僕がホラゲーやADVをあまり紹介しない3つの理由

 

自分で言うのもアレだが、ゲームレビューをかなり書いてるし、ゲームレビュー系のレビューの中でかなり読まれている…はず。

人に読まれた結果として、色んな意見をいただく。その中で多いのが

「やりこみ系RPGを中心に紹介してるけど、他のジャンルのゲームはやらないんですか??(ていうか、やってください)」

というモノ。

…不思議がるのも無理はない。

世間的にはフリーゲームといえば、RPGよりもホラゲー。KADOKAWA経由で書籍化されたり、ニコニコ動画で実況されるのはRPGではなく、ホラゲーなんだから。

魔王物語物語、らんだむダンジョン、片道勇者などRPGの有名どころは抑えるくせに、ホラゲーの代表作であるゆめにっきも、青鬼も紹介してないのだから「なんでだろう?」と思うひとの気持ちはわからなくもない。

…実は(ゆめにっき、青鬼はやってないけど)何作かやってる。

そして、ブログのアクセスのことを考えたら「書籍化・ニコ動経由で知ってるゲームを紹介したほうがみんながブログを見てくれる」というのもわかる。

でもね…紹介したいゲームが見つからないんだよね。

その辺の理由を語ってみたい。

 1、文章力がない人の作品を擁護できない

RPGやアクションならゲームの説明や、キャラを立てるため程度の文章。

でも、ホラゲーの場合は文章の重要性が増す。

ところが、文章は一応僕の専門分野だから「読みやすくするための工夫・技術」ができてるかどうかが否応なくわかってしまい、甘めに評価できなくなる。

「何様のつもりだよ」と思われるかもしれないけど、文章のことに関しては「俺様」なんだよ。そんじょそこらのゲーム作者の何十倍の人数の人間に文章を読ませ、褒められ、叩かれて、教わり、教えてきた経験がある。

くだらないアクセス数自慢はしないけど…それなりに人気と経験があることはわかってほしい。

…だから、他のゲームやイラストについての技術は「素人目」でいいところを評価していくスタンスが取れても、文章だけは…ダメなところを見過ごせない。

「この人の文章は説教臭いなぁ〜。ゲームなのに、現実の【べき論】を説いてるところがもぞもぞする。」

「この人の文章は理屈っぽいなぁ〜。女子高生もオッサンもみんな同じしゃべり方。そもそも、こんなにべらべら喋る女、見たことないし、語彙やセリフに差が弱いからキャラの」

「この人の文章は薄っぺらいなぁ〜。辛いことを人並みにつらがって、悲しいことに人並み程度にしか悲しがるキャラしかいない。もっと、個人差・病みやすい人間・自分自身が事実を解釈してできあがる真実があるキャラがいないと張り合いがないというか…ホラーとして厚みが出ないのよね…。」

…最後のがわかりにくいから説明させて。

例:(よくあるホラゲー)交通事故で友達が死にました。悲しいくて泣きじゃくりました。その後葬式後を追って死にたくなり、彼を追って同じ事故現場で身を投げました。その時の私は彼に会いたいと必死で、ほんとうの意味で彼を追いかけたのです。

例:(求めてる文章力や心理描写)交通事故で友達が死にました。すごく悲しいですが、お葬式でも涙はでず、お花を添える時に見た友達の顔は安らかで、吸い込まれそうでした。

泣きじゃくる母親の顔を見ても実感は湧かず、本当に泣いているか疑わしい友達のすすり泣きもまた「ノリ」にしか見えませんでした。

わかってます。本当に不可解なのは悲しいのに泣きもせず、普段見ない友人の顔を死んだ時に限ってまじまじと見てしまった自分自身なのです。

…どっちが伝わります?

心理描写として共感できます?

2、ホラーを死やオカルトで表現すること自体に納得がいかない

「お化けなんか怖くない」

とは言わない。

でも、本当に怖いのはおばけ「だけ」か?

親、上司、先生、異性、社会、芸能界、友達、縦社会、暴力、気まぐれ、知らない言葉、知らないルール、常識、非常識、無感動、抑えられない感情、お酒、お金、病気、寿命病気…。

人間なんて、生きていれば怖いことだらけですよ…。

さっき、友達が死んだことについての文章を2つ書いた。

アレはスキルの違いを見せつける意味もあったけど、「怖い」の感覚の違いを見せる意味でも書いた。

多分、僕らが感じる「怖いこと」の多くは「死ぬ・死んだ」こと自体よりも、そこに関する無感動とか、喪失を喪失だと思ってるふりをしてる他人とか、本来すべきことができないまま予測不能な行動を取る自分自身とか…いくらでも、怖いと感じることはあると思う。

でも、生きてる時に感じる怖さをゲームで表現しようとすると…どっちかというとRPGやアクションが使われることが多いのよね…。

ホラーで表現しようとすると恐怖とは血…いや、端的に言うと「死ぬこと」になりがち(で、これを逃れたホラーをそもそも殆どやったことがない)。

でも、死ぬこと自体をホラーとする考えの作品は、生きてることから生じるホラーから目を背けるような結論(生き残ることがハッピーエンド、一度辛いことが死んじゃっても復活すれば新しい生活を送れる)みたいな感じになることがおおいから弱いのよね…。

強いて例外的なホラゲーを挙げるなら、獄都事変はそれが表現されてるのが良かった。

どんな怪奇現象を見ても獄卒が飄々としてること、自分の目玉がとれても、ステージが変形しても淡々とした会話をし、「本当に怖いのは実はこいつらかも知れない。そもそも、こいつらは人間ではないけど、なんなのだろう」という不可解さを植え付けてるのがすごいと感じた。

演出がお約束に走りがちといえばいいのかな?

メタファー化されたキャラクターの名前や設定が「生きていることの恐怖」を描いていたとしても、演出的なホラーがテキストや表情や歪んだ価値観からくるおぞましさよりも「流血描写」と「音」に偏っちゃってるのよね…。

…もっと酷いと、「特殊な運命」「居合わせた状況」によるホラーみたいなものに偏り過ぎてるんだけどさ…?

人間が怖いと感じることは、そんな避暑地か、湘南にでも行く感覚で訪れないと怖い体験なんかできないものなのか…??

もしくはホラーゲームで遊ぶ人は、生きている事自体の恐怖とかをあんまり感じない強度がない人、または幸せなことしか見えないリア充なの?

だとすると、確かに僕は向いてないわ。

3,ゲーム性が弱くなりがち。ヘタすると初見殺しだけの煩わしいゲームになる

ADVとか、推理ゲームとして凝ってる作品はホラー以外でも幾つか思いつくからこそいいたいけど…書籍化されたものまで含めて、ホラーゲームのゲーム性は弱すぎる。

…下手をするとただの、探索ゲームになっちゃうんだよなぁ…。

大きな音を立てて初見殺しをしてくるトラップは…怖くはないのよ。

ビビる以前にきょとんとするほど一瞬でゲームオーバーになって「なにこれ」。

これをオーバーリアクションの実況者のリアクションと一緒に見れば面白いかもしれないが…淡々と自室でプレイする分にはお話を楽しむ邪魔か、ゲームとしての駆け引きのなさに白ける。

…熱湯風呂みたいなもんじゃない?

熱湯風呂はダチョウ倶楽部がやるから面白いのであって、誰がやっても面白いもんじゃないし、最低限熱湯だと思い込んでる人がやらないと白けるというか…。

世界観やキャラクターが魅力的なら、ゲーム性のなさは気にならないこともあるよ?

でも、それは「ホラー演出にありがち」「ホラーゲームってこんなもんでしょ?」みたいなところにきっちりとした説得力・理由付けな要素ができているゲームじゃないと、そもそも世界観自体がすきになれないのよ。

ベッタベタでなし崩しに「ホラーってこうでしょ、ほら怖いでしょ」みたいなゲームは、そのゲーム自体が持ってる価値観が、そもそも苦手なんだよなぁ〜。

オーバーリアクションな人間がプレイしているのを見るのが一番面白いゲームに落ち着いて、自分でじっくりプレイする意味がなくなる。

ゲーム自体の上手い下手もないから、やり込んだり、頑張ってクリアする気も…薄まるか、その楽しみ自体が用意されてない。

くどいけど、話が面白ければ、許せることなんだけど、話が薄く、ゲームとしても知ってるか知らないかしかないゲームだとどこで楽しもうかな…と悩んでしまう。(結果、紹介できるゲームがすごく限られてしまうのよね…)

僕がホラーゲームを探すのを下手なのかもしれないけど…好みのやつを引かないのよね〜

 

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