんなに良いネタで小刻みに余計な自意識仕込んでるバカは!!」
↑お前や!!!!
という事をやってる。
あとは、アフィリエイトの知識が今よりもなかったから
「もっと、アフィリエイト張れた」
「うわ、楽天は16年現在ではオワコン化してるから、アカンって!!」
楽天のオワコン化についてはこっちを参照
未だに楽天のサービスを利用してる僕が語る、楽天失速の3つの理由
例えば、ぼくは最近「ヨメレバ」「カエレバ」というアフィリエイトツールが流行った関係で、僕もブログに導入した。
これを入れてから収入が上がったため、2015年以前の記事の中でも読まれているものはヨメレバ・カエレバのアフィリエイトに変えた方がいい。
リライトにはそういう意味もある。
と同時に、楽天アフィリエイトは10年前から徐々に力を落とし、4年前までならAmazonよりも収入の効率が良かった。
しかし、現在では目も当てられないほどの力にまで落ち込んだ。
そのため、過去記事に楽天を貼ってる人はこれをヤフーかAmazonに変えたほうがいい。
もっとアフィリエイトの知識がついてるなら、的確っぽいものを貼り直すのも、リライトの意味。(文章やネタ作りだけじゃなく、アフィ面の知識も成長する。僕ぐらいちゃんとやってたらね)
2015年の青二才さん:情報系記事の書き方を取得。ただし、バズらなくなる
週刊フリーゲームだけじゃなく、グルメ系の連載も始める。
参照:メシの話
週1.5回は連載企画に切り替え、炎上しそうな話題・自分の話を書いた「オレオレ」な記事を減らしたことで、確実なスキルアップを果たす。
ただ…スキルが上がった代わりに、バズらなくなった。
狂気が…なくなったのだ。軽度でもシド・ヴィシャス化できなくなった。
言うなれば、自分が死ぬこと・不幸になることで力を得ていた2012年の青二才になることができなくなり、2015年には良いゲームをする・美味しいものを食べるなど「幸せになることでしか力を得ること」ができなくなった。
しかも、面白いことに2016年の1月までぴったりと、シド・ヴィシャス化できなくなっていた。
スキルが上達したと言っても、2015年時点では、人にブログを教えてないから、スキルを体系化できてなかった。
だから、今ほど安定して「こういう記事を書きたいから、こういう演出を」というバランスが安定してないから、去年ではあるもののに、リライトする必要はある。
2016年の青二才さん:死の力と生の力を行き来できるようになる
炎上する覚悟で「オレがオレが」という記事も書きつつ、情報として書くために自分を殺してきっちりと堅実に書く力のバランスが取れるようになってくる。
「書き続けたからできた」というよりも、人に教えることで、
・死や不幸から得る力
・幸せや生から得る力
の両方を体系化できるようになったから、記事に応じていいリライト・技術だけを選べるようになってきた。
2つの書き方の両方ができるようになった。
しかも、その両方を行き来したわけじゃない。
今後、アップさせようとしてるスキル
ここまでを、ある方に読んでもらった所
「青二才氏の成長過程が、ブログ文化やネット史と連動してる」
と言われた。
つまり、僕が行く方と多分ネットの歴史は同じ方に行く。
その上で、僕が行こうしてる方を言えば…3つ。
1、ネットのある区画では最強だから、リアルで自分が強い範囲を作っていく。情報を取りに、色んな場所に行くし、もっと歩く。外に出る。
2、ネット面での強化はアフィリエイト系の技術・文章・アフィ問わず技術を持ったブロガーのネットワークの構築。(互助会ではなく、勉強会を形成)
3、Webメディア・ウェブライターになることは目指さない。代わりに、自分のコンテンツ運営をできる最大のところまでやる。
2016年のブログ及びインターネットは4年前よりもずっとマネタイズもできるし、実力がある人が集まる場所になった。
そのことを踏まえて、個人でガッツリ活動する人、活動をつなげる人、ビジネスライクではなく技術の交換や協力によって力を発揮する人がもっと増えていくと思う。
逆に、ウェブライティングに挑戦したのが15年。
あそこで、僕もLIGに挑戦してやめたし、LIGの主要メンバー達もLIGをやめた。
その答えや流れが16年には浮き彫りになると思います。
まとめ
リライトすると、自分の歴史と自分がそう動くことになった世の中の歴史、行く末が見えてきます。
是非、やってみてくださいね。
ちなみに、僕がしていることの先にやってるのがイケハヤなんだよなぁ…。 (そのまんまパクると並のブロガーにもなれないんですけどね〜)
良くも悪くもイケハヤと青二才はタイムラインがダブってるからね。イケハヤの方が興ったのが少し早いけどね。
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noteやってるよ〜