突き刺さるようなマンガを読んだ。
タイトルは言わぬが、僕の知る限り最も「まっすぐに幸せに、モテるとはどういうことか」を本質的に描いた本だった。
…そのマンガを読んで、去年読んできたモテ本/ナンパ本/ネットメディアへの違和感と弱点を知ることができた。
恋してる瞬間、人間はものすごく正直になろうとするし…なれる!!
複数名にとっかえひっかえモテたい人のことを知らない。
でも、自分が女の子から慕われてた(モテてた)り、相手に夢中になって「恋愛って楽しいなぁ…」と思った時には泥臭く、本音で、不器用に振る舞ってた。
相手も相手で、不器用で本音で泥臭くなる時間があり、そんな二人が飲食店の片隅だったか、繁華街だったか…そういう場所で溶け合ってた。
比喩でも何でもない。
子どもっぽいしぐさ、舞い上がってほころんだ顔、「彼女」のことが世界一かわいく見えるような…「俺が今一番幸せ」であるかのような根拠のない自信。
それらがにじみ出ている時の僕と「彼女」は…自分とか、どこどこの誰々とか…そういう「入れ物に入った個体」ではなく、恋の熱気で溶け合い、混ざり合っていた。
こういうのを「燃えるような恋」っていうのかなぁ?
ぼくはそういう気持ちにもう一度なりたくて、今度こそそれを育てたくて…未だに恋焦がれてる。
しかし、その気持ちを描いている書籍に出会うことがなかなかなくてねぇ…。
それどころか、恋愛論やナンパ本何か手に取った日には…「恋がお互いを溶かす瞬間」を描いてないんだ…。
だから、「こうした方がいい」とは思えても、こうなりたいとは思えなかった。
ナンパ本での女の落とし方が土竜の唄そっくり!!
いかにもナンパ本らしいノウハウ「恋愛工学」が綴られた小説を読んでいる際に感じた違和感がある。
その違和感は、「女性がその気になるタイミングがおかしい」と言うもの。
基本的には肉体関係を持つ数秒前まで嫌がっている。
それを男が格好つけながら押し倒していく。
そして、その気にさえさせれば、2回目3回目はほとんど女性の方から誘惑してくるかメロメロになって期待してくる…という感じの描写。
この描写をぼくは
「土竜の唄じゃないんだから…」
と、苦笑いしながら読んでいた。
特に、ここ最近、マンガワンで毎週更新されてる土竜の唄番外編「狂蝶の舞(パピヨンダンス)」という作品そっくりだった。
土竜の唄本編でプレイボーイキャラ(パピヨンこと)日浦匡也が、主人公と出会う前に成り上がるさまを描いた作品が…完全にこうだった。
「テクニカルな指先で、女性を刺激したら落ちる」とか、
「強引に触りながら焦らしてやると、あっちから求めてくる」
これはヤングサンデーのギャグマンガとしては面白いよ?
でも、恋愛本/ナンパ本としてやられると「ネタでやってるんだよね?」としか思えなかった。
それが「100%嘘」とは言わない。
実際、女の子も空気や気持ちがこっちに向いていれば、本当に寄せ合ってたり、体を触っている感覚から雰囲気が変わってくることもある。
驚くほど艶やかな表情と声でなついてくることも…ないわけではない。
でも、もし当たり前だと思っているなら、「浅はかだな」とも思う。
僕にだって浅はかな時期はあったから「通過儀礼だね」とも思ってるけど…。
恋の楽しさを知ってたら、愛をやりぬく資格はある。
現実には一度関係を持った後で
・舞い上がったり、
・他人に自慢しようとしたり、
・自分が相手に対して客観的にふさわしいと思うかどうか考えて彼女と向き合うのが億劫になったり
・逆に相手を確保したことで、相手の価値を客観的に見積もって(悪い部分や欠陥があると)値踏みしてみたり…
「楽しい関係」を楽しい以外で濁す形で、恋が終わってしまう。
「好きなうちに別れる」とか「好きすぎない相手(程よく飽きてる)ことを受け入れて結ばれる」とかして回避しない限りは、相手を好きで居続けることは難しい。
「楽しい」はとても重要だ。
少なくとも男側の立場、結婚・妊娠・他人が絡まない限りは「楽しい」に立ち返れば、いい関係は続けられることが多い。
女性の場合は体の構造とか、脅威の多さの問題で「楽しいからいい」ってわけにも行かない部分があるけど…男の努力や配慮次第で「楽しい」で居続けられる可能性も大いにある。
…そして、「楽しい」のパートナーが、「理想の相手」とは限らないところが、また素晴らしい。
理想の恋愛の行き着く先はクレクレ戦争
用意がいい人は「楽しいだけじゃ済まなくなってもいい相手」としか付き合わない人もいる。
だけど、それは「理想」であり、「べき論」だよね?
同時に、「楽しいだけで済まなくなってもいい相手」は、恋愛上・性格上の相性がいいかというと…そうとも限らないし…。
でも、恋愛本/ナンパ本/ネットメディアは、相手選びに対して「排除の論理」を振りかざす。
恋愛が楽しさなんか語らないで、「異性を審査する能力を上げること」ばかりに特化し、不安な人や理想が高い人を煽ることでお金儲けしてる。
踏み込んだ言い方をするなら、異性を審査する能力を突き詰めた先は「釣り合わないほどいい相手から、いかに搾り取るか」という、損得の論争に陥る。
特に、はあちゅうさん・柊ゆうさんの「コストパーセ✕クス」論争なんて、その極地だ。
柊ゆう:1回のセ✕クスにかけるコストが2万円を超えたら負け。 大学生〜社会人のCPS(コストパーセ✕クス)は7,300円〜2万円が妥当 – PJ表参道
ちなみに、川崎のやっすいお店が大体2万円の少し下だから、相場的に同じぐらい
はあちゅう:男性が一回のセ✕クスにかけるコスト(CPS/コストパーセ✕クス)は7万円が相場!?<今宵も「やれる/やられる」はディナーで決まる。>はあちゅう/梅木雄平 – 幻冬舎plus
これも、川崎の高級なお店か、中堅のお店の長時間コースがそんな感じだから、だいたい合ってる。…「たまたま」だけどね。
こんな感じで、
・男は安く美人と繋がりたくて、
・女はイケメン成金から搾り取りたい…
「そこにロマンはあるのだろか?」なんてフレーズの1つもぼやきたくなるほど、くっそ打算的な結論に行く。
そういう人をバカだと思ったし、そんなバカな事を書くことで、書き物が売れる世界があることに僕は酷くうんざりしていた時期があった。
でも、冷静に考えてみると、「信頼関係で繋がる気がない人同士」の場外乱闘こそが、恋愛メディア・恋愛論であって、一般人は何も関係ないことなのだ!!
彼らの不毛なクレクレ戦争には関わってはならない。
ただね…嫌な女性に出会った経験から
「女性がきっと打算的・現実的で、僕はこのままだと値踏みされる」
みたいな恐怖や、
「ならば、相手が気づく前にいかに(自分が)楽しい思いをできるかだ!」
強迫観念が働いて、相手をまっすぐ見られなくなると「楽しい」を続けきることができなくなる。
こうなると、もう最初楽しかった時間や、信頼関係なんかないよね?
信頼関係で繋がった彼女は、もっとまっすぐと僕を見ていてくれたかもしれないのに…。
遠くの福山雅治より、近くのクラス・職場1のイケメン。さらに…
結局のところ、「モテてる」瞬間とは信頼関係で繋がってるからこそもう一歩踏み出したいと思うのだ。
だから、「客観的に最高の男」である必要なんかちっともない!!
駄サイクルと言われようが、「魔獣と野獣」と言われようが、信頼しあって愛し合ってるその時には、自分と彼女以外全員他人!!
「人のセ✕クスを笑うな」という映画もございますが、その考え、とっても大事です。同時に、「笑われてると思わないこと」や「笑われてもいいじゃない。にんげんだもの」と思うこともとっても大事です。
もちろん、目的や世間体もあって「楽しいだけじゃダメ」という人もいるよ?
でも、まずは「楽しい」が来ない相手と形式的につながることなんて、お互いに利害でつながってない限り、ありえないよね??
でも、楽しいことを共有できる信頼関係がない男女と、形式的に繋がったって、簡単に崩れるよね?
だから、信頼関係って大事。
もちろん、女性は
「イケメンじゃないとやだ」
「福山雅治なら最高にいい」
とか言う。
男も男で、
「美人でボインがいい」
「堀北真希か、新垣結衣がいい」
とか普段は言ってるよ?僕だって新垣結衣には憧れるし。
でも、結局は「自分に合った選択」をする。
そりゃ、福山雅治・堀北真希で生まれてきて、街中が美男美女で、彼氏彼女も美男美女だったら万々歳だよ?
でも、そういう人は少数しかいない。
テレビに出てるか、過剰にモテるかして、信頼関係はおろか、近くに行くこともできない。憧れというよりも、実態さえ疑わしい信仰だから…恋愛感情ではない。
憧れてるだけじゃ、信頼関係は結べない。
憧れられる方もしんどいし、憧れる方も近づききれない。
…そうなると、それがクラス1・職場1の異性になっていくけど、多くの場合は憧れでしかなくて、親近感にはならない。
一夫多妻/多夫一妻性ならともかく…また、「二番手」「都合のいい人」で居続けるならともかくね。
でも、現実的には
・趣味や病気に理解がある
・連絡が取れて、すぐ来てくれる
・本当に辛い時、寂しい時に手を取ってくれた
・一緒に居続けるうちに、すごく頼りになるように思えてきた
みたいなことで、メロメロになったりするのが人間だ。
だからこそ、恋をするチャンスは誰にでもある。
福山雅治に生まれてないやつにだって、ちゃんとある。
人間はベストよりベター、ベターよりお気に入りを選ぶ。
だから、完璧である必要もないし、何かで一番である必要はない。
もちろん運や偶然の要素があるからみんながみんなが…というわけにはいかない。
だけど、「憧れ」や「理想」でなくとも恋はできる。
理想・憧れ・ノウハウよりも大事なのは「楽しいことは、一緒に楽しめるぐらいの距離感と信頼関係がある相手としかできない」ってこと。
そして「楽しいかどうかを決めるのは自分と相手」であって、客観性でも友達でも恋愛コラムニストでもないってこと。
そのことにもっとスポットライトが当たって欲しいです。
福山雅治を仮想敵っぽく触れたけど、実は「それがすべてさ」の中で歌ってる内容がここで言ってることをうまく圧縮してるんだよね。
「恋はタイミング」なんて、まさに福山雅治に生まれなかった男が恋できる理由。
「やりきれるかな、逃げ出そうかなそろそろ覚悟を決めなきゃ」なんて完全に一番恋してる時間に思ってること。
…もう一回聞いてみ?「それがすべて」だから。