オタクブロガーの定番「おすすめアニメランキング」を作ることにしたので、
「BLACK LAGOONってどの辺の順位につけたらいいかな?」
と悩んで見返した。
Chicken or the egg
最初見た時は、バカみたいにあまりにもオモシロすぎてBLACK LAGOONを大真面目に捉えすぎてしまったんだけど…もう一回見返して気づいた。
「BLACK LAGOONは映画オタク同士が金のかかって、かっこ良く見える台本も作って、サバゲーをやってる世界がロアナプラであって、時々すごいいいこと言ってる回を見つけても、泣ける回を見つけても【社会派】だとか【哲学するアニメ】だとか【泣きアニメ】と言って語るとかえって魅力が伝わらないやつだ!!!
もっと言えば、そういうミスリードをしてもらうことで作品のエログロやクチの悪さを世の中に認めさせようとしてる奴だ!!」
…本編がシリアス気味で、あからさまなギャグなおまけを挟んでるからついつい一度見た時には
「どちらかというと東のエデンとか、映画で言えばタクシー・ドライバー的な作品?
ジョークやファンタジー気取りながら、実は驚くほど予言的で実在的なことをやっちゃう作品では?」
とか思って、感想として感動したことや教訓めいた部分に恥ずかしいほどにアツく語った…ような気がする。(黒歴史ゆえ思い出したくない)
しかし、自分の比較的得意な分野に入ってる作家さんが「シン・ゴジラ」という映画を発表した直後に見ていたから気づけた。
「あ、作者の考えてる方向が同じやつだ。これ、目的と手段が逆転してるわ。」
病んだ庵野作品は刺さる、病みきらない庵野作品は売れる!!
庵野秀明に限らず、今石洋之作品まで含めたガイナックス・トリガー・カラーの作品を作ってる人達の本気を出す方向は2つ。
「本気で自分の内側に問いかけ続けて、己とテーマ性の限界を突き詰めて作った。」
「とにかく、自分が好きなもの、絵や美意識の観点からやりたかったことを詰め込めるだけ詰め込みました」
という作品。
どっちの観点から見てもすごい作品ばかりだけど、ベースになっているものはどちらか片方が優先されていることが多く、どっちを先に優先したかで作品の仕上がりが違ってきているように見える。
庵野秀明の場合、前者が優先され過ぎると庵野自身が精神崩壊する作品ができてしまう。一部にカルト的人気が出る反面、理解が追いつかないようなものができる。(エヴァンゲリオンの終盤とか、旧作の劇場版とか、Qとか。)
逆に、後者を中心に作った作品・病まないように好きな作品の引用・オマージュを楽しんだ作品の方が売れる。(ダイコンフィルムであり、新劇場版:破であり、シンゴジラであり…。)
今石洋之の場合、前者がしっかりした上に後者が乗っかると神がかった作品ができる。(キルラキルやグレンラガンなど)
好きなモノ・やりたいことをおもいっきり詰め込んだタイプの作品は話題はさらう割に、売れない。(タイムパトロールルル子やパンティー&ストッキングとか…)
僕がシンゴジラの感想で「はいはい庵野庵野」と言ったのは、この基準で考えた時に庵野秀明が終盤に病んだり、解説が必要なほど意味不明な要素を含んでいなかったから。
深読みができる部分はあるよ?でも、庵野秀明が本気で自分の限界を突き詰めちゃった作品は、深読みするとかしないとかそんな生易しいレベルでは済まないほど意味不明なわけです…はい。
BLACK LAGOONを見ると、なんとなく口が悪くなる。
見返しながら、ブログ記事を書いていたのだが…いつもよりもすごく汚い言葉や煽り口調のものができあがる。
言い回しが芝居がかってしまい、検索エンジンから読みに来た僕のこともBLACK LAGOONのノリも知らない人が、困惑するような文体になってしまう。
…双子の死んだシーンとか、ロックがレヴィに口答えするシーンとかそういうのを見て「これはシリアスな作品だ」とかついつい考えてしまっていたけど…違うわ。
フェチというか、美意識というかそういうものの方が改めて見るとメインであり、作品を見てるうちに「汚染されてしまう」んだよ。
でも、それが正しいんだよ。
エヴァとかシンゴジラを見てしまったら「明朝体の長いテロップ」とか「機械や車両が並んでること」が、本来なら別にいらないはずのものなのにかっこ良く見えるように洗脳されてる。
作者の「こういうの好きやろ?」に「うんうん、もっとちょうだい」となってる関係性で作品を見続けられるし、作者自身それ自体が目的だったりする。
特に、それが多い作品そのためならキャラクターを時に芝居っぽく、時に官僚っぽくネジ曲がったものにしてみたり…。
BLACK LAGOONがそういう作品だと言える理由はそれのヒントになる作品が幾つか出てくるんだよね…。
まず、主人公ご一行のラグーン商会も映画のセリフや登場人物をダシに会話してるし、アクションしてみたらしてみたで
「絶対に弾が当たらないからこそやってるよね?その動き」
という動きを格好つけてやったりしてる。
それだけなら、「ガンアクションの作品なんて、大半はそういうもんじゃないか」と思うだろう。
BLACK LAGOONはその辺が親切。見ている人に「そういうツッコミどころ」に気づきやすいように、主人公一行よりももっとツッコミどころ満載なキャラに主人公達もテレビの前でツッコミを食らっているであろうツッコミを自分達が言う。
ネオ・ナチだったり、ムダな口上が長すぎて打つ前にやられたガンマンとか…。
しかも、噛ませ犬にしか見えないバカが、そのムダを本気でカッコつけてやる。
それを繰り返していくと
「あれ?これ、違う趣味の映画とか歴史とかマンガのファン同士で堂々巡りな論争をやってるのをウルトラかっこ良く、お金たんまりかけてやっちゃったような作品じゃない?」
と気づいてくる(思えてくる)。
そういう作品だと気づくと、真面目に「感動した」とか「今生きてる人への応援メッセージだ」とか思って見たらズレるし、その部分すら様式美というか、カッコいいセリフ、映画にありがち・映画として魅力的だからやってるものだと考えた方がしっくり来るようになってしまう。
そういう作品は一定数あるけど、そういう作品はたとえいい話でも褒めちゃいけないんだよ。
褒めるとほめた途端にずれ始めるから。次に同じような美意識に感染した作品を見つけた時に「こういうカッコよさを教えてくれたのはあの作品だったな」というぐらいでいいの。
そういう作品を作っちゃう人は褒め方を間違えると苦々しそうな顔をするし、正しく褒めるとつけあがってそればっかり押し売りしてくるから、「はいはい」とか「ギャグやブラックジョークの類だよね〜」以上のリアクションはしなくていいと思うの。
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