…東浩紀がこんなこと書いてた。
セカイ系と美少女ゲームの想像力がリア充キャラを主人公に据えることで奇妙にも国民的評価を得てしまった、という渡邉くんの分析はまったくそのとおり。ただぼくは、この「あと」になにが来るかという点では楽観的ではない。君の名は。は、一つの時代の始まりというより終わりを告げる作品に見えた。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年9月8日
シン・ゴジラと君の名は。を見て思ったのは、ひとことで言えば、オタクの時代は終わったんだなということですね。第一世代のガイナックス系オタクと第二世代のセカイ系オタクの想像力が、同時に社会派になりリア充化し、オタク特有のぐずぐずしたどうしようもない部分がすっぱり消えた。
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年9月8日
きっと東浩紀が指しているのは
・すっごい狭い意味でのゼロ年代ゲンロン
・自分が好きすぎて本にしてオタク論書いちゃった「動物化するポストモダン」にリンクした部分
であって、それをオタクというだだっ広い言葉で指し示して語ってるからすごく誤解を生むことになっている。
ただ、敢えて「誤解した上で」今回は書いてみようと思う。
というのも、東的なニュアンスじゃなくても度々オタクは、オタク文化は死んだみたいな人はいるから「それホンマでっか」と言いたくなってる部分があるためだ。
今自分の周りで起こってること、調べていくと見えるものはまるっきり逆。
もっと言えば「東浩紀がそんな台詞を言うべきだったところは、ポケモン映画が歴史的な大ヒットをした時に言うべきだったのでは?」
と、ポケモン映画を全部見返した後だから思ってしまう。
社会現象というより、いいアニメ見て育った世代が大人になっただけ
自分がつぶやいたのが見つからないから、人がつぶやいたものから失礼。
『ミュウツーの逆襲』に、「悲しいときに涙を流すのは人間だけ」という冒頭のセリフから、終盤に悲しみで涙を流すポケモンたちのシーンがあるけど、この頃から人とポケモンはまったく異なる存在ではなく、その境界が極めて曖昧なものとして描写されているところがとても良い。等しく命、なんだよね
— しめぎ@C90通販開始 (@00java) 2016年8月26日
ミュウツーの逆襲は今でも日本映画の興行収入歴代22位に入る作品。
その作品の中身は、(今考えてみたら)一般向けの作品とは思えないほどこじらせている。
まず冒頭から、エヴァンゲリオンや押井守作品を彷彿させるような【自分自身のアイデンティティ】や【生きてることへの実感】に悩む話からスタートする。
そこからさらに、ポケモン映画が20年間ブレずに描き続ける「ポケモンは人間と対等(と言ってもおかしくないほどに上下関係が曖昧な)パートナーであり、近い価値観を共有している生き物だ」という話を盛り込まれている。
しかも、それは映画が公開した98年当時では歴代の興行収入でアニメ映画としてはもののけ姫に次いで二番目というすごく世の中から注目を集めている。(実写を含めると当時で歴代6位)
君の名は。が大ヒットしたとかしてないとかと言ってるバカに言いたいわ!!
ポケモンとかもののけ姫とかの時代にはそもそも、「アニメ映画を人々が見る習慣」自体がそんなになかった。もののけ姫やミュウツーの逆襲以降にランクインしたアニメ映画は8つ。しかもそのうち6つはジブリ!
「成し遂げた数字の重さが全然違う」と声を大にして言いたい!!
もし、オタクという垣根なり、ステレオタイプな意味でのオタクを殺した人がいるとするならそれは宮﨑駿と任天堂なんだよね…。
にも関わらず、
「オタク文化がリア充色や社会派色を帯びて一般化して、オタクの時代は終わった」
とか言う人にいいたいね。
「今のアラサーは子どもの頃に押井守アニメやエヴァみたいな要素を含んだ冒頭からスタートするミュウツーの逆襲からアニメを見始めてる。
しかもその育った過程でポケモンに勝るとも劣らないほどこじらせたアニメもたくさん見ながら大人になった人が、今の若者なのだからもののけ姫やミュウツーを大衆が見てしまった時点でこんな時代が来ることは、もうわかっていた話ではないか」
と。
しかも、他のアニメのエッセンスをただ刷り込まれただけではなく、ポケモン特有のポケモンと人間が普通に親子だったり、師弟だったり、男女の仲として愛し合ってるような映画を20年単位で放送してる。
萌え系の美少女を出さないとラブが語れないステレオタイプなオタクに比べても、それなりにめんどくさい作品を今のアラサーは「普通の人」でも見て育ってしまったのだから、モノが違う。
しかも、ポケモンだけでなく、90年代後半・00年代のアニメ映画にはとにかく尖った作品が多い。
宮﨑駿が大衆エンタメからより尖った方向に作品作っていくのは言うまでもなく、クレヨンしんちゃんですらオトナ帝国やあっぱれ戦国の時は「社会派」の側面が強い時期があったのが00年代前半。
アラサーとは尖ったアニメ演出や、アニメで哲学や社会のめんどくさい題材を扱った作品を「みんなの話題」についていくだけで見るようになった世代。
オタクである方が影響は強いが、オタク的な作品ではないゴールデンタイムのアニメやアニメなのにオタク的なものとして扱われないジブリアニメでさえ、劇場になると尖ったことをやった時代が90年台後半であり、00年代。
しかも、その時期は邦画やテレビの影響力が弱まったため、子どもの頃に没頭したアニメやマンガから卒業しない・するのが遅く、オタク文化の影響が根深い。
下手をすれば、現在進行形で未だにその時から続いているマンガやゲーム、アニメ映画のシリーズを心待ちにした上で、オタク的な影響・文脈が色んな所に飛び火してる大きな要因ではなかろうか。
そう考えると、君の名は。はぬるく見える。
シンゴジラですら「庵野秀明作品の中ではチャレンジする事よりも病まずに楽しく作品を作る方を選んだ作品」だと捉えている。(面白かったけど、新劇場版ヱヴァを見る時のような、ゾクゾクする感じはほとんどなかった)
…君の名は。の興行収入が風立ちぬの興行収入に勝ってから時代が変わったとか言ったら?と心底思う。
むしろ、これだけアニメを見る環境を整い、宣伝をゴリ押しして、やっとこさっとこシンゴジラに迫る人気とか言ってるうちは絶対に見に行かねーし、社会現象呼ばわりしてるヤツはバカか与太者だと突っぱねてやる次第だ!!
その結果として、ヤンキーですらマンガ文化を踏襲する時代に
最近、ラッパー同士がラップバトルをする番組「フリースタイルダンジョン」が、オタクの間でもブームしている。
「ブームしてる」とまで言えるのはそれまでヒップホップファンでも何でもなかったぼくみたいなオタクを多数巻き込んでいることでもあり、実際にそれまで無名だった出演者か、ヒップホップファンじゃないと知らない人達が大手企業のCMとしてラップでCMをすることが増えているためだ。
その番組の中には色んなオタク文化の要素が散りばめられてる。
・RPGなどのゲームを思わせる対戦方式やキャラ立て
・2クール期目からの主題歌「welcome to the Dungeon」では、日頃番組に登場するラッパーたちの名前が全て歌詞の中に入っているというアニメソング顔負けのテーマソングっぷりを発揮
・そして、番組に登場するラッパーを紹介するシーンではワンピースの賞金首のイラストを彷彿させるような絵も出てくる
他にも「歌詞の例え話にジャンプマンガを使いたがる人が多い」など、オタクっぽくはないんだけどアニメやマンガを当たり前に見てるからこそ成り立つ会話や演出がたくさんある。
そのため、一周回って「オタク特有のコテコテなアニメに疲れた人・飽きた人」「何を見てもオタクっぽく盛り上がれるようになってしまった人」はフリースタイルダンジョンで盛り上がってる。
みんながオタクになった時代だから、オタク文化以外でもオタク的に楽しめる
そして、最近オタクな人から紹介されたのが、EXILEみたいな人達が沢山出てる「High&Low」というドラマ。
予告を見てもらえばわかるんだけど…オタクっぽくはないけど、ゲームっぽいものの影響を受けてる。
ジャンプマンガ、龍が如く、映像美に偏ってオタクから非難轟々になってきた時期のファイナル・ファンタジーなどなど。
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こういうものが、リア充カースト最上位のEXILEから作られちゃうところに
「オタク文化が完全に浸透した世界は、オタク的なものの濃淡さえ無視すれば、リア充と同じもので盛り上がれるんだなぁ~」
という、時代の変化を感じた。
いや、コッテコテに昔からあるようなモノをお探しなら、それはもう大衆文化よりも同人作品や、自分で作る方向を考えたほうがいいよ?
でも、オタクがオタク的な発想でできた文化を楽しみたいと考えた時、今ほど選択肢の広い時代はないと思うけどなぁ~。
なにしろ、AVからEXILEまでオタクがマンガやゲームだと思ってやってたことを実写にしてやってくれる時代なんだし…うん。
そろそろ、誰かが「まだ動ポモで消耗してるの?」って言うべきだなぁ〜と思えて思えて…うん。